__ ___| 川口幹夫氏
毎朝、新聞を読む習慣では有るけれど、昨日は何故か時間無く、結局改めて朝刊を手にしたのは、夜ベッドに入ってからだった。ギャ!彼は亡くなられていた。奥様を以前に亡くされて、ご不自由は無いだろうか・・・等々。まさかご本人が。享年88歳胃がんのため療養中だったと。夕べは川口氏との出会いから、懐かしさから青春を楽しませて頂いた事からゆっくりと走馬灯が回った。
高校生2年の頃、NHKへ感想文を出した事が有った。すっかり忘れてしまった頃「NHKの「歌のグランドショー」という番組を担当しています。貴方の楽しめそうな番組ですので一度いらっしゃい」とハガキを頂いた。両親に見せたら「こんな事は経験できないから行っておいで」と言われたので、興味津津で伺った。「今日やる内容ですよ」と冊子を下さった。それには制作 川口幹夫と書かれていた。そんなにトップのお忙しい方が、かた田舎からお上りさんの私に、穏やかに「ちゃんと良い席を用意したからね、ゆっくり楽しんでね」と現場に戻って行かれた。初めてなので高揚を抑えられずいたら、黒縁メガネをかけた、女性が何呉れとなく面倒を見て下さった。
収録は、沢山の有名歌手が出演していた。歌手橋幸夫さんも当時ヒットしていた「雨の中の二人♪」を熱唱していた、「歌のグランドショー」生演奏で。一番前の真ん中に席を取って下さった川口さんは、親切なあしながおじさんだった。その後、森山良子さんが司会者の時も、…の時もと、随分親切にして頂いた。指定席?
何故かと今思えば、10代の高校生を招待し事故が無い様に面倒を見て下さったと思う。黒ぶちの眼鏡さんは川口さんのアイコンタクトで「はいかしこまりました」と新橋駅前のレストランに行きお食事を都度ご馳走して下さった。テレビで川口氏のお名前を見つけると必ず感想手紙をお出しした。その後「紅白歌合戦」の番組の担当になると、私は全出場者一人一人の感想を送ったりしていた。川口さんは殊更喜ばれて「いつも嬉しいよ」とにこやかに仰った。「若い頃房総の鴨川に居た事が有るよ」と私と話を合わせて下さったり、どこまでも優しい方だった。ずっと後になって「あの方はね東大文学部出身の方よ」と伺い全てが納得出来た。本当に頭の良い方は、いつも穏やかにして居ても、すべき事は時間を持って完成させあくせくせず、感情的にならず、どなったりもしないものだ。
JR新橋駅烏丸口近くに、親戚のお寿司屋さんでアルバイトをしながら、行ける時は伺っていた。その後NHKは渋谷区神南に移って立派なコンサートホールも控えている。「こちらにもいらっしゃい」と呼んで頂きそそくさと、とんで行った。
既に私は結婚もしていたけれど、変わりなく優しかった川口のおじ様。社員食堂でご馳走になったり。お茶をご馳走になったりの青春時代、多感な年頃に随分色々な経験をさせて頂いた。芸能人、歌手の方等テレビでしか拝見できない方達も、私に迄ニコッと笑顔を送って下さった。「夢であいましょう」~ドラマ、紅白歌合戦に至るまで手掛けていらしたので、殆どの方が川口さんのお世話になったに違いない。
私が今こうして、青春時代がほっこり楽く思い出されるのは、川口さんのお陰に他ならない。
今朝も、心が動揺して止まない。泣いてはいない筈なのに、目にはうるうる涙が眼の縁を濡らしている 。
川口さん程の紳士にお会いした事が有りません。最高のお人柄でした。
人生の始めに、関わって下さった川口幹夫様、本当に感謝申し上げます。
残念に思いますが、安らかにお休み下さい。
お葬儀当日は、関係者の皆さんで一杯でしょう。私は静かに自宅で手を合わせます。
合掌
毎朝、新聞を読む習慣では有るけれど、昨日は何故か時間無く、結局改めて朝刊を手にしたのは、夜ベッドに入ってからだった。ギャ!彼は亡くなられていた。奥様を以前に亡くされて、ご不自由は無いだろうか・・・等々。まさかご本人が。享年88歳胃がんのため療養中だったと。夕べは川口氏との出会いから、懐かしさから青春を楽しませて頂いた事からゆっくりと走馬灯が回った。
高校生2年の頃、NHKへ感想文を出した事が有った。すっかり忘れてしまった頃「NHKの「歌のグランドショー」という番組を担当しています。貴方の楽しめそうな番組ですので一度いらっしゃい」とハガキを頂いた。両親に見せたら「こんな事は経験できないから行っておいで」と言われたので、興味津津で伺った。「今日やる内容ですよ」と冊子を下さった。それには制作 川口幹夫と書かれていた。そんなにトップのお忙しい方が、かた田舎からお上りさんの私に、穏やかに「ちゃんと良い席を用意したからね、ゆっくり楽しんでね」と現場に戻って行かれた。初めてなので高揚を抑えられずいたら、黒縁メガネをかけた、女性が何呉れとなく面倒を見て下さった。
収録は、沢山の有名歌手が出演していた。歌手橋幸夫さんも当時ヒットしていた「雨の中の二人♪」を熱唱していた、「歌のグランドショー」生演奏で。一番前の真ん中に席を取って下さった川口さんは、親切なあしながおじさんだった。その後、森山良子さんが司会者の時も、…の時もと、随分親切にして頂いた。指定席?
何故かと今思えば、10代の高校生を招待し事故が無い様に面倒を見て下さったと思う。黒ぶちの眼鏡さんは川口さんのアイコンタクトで「はいかしこまりました」と新橋駅前のレストランに行きお食事を都度ご馳走して下さった。テレビで川口氏のお名前を見つけると必ず感想手紙をお出しした。その後「紅白歌合戦」の番組の担当になると、私は全出場者一人一人の感想を送ったりしていた。川口さんは殊更喜ばれて「いつも嬉しいよ」とにこやかに仰った。「若い頃房総の鴨川に居た事が有るよ」と私と話を合わせて下さったり、どこまでも優しい方だった。ずっと後になって「あの方はね東大文学部出身の方よ」と伺い全てが納得出来た。本当に頭の良い方は、いつも穏やかにして居ても、すべき事は時間を持って完成させあくせくせず、感情的にならず、どなったりもしないものだ。
JR新橋駅烏丸口近くに、親戚のお寿司屋さんでアルバイトをしながら、行ける時は伺っていた。その後NHKは渋谷区神南に移って立派なコンサートホールも控えている。「こちらにもいらっしゃい」と呼んで頂きそそくさと、とんで行った。
既に私は結婚もしていたけれど、変わりなく優しかった川口のおじ様。社員食堂でご馳走になったり。お茶をご馳走になったりの青春時代、多感な年頃に随分色々な経験をさせて頂いた。芸能人、歌手の方等テレビでしか拝見できない方達も、私に迄ニコッと笑顔を送って下さった。「夢であいましょう」~ドラマ、紅白歌合戦に至るまで手掛けていらしたので、殆どの方が川口さんのお世話になったに違いない。
私が今こうして、青春時代がほっこり楽く思い出されるのは、川口さんのお陰に他ならない。
今朝も、心が動揺して止まない。泣いてはいない筈なのに、目にはうるうる涙が眼の縁を濡らしている 。
川口さん程の紳士にお会いした事が有りません。最高のお人柄でした。
人生の始めに、関わって下さった川口幹夫様、本当に感謝申し上げます。
残念に思いますが、安らかにお休み下さい。
お葬儀当日は、関係者の皆さんで一杯でしょう。私は静かに自宅で手を合わせます。
合掌