コラム(400):メディア報道に欠落する国防論
ウクライナ報道をテレビで見るたびに違和感があります。それは、ウクライナの惨状をまるで楽しんでいるかのように報道しているように見えるからです。
ゲーム感覚で報道するテレビメディア
テレビメディアは、ウクライナの惨状をより深刻に報ずることが自分たちの使命であると思いこんでいるようです。そのために、最も絵になるシーンを抜き出して、これでもかと言わんばかりにセンセーショナルに報道しているわけですが、その裏にある心情には不純なものが含まれています。
ウクライナの惨状は、彼らにとっては他人事、対岸の火事にすぎません。まるでテレビゲームのような錯覚に陥ってウクライナの悲劇をみています。実際、ロシア軍の攻撃のありさまやウクライナ軍の防御について数値で表した時には、ゲームの得点を競い合っているような感覚になっているのがわかりますし、両軍の兵器を紹介するときなどは、オタクがゲームのアイテムを紹介しているのと同じにしか見えません。
彼らが熱心にウクライナの惨状を報道するのは、他人の不幸で視聴率が取れるからです。しかも、面白おかしくロシアの内情やプーチン氏の批判を繰り返すことで、「正義の士」としての快感を味わえますし、ジャーナリズムの真骨頂であるとうぬぼれることもできます。したがって、いまの彼らには、ウクライナの惨状がもっと長く、もっとエスカレートすることを期待して、戦争の拡大こそが彼らの最大の望みとなっていることは明らかです。
毎日新聞、TBSに見る悪意
いつものことながら毎日新聞とTBSの報道はひどいものがあります。ともに、ウクライナの悲劇を日本冒涜のために利用しているからです。
事実、毎日新聞は「ウクライナ侵攻 旧日本軍手法に重なるロシア」との記事で、TBSは現地取材を通して「権力者の暴力」が「市井の人たち」が苦しめていると報じる中で、「プーチン氏=日本の自民党政権」、「市井の人たち=日本国民」の図式を作り出し、ウクライナ問題を日本の体制批判にすり替えて報道しています。
これらの報道は、日本が憲法を変えたら、ロシアと同じ侵略戦争の道を歩むから「改憲はまかりならぬ」と言いたいわけです。しかし、この論理、「国民の命を守るための防衛論」を「他国を侵略するために使われる」との論点にをすり替えています。彼らにとって日本人が防衛を意識することは、よほど都合が悪いことのようです。
この延長線上にあるのが、いわゆる「あっち系」の人たちで、鳥越俊太郎氏のように侵略国のロシアと悲劇のウライナを同列に扱う人もいます。なかには、「市民の生活を脅かす戦争は反対する」ときれいごとを言い、最終的に「国家は権力を持つ、権力は悪い、∴国家は悪い」との三段論法を使って、改憲に反対するにとどまらず、国家解体を叫ぶ人もいます。しかし、彼らには、「市民の生活を守っているのはほかならぬ国家」であることは目に入らぬらしい。イデオロギーを通して世の中を眺めると真実が見えなくなる愚かな典型です。
海で囲まれた日本には逃げ場がない
上記のようなメディア報道の汚染から離れて、日本国民は、もっとウクライナの現実を自分のこととして捉えなければならない時期にきたと思います。
ウクライナでは人口の4分の1にあたる人びとが国外に退避しました。この問題、もし、日本が侵略された場合、1億3千万人の日本人はどこに退避したらいいのかという現実を突きつけます。この前提を無視して日本の平和と国民の生命を守ることを論ずることはできません。
ウクライナの人びとに降伏を強く勧めていた人は、日本が侵略された場合、日本国民にいち早く降伏を勧める人だと思いますが、降伏した人に待っているのは現代における「奴隷」です。
奴隷となった者の運命は、中によって侵略されたチベット、新疆ウイグルの人びとの悲惨な扱いを見ればすぐにわかることです。また、かつて、旧ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州や樺太・千島に攻め込んで、日本兵をシベリアに抑留し、強制労働をさせただけでなく、共産主義を徹底洗脳した事実を思い起こすべきです。
今般、「人道回廊」に騙されてロシアに行くしかなくなったウクライナの人びとに待ち受ける運命も同様になると思います。専制国家では最初から人権という考え方は初めからないのです。
あっち系の人びとは、自分自身が侵略国に優遇されると思っているから積極的に降伏を勧めるわけですが、仮にそうなった場合、一番先に抹殺されるのが降伏を誘導した人びとであることに間違いありません。なぜなら、祖国を簡単に裏切る人は新たな支配者にも簡単に裏切ることができると判断されるからです。これは中国の歴史書を紐解けば簡単にわかることなのですが・・・。
さて、私たち日本国民の選択は、現状のままで侵略を許し奴隷の道を選ぶのか、それが嫌なら玉砕の道を選ぶのか、それとも、侵略されないようにしっかりと防御を固めるのかの三択しかありません。
かつて安倍政権時代、時間のかかる憲法改正よりも安保法制を優先させて、さらにQUAD(日米豪印戦略対話)を構想し集団的自衛権を駆使して、中国の侵略を押しとどめたことがありました。安倍元総理の英断がなければ日本という国は存在していなかったかもしれないのです。
しかし、習近平氏にとっては、台湾統一と沖縄奪取は太平洋を制し、世界に覇を唱えるための最低条件で絶対にあきらめることはありません。ロシアよりももっと近代化した最新兵器で台湾と沖縄に攻め込みたくてたまりません。
したがって、ウクライナの惨劇を日本人自身の問題として真剣にとらえるならば、日本の有事には逃げ場ないということを前提にして、奴隷としての降伏の道を選ぶのか、無為無策で玉砕の道を選ぶのか、それとも防衛力を高めて他国の侵略そのものを諦めさせるのか、国防のことを真剣に論じあうときがきたと思います。
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