—写真は福田恆存氏—
安倍元首相を銃撃した犯人の動機はまだ解明されていませんが、政治的な問題よりは、もっと根深いものがあるように思えてなりません。福田恆存さんに「一匹と九十九匹」という文章があります。昭和二十二年に書かれたものですが、そこで福田さんは、政治は九十九匹を救うことができても、残りの一匹は、政治ではどうすることもできないことを、リアリストの立場から論じています。「善き政治はおのれの限界を意識して、失せたる一匹の救ひを文学に期待する。が、悪しき政治は文学を動員しておのれにつかへしめ、文学者にもまた、一匹の無視を強要する。しかもこの犠牲は大多数と進歩の名分のもとにおこなはれるのである」
福田さんからすれば、政治とは、明日のパンをどうするかといった、現実的な課題を解決するのが最優先です。残りの一匹については、文学が取り組まなければならないのです。それは同時に、数の問題だけではなく、誰もが一匹を抱えていることを、私たちに教えてくれます。どんな人間であっても、内面的な葛藤が付き物なのです。
私のような僧侶は、その一匹のために、祈りを捧げるのが使命です。常日頃自分に言いきかせています。今回の犯人は、政治が悪いという短絡的な思考の持ち主のような気がしてなりません。それで安倍元首相の殺害を思い付いたのではないでしょうか。宗教は数ではありません。九十九匹ではなく、一匹のために、全身全霊を傾けるものです。とくに仏教では、人は煩悩に支配されているとの見方から、そこから抜け出す手立てを示しているのです。
どんな人でも、最終的には宗教によって救われるのです。政治家は数による争いです。敵と味方を区別することが求められます。私ども天台宗にあっては、悉有仏性なのです。どんな人でも仏様になれるのです。誰もがその信仰を抱くようになれば、人と人との争いもなくなり、まして戦争など起きるわけがないのです。
合掌