会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

日中国交正常化50周年を迎えて 柴田聖寛

2022-09-04 12:20:48 | オピニオン

 私にとって中国は、伝教大師や慈覚大師の足跡を訪ねて歩いた想い出の国です。それだけに、日中国交正常化50周年を記念して、来る15、16の両日にわたって「友好の初心を温め 美しい未来を共に切り開く」をテーマにしたオンライン形式での交流会議が開かれますが、もう一度両国の絆を確認する必要性を痛感してなりません。
 私が最初に中国の土を踏んだのは、今から40年ほど前のことになります。当時私は京都の大原三千院で修行の身でしたが、自分の信仰を打ち固めるためにもと思い、単身で出かけたのでした。それから毎年のように訪中し、最近では新型コロナで中断しているとはいえ、延べ100回は超えています。主に天台山や五台山が中心ですが、シルクロードのウルムチや敦煌などにも足を延ばしました。その道を通って仏教もまた伝わってきたからです。
 もう私は75歳になってしまいましたが、新型コロナが収まれば、ぜひともまた出かけたいと思っています。私の妻は元中国人で、日本に帰化しました。私が南京で宿にしていた所の娘さんで、いつしか離れられない仲になったのです。ですから、私の長女も9月下旬には、母親の生まれた中国にわたり、北京の清華大学で学ぶことになっています。
 日中国交正常化記念としての標語募集では「草の根の交流の輪に咲く未来」というのが最優秀賞に選ばれました。国家単位では色々な問題があったとしても、民間レベルでは、交流を深めていかなくてはなりません。日本も中国も、両国とも岐路に立たされていると思います。日本は多くの人口を抱える中国と仲良くした方が得策です。中国もまた、日本を必要としているはずです。日本はアジアでもっとも早く近代化を実現した国家です。体制は異なっても、利害が異なるわけではありません。
 私は会津美里町の天王寺の住職をしていますが、会津の人は孫文をかくまったといわれ、その話が会津坂下町に残っています。さらに、戊辰戦争で敗れた会津人は新天地を中国大陸に求め、辛亥革命に馳せ参じた人たちもいたのです。亡国の民となった人たちは、狭い日本に飽き足らなかったのです。いかなることがあっても、両国が争うようなことがあってはなりません。それを「再確認」する大切な年に私たちはすべきなのです。

      合掌

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