ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

弱い者よ。叫べ、勇士だと

2021-04-21 | ゼカリヤ書

私の視力に問題があり、下半身に力が入らないので、鍼灸院に通って、かなり回復したので、愛する姉妹に紹介したら、彼女も通い始めました。

彼女は、問診と触診の後、「あなたの身体はボロボロになっている、よくここまで耐えて来られました。私がしっかりと治療しますから安心してください」と言われたそうで、すでに何回か通っています。

今回は、先生に「人に気を遣わないようにする練習をしましょう。まずは私に気を遣わないで」と言われたと、混乱している様子のラインが来ました。

身体は、精神的なものからも影響を受けるものですが、クリスチャンは霊的な力を神からいただいています。そのことを、鍼灸医は知らないので、自分の能力、経験、意欲で、治療して回復させて行けると信じて、熱心に治療にあたっていますから、私自身も、それはトンチンカンだなと思うような事を言われたことがありました。もちろん、私は黙っていないで、ちょっと言いました。そして信仰の本を差し上げました。

 

 

ゼカリヤ書4:6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。

この世の人は、人生を力強く生き抜くためには、とにかく元気で健康で、自分の意志をしっかり持って、礼儀正しくいていないと、幸せに生きて行けないと思っている人が多い。

しかし、神は言われる。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』

人間は、神の霊によってのみ、永遠の価値ある働きをすることができるものです。

帰還した捕囚の民は、人数も少なく、弱々しく、敵に様々に妨害された。
それで、確かに、疲れ果ててボロボロになり、貧しい状態でした。

しかし実は、彼らには、全地全能の神が味方についておられたのだ。

私たちも、人の力や権力、能力にも、また自分自身の力にも頼らないで、ただ、神にのみより頼んで、たとえ死んでもよみがえる、天国にある信仰生活を、どんな状態であっても、喜び、感謝して生きて行きます。

鍼灸師の先生にも、クリスチャンには神の力によって内から励ましを受けていることを知っていただきたい

 

今朝は、ほとんど何もしないで、ずっとゼカリヤ書と取り組んでいました。読みたい楽しい本や、家事、趣味など、気になることもたくさんあったのですが、神様は私をつかんで離さないで、机の前に座り続けていました。鍼灸師の先生からは長時間座り続けるなというアドバイスをいただいていますが、こういう時は無視します。

そして、この長かった時間は、弱っている愛する姉妹をみことばによって励ますために、神様が私を導き続けておられたのだとわかりました。

さあ、健康のためにも、外に散歩に出掛けることにします

 

 
♫ ♪ ♬ ♫ ♪ ♬
 
大いなる方に感謝ささげます、
御子キリストの愛のゆえに
聖なる方に感謝さざけます、
御子キリストの愛のゆえに

今、弱いものよ、叫べ、勇士だと
勝利の主がともにおられる
今、貧しいものよ、叫べ、富んでいると
恵みの主がともにおられる
感謝します
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バーンと人を叩いてしまったか

2021-04-21 | ゼカリヤ書

メッセージの後の分かち合いの時、ペアーになる予定だった姉妹が欠席になり、同じように分かち合いをする人がいなくなった別の姉妹から、一緒にしましょうと声をかけてもらった。

 

椅子に座ってほどなくして、始めの祈りをする前に、彼女が「私の娘は主管牧師に厳しく言われたことがあって、嫌がっているので、副牧師の説教の時に来るかも知れない」と言った。

 

娘さんとは、数か月前に、教会の若い人から伝道をしてもらって、イエス・キリストを受け入れるお祈りをした方です。その後、主管牧師と個人的に会った時に、何かがあって、バーンと叩かれたような思いになったのだと思われます。

 

彼女の口ぶりから、私からも「大変だね。そうだね。主管牧師の言い方は厳し過ぎるよね。」と同意する言葉を期待している雰囲気を感じたので、躊躇しないで、「私はそうは思いません。キリストのいのちのみことばを、ご自分の命をかけて取り次いでくださっている主管牧師を私は尊敬し、愛しています。」とはっきり言いました。

 

信仰者になるまで、母子で、様々に苦しい問題の中におられた事情は耳にしているので、教会の人達も、そっといわたるような接し方をしているのでしょう。彼女は、またまたバーンと叩かれたような思いですと、後になって、実は自分でも良くないと思っていたのだと告白して、感謝の言葉をわざわざ私に伝えに来てくださいました。

 

その日の、分かち合うべきメッセージは、「一致して信仰を全うする」というテーマだったのですから、落ち着いてメッセージを振り返ったらなら、娘さんとともに、神の恵みとあわれみにより頼んで信仰生活、教会生活をしていこうと悔い改める時が与えられると信じます。

 

私の言い方が高慢ではなかったか、私の中に感じた「怒り」は罪であった等と、色々とその後も思い巡らしていました。

今朝、ゼカリヤ書を読んでもう一度考えました。

お母さんから、礼拝での説教内容をかいつまんで説明されたものを聞いて、母子一緒に祈るのではなく、独り立ちして、みことばを真正面から聞いて、正しく従って霊的に成長されていくようにと祈り願います。仏教について卒論を書いたという娘さんです。はっきり悔い改めて、謙遜にキリストに聞いて、キリストとともに歩む道を選択することができますように。


ゼカリヤ書 2:8 主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の【主】はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。

詩篇 17:8 私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。

マタイの福音書25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

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イエスの弟子たちのための祈りから

2021-04-20 | ヨハネの福音書

17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。

  • 弟子に向かって弟子をつくれと命じた弟子たちのために、これから教会ができて、世界中に弟子達が増え広がることになり、やがて終わりが来ることまでを、イエスは見越して祈っている。
  • 私の祈りが自分のことだけで、視野が近くて狭かったことを悔い改めた。

 

 17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。

  • 一つになるのは、組織的な外観的な一致ではなく、キリストが教えたとおりの、霊的なみことばによって一つになるひとです。クリスチャンが霊的に一致して喜び礼拝し、深く分かち合い助け合っているのを見て、世の人々は、いいなぁと信じるようになる。
  • 私は、この世でのボランティアではなく、まず教会の兄弟姉妹と一つになって愛し合います。今日は94歳のクリスチャン宅に行き、zoomを実際に使って交わりをしながら、彼女自身で使えるのを助けに行きます。

 

 17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

  • 栄光の神に愛された御子の栄光を、今度は信じる者に与えた。それで、神の愛を深く理解できるようになる。十字架のすばらしさ、喜びがわかるようになる。聖霊も、愛と恵みも与えられる。世の人々は、お金儲け、病気が治ることを喜びとするが、任せる、委ねる、さざけるという、世とは全く逆転したような栄光です。
  • 私は、これまで体調が悪いと喜べなかったが、体調や病気、経済状態に関係ないところで、神の愛、恵みを感謝する思いが聖霊によって与えられていることを思い、今日、悔い改めます。いつ死んでも良いのではなく、今、教会と一致して、整えられ、用いられ、栄光を現わす努めが与えられていることを感謝します。

 

 17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。

  • 全うされてとは、完了するの分詞、完了・受身男複数。弟子たちが全うさけるのはイエスが十字架上でミッションを完了したのと同じ言葉で表現されている
     19:28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
    19:30イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了したテテレスタイ」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。
  • 私たちは、どこで全うされるのか。これは天国での全うです。
    では、この世はどういうことになるのか。最後の審判の席で地獄に行くことが宣言されます。ここで初めて、自分が、それまで神からの警告を無視していたこと、自分勝手な聖書解釈をして救われていなかったこと等を知ることになりますから、すでに地獄の炎の中でどうしようもありません。
  • 今、神の再臨を待つこの時に、福音を伝え、神が人間を愛して滅びの中から救い出そうとイエス・キリストを世に遣わしてくださったことを伝えて、失われた魂を見つけて救い出す神のみわざに用いられるように、何をどう働くべきなのか、内住の聖霊に聞いて犠牲を払って仕えて行こう。
  • 私たち一人一人、キリストの大使としての務めに、与えられたいのちを、人生を、徹底的にささげて、息を引き取る時に、イエスと同じように「テテレスタイ 完了した」と言えたら、本当に素晴らしいと思います。そんな生き方をこれからして行くことを決心しました。

 

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エゼキエル3:1-10 今日の招詞

2021-04-18 | 旧約聖書

今日の招詞

みことばを告げる働きに遣わされる前に、忘れてはならないこと3つ。

①神に聞く

②口をあける

③食べて腹ごしえをして、腹を満たす
  それは、密のように甘いのを知る

 エゼキエル書

3:1 その方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたの前にあるものを食べよ。この巻き物を食べ、行って、イスラエルの家に告げよ。」
 3:2 そこで、私が口をあけると、その方は私にその巻き物を食べさせ、
 3:3 そして仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」そこで、私はそれを食べた。すると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。

出掛ける日の朝は、いつも以上にバタバタしていて、霊的に飢え渇いた状態のままで一日をスタートさせてしたことを悔い改めました

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小さな子供を連れたママたちのための、小さな集会にお招きするチラシを手渡ししようと出掛ける時、可愛い若いママであっても、その鉄面皮で、心はかたくなです。
私は、神から信仰を強められ、安定感、忍耐力、洞察力をいただいて、出かけたい。


 3:10 その方は私に仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに告げるすべてのことばを、あなたの心に納め、あなたの耳で聞け。

人に語る前に、みことばを心に納めなくてはならない。どのようにしてでしょうか。自分で深く黙想して、さらにみことばを聞き続けよう。
そして、内面から整えられ、力を受けて、それから、外に出て行こう。内面が変えられたら、私の言動も、きっと、昨日とは違っていることでしょう。

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メモ 
エゼキエルは、バビロンに捕囚として連れ去られた。預言はエルサレムが破壊されてからも15年続いた。

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今月のみことば

2021-04-18 | ヤコブの手紙

私に今月、与えられたみことばは、ヤコブの手紙3章14-18節

日々の自分自身の生活の中でこの聖句を思い巡らし、
また他に聞いた聖句から関連して教えられ、
聖書の全体の中でのこの聖句の位置や背景などを調べ、
ヤコブの手紙の全体を読んで
この個所の言葉を調べたりしようと思う。

ヤコブ
 3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
 3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
 3:15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
 3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
 3:17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
 3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。

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