教会は色々な人がいても、一致して一つの家族のようであることを喜びます。
なぜなら、パウロがピリピに来たとき、ルデヤと彼女の家族が、バプテスマを受けたと単数形で書かているからです。
使徒の働き 16:15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。
なぜなら、牢の看守と彼に所属している者全部がバプテスマを受けたと 単数形で書かれているからです。
しかも、看守の家族だけでなく、雇人や看守の友人たちもいたかも知れませんが、救われた後は、一つの家族として全員で、信じたことを大喜びしているからです。
16:33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
16:34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
その夜、時を移さずと、こんなにも短い時間に、一つの家族となって大喜びをするようになっていることに驚きます。奇蹟です。神のみわざです。すぐに応答する人の受ける恵みは大きいです。
救われて一致した者には使命、働きも与えられる。彼らは、みんなで夜中に急に来た二人に食事を提供してという働きを、賜物を持ち寄り、同じ喜びをもって一致協力して仕えたことだろう。
私たちも、コロナや大雨など、問題、困難はありますが、教会では神を信じた者が、またさらに求道者たちも加えらて、リモートであったり形は色々ですが、集まってともに喜び合い、仕え合えることは、感謝で嬉しいことです。