会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

会津天王寺の開祖である観裕の父光孝天皇の歌を碑に 柴田聖寛

2021-08-23 14:24:49 | 天台宗

会津天王寺ではこのほど傳第五十八代光孝(こうこう)天皇が親王時代に詠まれた、

 君がため、春の野に出でて 若菜摘む

  我が衣手に 雪は降りつつ

の歌碑を建立いたしました。天皇自身の歌集『仁和御集』の冒頭の歌であると同時に、(『古今集』春上)や『小倉百人一首』にも収録されています。光孝天皇の皇子である僧観裕が元慶二年(八八三)に開山したのが天王寺です。行基作の十一面観音像を背負って東を目指し、菩薩のお導きによって会津高田(現在の会津美里町)の地を選んだといわれます。

光孝天皇のお人柄に関しては「温和で学識があり、人間味にあふれていた」(『日本三大実録』)に書かれています。その皇子である僧観裕も衆生を救うために、みちのくに足を踏み入れられたのでした。会津で唯一皇室ゆかりの寺として伝承されていることもあり、ここに僧観裕の偉業を偲び、光孝天皇の歌碑を建立いたしました。

歌人の佐佐木幸綱は「あなたのために、春の野に出て若菜(わかな)を摘む私の衣の袖(そで)に、雪がふりかかる」(『口語訳詩で味わう百人一首』)口語訳しています。

若菜というのは、せり、なずななどのことを指し、愛する人のためにようやく春になって野草の新芽を摘むようになったことを表現したのでした。

光孝天皇は(八三〇から八八七)。仁明(にんみょう)天皇の皇子で。第五十八代の天皇。在位期間はわずか三年でしたが、和歌を復興させるのに尽力したことで知られています。

      合掌

  令和三年八月吉日 第五五世 会津天王寺 聖寛代

コメント (1)
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