約2000年もの間 脈々と信仰が受け継がれてきたキリスト教。西暦の基準となったイエス
(イエズス)はゴルゴダのお丘まで自らを処する為の十字架を背負い 処刑場までの道を
衆人の罵倒を受けながら歩かされて処刑された。ナザレのイエスと呼ばれたイエス・キリストには
十二人の使徒がいたが、処刑されることが決められて、実は処刑の日に逃げ出していたのである。
なにもユダだけが裏切り者ではなかったのだ。弟子たちにも裏切られたイエスキリスト
これが史実に基づく物といえる。
聖書学的に言えばこれらの使徒が師を裏切った事を恥て書き上げたのが、福音書と呼ばれている物
だと言える。神の子イエス・・・この共同幻想論はイエスを神格化するための物だともいえるのだが
キリスト教を信仰する人にとっては 決して認められない事なのだ。
先に神の子イエスを処刑した人間が神の逆鱗にふれ、あるいは処刑されたあと復活したという
復活思想などは 使徒たちが作り上げた話なのである。マタイ ルカ ヨハネ等の福音書は
いうなれば結論ありきの書なのであり、自らが見捨てたナザレのイエスへの懺悔の書でもある。
ちなみに、本当のイエス.キリストとはどんな顔立ちなのか?実は教会などにあるような顔では
なかったともいわれている。
今も聖地巡礼が跡を絶たないが、聖書考古学的にい言えば イエス.キリストが生きていた
時代の土地は約26m地下にあるのだ。
追記 各福音書等は当初のものとは違い加筆されたものだということがわかっている