ただ今、夜中の1時を過ぎ、2012年12月31日を迎えました。
振り返ると、2012年は私にとってとても大きな出来事があった年でした。
何といっても、私を生み育ててくれた母が、亡くなるという
悲しみを体験したこと、そして、その死にいたるまでの経緯を、母が
身をもって示してくれたお陰で、人の死というものを、改めて考える
年となりました。
奇しくも、今年流通ジャーナリストの金子哲雄さんがお亡くなりになり
その折に「終活」なる準備を 自ら進めていたことが話題となりました。
母は、15年ほど前に「全身性強皮症」という特定疾患にかかり
当初は、難病ということで父と私・妹が担当医に説明を受け、突然の
大きな病気にビックリしたのを鮮明に覚えています。
娘が生まれて1歳くらいだったと思います。
この病気の本を読みあさると、あまり良い経過が書かれてなくて
進行を食い止めるにはどうしたらよいか試行錯誤しました。
病院のお薬はもとより、あれが効くと言われれば買って飲んだり、色々な
ことを試しました。
母と同じ頃に発症した「膠原病友の会」の会員さんの中には、早く
進行してお亡くなりになった方もたくさんいらっしゃいます。
そんな中、娘が17歳、息子が14歳になるまで、比較的普通の
生活が送れたこと。私にとっては、何よりも有り難いことだったと
今、改めて感じます。
娘が、私に良く相談してくれることを、何度かブログに綴りましたが
実は、私も母に何でも相談する娘でした。私にとって、一番の味方で
あったと思います。
小学、中学・・・大人になっても、色々な悩みを抱えた時、母は自分の経験も
踏まえ、とても親身になって聞いてくれました。
友だちにさえ、本心を打ち明けられない悩みも母には相談できました。
絶対的な味方だという安心感があったからだと思います。
いま、私は母のように、娘・息子に接しています。
子どもたちには、いつでも、絶対的な味方がいてくれる!という
安心感を感じて、世の中に出ていってほしいと思っています。
ところで、「終活」についても、私はとても考えさせられました。
結婚式を、夫と二人でプロデュースしたように、自分の最後も
自分でプロデュースするということは、とても大事なことだと
母の死を通して感じました。
私は、この機会に「エンディングノート」なるものを購入しました
まだまだ、埋まっていないページが多いですが、ボチボチ書いていきます。
毎年、同じような生活の繰り返しのようで、実は確実に変化している。
「葉っぱのフレディー」ではないけれど、変化することを恐れず
来る年も、自分らしく、悔いなく過ごしていきたいと思います