前回までは日本人の慣習を崩し、尚且つ型物の写真の型破りに心血を注いだという話を書いた。
今ではスタジオア◎ス等のお家芸となったのだが、もし私が病気にならなければ今は例えば子供の頃に七五三を写した人が
親になり、などという時期でもありまことに残念である。
気軽にタレント気分を!ということで例えば「夫婦の記念日」や「毎年同じ日に家族で写す」「ペットと一緒に」などと
かこつけて?笑顔の写真を写していく人々も増えた。ただ、どうしても当時でも宣伝しにくかったのが今で謂う「終活」の
写真であった。葬儀屋に何万から何十万もとられて「旅行の時のスナップ」などから強引に大伸ばしにされた写真は
価格のぶったくりと当然出来が悪いのはご存知だろう。だったら、自分で選んで置いたらどう??とはさすがに
謂いにくかった。ただ、社会的にそれなりの地位のあった人や家族思いの人等は少なからず自分で写真を撮影に
くることが多かった。それはそれでよいのだが、現実のものとなった時にご家族などがお蔭様でよい写真を飾ることが
できましたと報告してくれる時にはどう対応すればよいのか、これはなかなか難しいけれど、原版はポスターサイズでも
OKという大伸ばしができるものなので、葬儀屋の質の悪い写真とは大違いなのは明白だ。
今でこそ終活なんて言葉もあるが、これだけはうまくはいかなかったが、それで良かったのかも知れない。
それらの撮影と同時に建築だの商品だのと撮影をしていたのである。
よって、初めて携帯電話がハンディタイプになったものを必ず持ち歩いていた。
当時は秒で10円であり自動車電話はともかくとして、1kgもある携帯電話を持っている人は少なかったと思う。
やむを得ず電車に乗るときグリーン車内で一車両で自分だけが電話をしていることが多く、当然普及していないので
禁止なんてこともなかった。
急な撮影要請等ではあと何分あれば到着できるなんてこともしばしであった。
そういう訳で、一日の殆どを仕事で過ごしていた日々が続いていて、勿論休みもなかった。
証明写真なども手抜きはしなかった。これも今では当たり前につかわれる豊麗線などを、
昔はフィルムの裏に特殊な液体をぬって コンマ何ミリの修正をしていた。もちろん拡大鏡を覗きながらの作業で
その他に、目じり、おでこ、下あご、喉仏などの皺を消していたので 若い人はともかくとして、女性等には好評で
最低でも一日30人程度、噂は凄いと思ったが聞きづてに撮影に来てくれた。
修正というと、皺がなくなるものと勘違いしている人が多いが、当の本人も気がつかないようなそれでいて若く見える
のが本当の修正であるのだが、これは極度に緊張と集中をしなければならないので大変だった。
今考えると、そういう人も含めると一日平均80人の人と会っていた?ということになる。
もちろん、私はそこにいないことが多かったのだが、1ヶ月で2000人?計算をしてみたら今頃驚いたが、
計算ではそういうことになる。
本当かいな?と思われるだろうが、本当なのである。
富士フィルムが作った業務用の中型カメラがあり、プロ部の人が私の意見を吸い上げてくれていろいろと改良が
なされたが、フォルダーなどに撮影回数が記録されるといういらないじゃんという機能があったが、発売と同時に
買って点検にだしたときに「こんなに撮影している人は初めてです」などといわれる位フル回転で、実はそういわれて
密かに喜んでいたのである。
私は写真が嫌いでおまけにセンスのせもない人間だが、撮影にかける真剣な思いとアイデアだけは少し人より
あったのではないかと思っている。
下手だから努力するという当たり前の事を有言実行したのであるが、もしかしたらお客さんが一生懸命やっているなと
感じてくれたから例えば成人式当日10人待ちでも不満をいうひとがいなかったのではないかと思うのだが
それだとしたら本当にありがたい事だと改めて思うのである。
(おわり)