アーメンソーメンヒヤソーメン これは戦後の日本で海外の宗教を信じる人に対する
質の悪いおちょくりである。晃が通っている大學はミッション系で関西の慶應と
呼ばれている同志社大学だ。新島襄が開いたプロテスタント系の大学なのだが、
なんと、京都御所のまん前にあるのだ。言い方を変えれば、道一本挟んで並んでいる
ここには神学部というのもあり、プロテスタント系の牧師の何割かはこの学部出身
とも言われている。自由な校風と授業料が安いので、晃はとても気に入っている。
といっても、入学してから半年を過ぎたあたりから、仲間たちの集合場所になり
夜な夜な焼酎を飲んで むさくるしい男5~6人が集まり、哲学とか宗教とか、
無限等について語りあかしていた。〆のラーメンを食べに行くのは決まって深夜
2時半過ぎだった。半年が経った頃、いくつものグループに分かれて晃の知識を
吸収しにくる仲間の一人だけが来た。雨が降る日の事で普段は余りしゃべらない
引っ込み思案の男が相談があるので、できれば相対して話せないかと言われていた。
「晃さん、 おれ牧師になりたい と思うんだけど」学校のチャペルに一人で
礼拝に通い洗礼を受けたばかりだそうだ。「で、なんで俺に相談があるん?」
「晃さんって何でも知っているし友人も多いし、説得力があるから・・牧師に
なるという選択が自分に向いているのかなぁと思って」
「でもさー、自分の道は自分で決めれば良いし、決めた道でも向き不向きがある」
「それが・・」彼が言うのには将来結婚をと約束した女性の実家が牧師なので、
キリスト教徒ではなくて牧師でなければ駄目だといわれたそうだ。
「なるほど、主体性はないけれどっていうことか」彼は小さく頷いた。取りあえずは
神学部に転入して、2年間あるじゃん。彼女とも相談しながらまずは立派なキリスト
者になる事が大事だと思う。ちょっと動機が不純だけど・・。俺が思うのは期間
じゃなくて深化の度合いが大事だと。2年間時間があれば、2年後に答えを出せばいい
事だし・・・それよりもというかアーメンの話は置いといてラーメン食べよう。
「心も温まるラーメン。」
「雨とアーメンとラーメンかぁ・・」と言ったら彼は笑っていた。女を加えると
「オーメン。こわっ」ラーメンを食べて彼と別れた。学部が違うので殆ど没交渉に
なっていた。大学を卒業する年の瀬に彼から手紙が来た。そこにはお礼が書かれていた
そして・・・彼が自死したと聞いたのはそのあとだった。やはりそっちかぁと思った
「牧師になりたい」この言葉が引っ掛かっていた。それは「ぼくしにたい」という
事かもしれないと気が付いていたから。
お礼の手紙なんかかきやがって・・・。
お終い