会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

叡南祖賢大阿闍梨の功徳を偲ぶ本を読む 柴田聖寛

2023-01-20 16:41:23 | 読書

 以前にもお話したことがありますが、私が天台宗の僧侶になったのは、二本松市杉田の光恩寺の梅津聖豊(香村)御住職の弟子になったのが始まりです。梅津御住職のおかげで、私は比叡山や大原三千院で修行させていたくことができ、その縁で今日の私があるわけです。
 梅津御住職がよく口にされていたのが、叡南祖賢大阿闍梨についての思い出話でした。信仰者としても、人間としても、傑出しておられた、ということを語ってくださいました。梅津御住職もまた叡南祖賢大阿闍梨門下の一人であられたからです。
 それだけに私は『戦後初の北嶺千日回峰行者叡南祖賢大阿闍梨 叡南覺範・村上光田・藤光賢・堀澤祖門が語る「比叡山の快僧」』が本年一月四日に発刊されたので、すぐに読みまさせていただきました。編著は山田恭久師、序は叡南俊照師が担当され、山田修康師が聞き手となられ、叡南覺範師、村上光田師、藤光賢師、堀澤祖門師から思い出話をお伺いして、それを中心にして一冊の本がまとめたのです。
 序で北嶺千日回峰行大行満大阿闍梨・叡南照師は「師の年齢を超えた大僧正たちの証言を通じまして師僧である叡南祖賢大和上の教え、活躍の教え、活躍の様子を時代に伝承しようと試みた比叡出版のオーラルヒストリーであります」と述べられるとともに、「この本に記されている叡南祖賢大和上の足跡をご一読いただくことを契機に天台宗、伝教大師最澄上人、比叡山延暦寺にご関心をおもちいただけますと幸甚に存じます」と書かれています。
 第一章の「和尚はどんなことに対しても判断が適切でした」では、叡南覺範探題大僧正・毘沙門堂門跡前門主(第六十一世)は「私が和尚の門下に入った頃は、『叡山三地獄』の一つといわれる『回峰行』の修行中でしたけど、その後見ていると、三十人もの小僧一人ひとりの資質を見ていましたね」と思い出を語られ、宗教家としてだけでなく、教育者としても卓越していたことが分かります。
 第二章の「これ以上厳しい師はいなかった。だけどあれほど優しい師もいなかった」では、村上光田大僧正・善光寺長臈(ちょうろう)は「あんなに貧しかったけど小僧が何十人もいても一人として僻(ひが)む人はいませんでした。小僧同士で喧嘩をすることはあっても、お互い僻むというのはなかったのです。別にこれと言って教えるわけではないのですよ。我々は師の行動を見て学んだ」と回顧し、「僻む心」が修行をする上でも、仕事をする上でも障害になるということに、気付かされたというのです。
 第三章の「あなたたちのお師匠さんは本当に立派な方なのですね」では、藤光賢探題大僧正・曼珠院門跡前門主(第四十二世)は「和尚は学者であり行者ですから、『拝む時は一生懸命拝め、一生懸命仏様にお仕えせよ』と申していたことを思い出します。学問と行の観佛観想両方をお持ちになっていたまさに教観二門、解行双修の大導師が和尚だと思います。護摩の修法の時にしても、弁天供、聖天供にしても、密教のいわゆる行者と本尊様が一体になっているのが叡南祖賢和尚だと思います」とその功徳を讃えられました。『学者であり行者であり』というのはなかなか難しいことですが、その両方を叡南祖賢大阿闍梨は兼ね備えられておられたのです。

 

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