会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

本年は明鏡止水を心がけます 柴田聖寛

2025-01-01 12:19:53 | 御挨拶

  新年おめでとうございます。皆様にとってもよき一年でありますよう心からお祈り申し上げます。私も後期高齢となり、何かと不行き届きの点もあるかと思いますが、本年もまた、悉有仏性の天台宗の信仰を広め、住職としての務めを果たしていく所存であります。
 私のブログも途切れ途切れながらも、何とか継続をして、私が日頃考えていることを、皆さんにお伝えできれば、と考えています。令和7年は昨年にも増して激動が予想されますが、如何なることがあっても、私たちは「明鏡止水」を忘れてはならないと思います。邪念のない落ち着いた心境であれば、いかなる困難も乗り超えることができるからです。何卒、本年もよろしくお願いいたします。

         合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穏やかな新年を迎えられますようお祈り申し上げます 柴田聖寛

2024-12-30 23:28:09 | 日記

 年の瀬も押し迫ってきましたが、今年は新年早々に能登地方が大地震に見舞われました。総選挙では自公が少数与党となり、国内の政治も混沌としています。世界に目を転じれば、中東ではイスラエルとハマスの戦いが激化し、ウクライナとロシアとの戦争も、未だに休戦にいたっておりません。アメリカの大統領にトランプが当選したことで、今後の世界がどうなるかも見通せなくなっています。一天台宗の僧侶として私は、この一年、世界が平和でありますようにと日々祈りを捧げてまいりました。
 個人的にも、今年は色々なことがありました。伝教大師様の「一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」(『山家学生式』)との言葉を旨としてきましたが、今後とも心折れることなく仏道に励みたいと思っております。皆様も良いお年をお迎えください。
 なお、令和6年の年末の御祈祷は12月31日、令和7年の初祈祷は1月1日に執行いたしますので、多数の御参拝のほどよろしくお願い申し上げます。
 合掌参拝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彗星などの天体の謎と仏法 柴田聖寛

2024-10-31 21:44:23 | 読書

 

 私が生まれたのは二本松市ですが、それこそ東京と比べると本当の空が残ってはいますが、車社会になって、昔のような空ではなくなってきています。会津に住むようになって、とくに奥会津に出かけたときなどには、一面の星空に何度も魅了されたものです。そんな私がつい最近、渡部潤一先生の『なぜ彗星は夜空に長い尾をひくのか』を一読して、あらためて夜空を見上げるようになりました。
 渡部先生は1960年に会津若松にお生まれになり、東京大学東京天文台の上席教授であるとともに、総合研究大学大学院教授の要職にあられます。渡部先生はその本の中で、小学6年生のときに、1972年10月8日夜のジャコビニ流星群騒ぎの際しての想い出に触れていられる。小学生であった渡部先生は、小学校の校庭で、今か今かと待ち構えていたら、ついぞ現れなかったという体験をしたという。そういえば私も若かった時代で、新聞で大きく報道され
たのを覚えています。
 この本を手に取って感激したのは、何枚もの彗星の写真が掲載されていたことです。宇宙への夢がどこまでも広がりました。彗星について渡部先生は「通常の恒星とは異なり、夜空に突然に現れては、星座の間を日ごとに動いて行く。惑星のように規則性があるようには見えず、まったく予測不可能であった」と述べておられます。だからこそ、吉兆の印として、古代の人たちは考えたのでした。
 天体としての彗星の運動が解明されるようになったのは、ニュートンによって「引力の法則」が発見され、その法則を適用したのがエドモンド・ハレーで、周期彗星カタログ一番目のハレー彗星を発見したというのも、今回初めて知りました。今では「惑星や小惑星はすべてほとんど円に近い軌道を描きながら、規則正しく太陽のまわりを回っており、惑星同士がお互いに近づくことはないのに対し、彗星はほとんどが放物線や歪んだ細長い楕円の軌道を持ち、いくつかの惑星軌道の間を横切って飛び回っている。その中には194年のシュメーカー・レビー第9彗星のように、惑星に衝突してしまうものさえあることがわかったきた」とも書いておられます。
 私のような一天台の僧であればこそなおさら、仏法を理解する上でも、宇宙を眺めることで
多くの示唆を得ることができます。この度も渡部先生のこの本から多くの刺激を受けることができました。仏教では「輪廻の迷いから解脱すること」が説かれていますが、宇宙の根源の謎を解き明かすことにも結びつくように思えてなりません。
           合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝教大師最澄様と小乗仏教 柴田聖寛

2024-09-04 16:08:00 | 読書

 大乗仏教とか小乗仏教とかいう言い方がありますが、それを明確に区別する考え方は日本仏教特有のもののようです。『現代語訳最澄全集』全四巻を執筆された、大竹晋先生の『大乗仏教と小乗仏教―声聞(しょうもん)と声聞乗とはどうみられてきたか』を読んで、この私でも、薄ぼんやりと理解することができました。
 声聞と縁覚(さまざまなものごとを縁として、独力で仏法の部分的な覚りを得た境涯)については、小乗仏教と呼ばれ、大乗仏教の利他行を重んじる菩薩とは区別されます。
 大竹先生は、インドや中国では、そうした小乗仏教の教えを拒絶したのではなく、あくまでも「同じ仏教ではあるが、劣った道である」と述べるにとどまり、「声聞乗は仏教の教えではない」と切る捨てたわけではないというのです。
 日本天台の開祖であられる伝教大師様の声聞乗理解が独得であったことを、インドや中国との違いから論じたのでした。声聞とは「仏の声を聞く者」という意味のサンスクリット語です。釈迦が実在しなくなってからは、その四諦(したい)の理を取得することで、阿羅漢となることをなることを目指しました。
 大竹先生の本を熟読することで、まず相違点を把握することができましたが、私としては、仏教の根本的な教えを伝教大師様が無視されたわけではなく、救いを求めている人たちに、利他行により菩薩となることを、自ら念じられたのです。それが法華経を源泉として、日本の大地に根を下ろすことになったのだと思います。
 いずれにしても、その根本にあるのは釈迦が説いたとされる「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」の四つの四諦(真理)です。この世の全て苦であり、それには原因があるという見方をします。そして、苦を滅するには「八正道(はっしょうどう)」が大事だというのです。「八正道」とは正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想のことです。  
 何が正しい解釈であったかというよりも、どのようにして仏教が日本化したかを解明する上でも、大竹先生のこの本は大いに勉強になります。

                合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長講会の侍真僧による献茶が比叡山で執り行われました 柴田聖寛

2024-06-21 23:00:32 | 天台宗

 伝教大師最澄様が示寂されたのは、弘仁13(822)年6月4日のことでしたが、以来忌日には法華10講が営まれてきました。6月会(みなづきえ)、山家会(さんげえ)、長講会(ちょうごうえ)などと称され、現在では長講会を正式名としています。
 天台座主猊下をはじめ、探題大僧正が揃って出仕され、20名の大徳が全国より参集されます。その前に浄土院の院内や院外の清掃は1ヶ月かけて実施されます。
 そこでのクライマックスは、普段より伝教大師様御廟所である浄土院をお守りしている侍真僧(12年籠山比丘)による献茶が御廟内で行われることです。また、天台座主の登竜門である戸津説法を勤仕する説法師が座主猊下より指名されます。
 献茶に用いられるお茶は、伝教大師様が唐から持ち帰ったと伝える比叡山麓、坂本の日吉茶園の茶で、日吉大社の神職の方々が摘んでくださったものです。神仏が一体となった歴史を、今も再現しているのです。
 戸津説法は、伝教大師様が、日吉権現への報恩として『法華経』をお説きになったのであり、立場を超えての交流があったのです。争いが絶えない今の世にあったて、伝教大師様の教えほど尊いものはありません。

     合掌 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする