お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

本質は時代が変化しても変わらない

2024-12-27 05:05:18 | 日記
本質は時代が変化しても変わらない
 
本質とは「ある物を成り立たせている独自の性質」という意味です。
人間の本質であれば「多彩な感情」などで変化をすることはありません。
この意味は、感情が変化しないということではなく、様々な感情そのもの自体のことです。
表題は当り前ですが、これから書くことは少し捉え方が違います。
我々は、多くの情報の中から、求めているものの本質を見つけることができると大きな喜びを得ます。
本質は時代が変化しても変わることがなく、生涯の知恵を見つけたことでこれからの人生に役立つ。
例えば「ありがとう。お願いします。ごめんなさい。」という言葉は、いつの時代も変わらない本質です。
この3つの言葉は、どの時代、どの世界、どの人にとっても、共通する本質です。
この3つの言葉をしっかり言える人は、どの時代、どの世界、どの人とでも上手くやっていけます。
このように絶対に変わらない普遍的本質に気づいたり、見つけたりすることで人生を生き抜く知恵を手に入れたようで自信が付きます。
時代が変化しても変わらないことを見つけ、その本質を徹底して会得することで情報を見極める力が付くのです。

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自己投資

2024-12-26 03:40:01 | 日記
自己投資
 
この年になって「自己投資」の話を書いてもと思うのだが、思い浮かんだことを書くのが僕流のブログです(笑)。
幸せを掴もうとする人は、常に自分の意思で人生の進む道を決めて歩いて行く。
決して自分の選択を他人に委ねたり、誰かが背中を押してくれるまで待つようなことはしない。
そして時間があれば、心身共に積極的に自分を鍛えて向上させようとする。
これが「自己投資」です。
自分に対してお金を使い、積極的に自分を高めていこうとする意志の表れとも言える。
本や映画や旅や習い事やジムなどに自腹で、自分のためにお金を使うことで文化力や体力を上げることを目的とするのが自己投資です。
そして向上した自分がまた新たな道に挑むサイクルを作ることで、自分を更に向上させることができる。
「自己投資」は漠然と自分のためにお金を使うことではなく、積極的に自分を高めようとする目的を持って使うお金だと僕は思うのだが

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韓国ドラマに思う「우리 / ウリ/私たち」の心理

2024-12-25 04:13:03 | 日記
韓国ドラマに思う「우리 / ウリ/私たち」の心理
 
僕は時々、韓国ドラマを見ている。
その中で家族間での態度ややり取りに独特なものを感じる。
立派に独立した大人なのに親にはいつまでも子供のように振舞ったり、親に対して必ず敬語で話したりという場面をよく見かける。
また、頻繁に「우리 / ウリ/私たち」という単語がよく使われてるように感じる。
調てみると、朝鮮民族のルーツに起因しているようだ。
それは自分を中心として家族、親戚…同じ民族…と同心円的に広がるフィルターを通して世界を見ている。
なので、自分に一番近い「우리」が家族なわけで、家族との結びつきは非常に強く様々な情を施す。
故に우리ではない「남 / ナム / 他人」という言葉を嫌うそうだ。
最近は親子間で敬語を使う家庭は少なくなったようだが、祖父母と孫の間では必ず敬語を使うようだ。
日本のように「友達のような親子」は韓国では有り得ない感覚のようだ。
「みんな우리という共同体のメンバー」という認識である韓国人なので、その中で一番近い存在が家族です。
それゆえ家族間の結びつきは日本人が考える以上に強い。
また上下関係も加わり成人・結婚しても親はいつまでも親で子はいつまでも子なのです。
何んでも息子にいちいち口出しをする母親、常に母親に意見を求める息子はよくドラマのシーンで見られる。
韓国には「親離れ」「子離れ」という概念が無いように思う。
こんな民族性のドラマを見ると一種の家族の絆の強さを羨ましく見えるのかもしれない。

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本当の正義とは僕には答えが見つからない

2024-12-24 05:13:58 | 日記
本当の正義とは僕には答えが見つからない

正義とは何か?少し難しい問題です。
簡単に要約すると「社会全体の幸福を実現すること」のようです。
では現代社会に於いて正義とは実現不可能なものだということになる。
世界では「正義のために戦う」という大義名分で、暴力や破壊行為、殺人が常に何処かで起きている。
暴力・破壊・殺人をする時点で、社会の秩序を乱し幸福を奪うため「正義のための戦い」などあり得ない。
今や、世界は分断化へと突き進んでいる。
では、本当の正義とは何だろうか?
本当の正義とは、暴力・破壊・殺人を避けながら、社会全体の幸福を実現することなのだろうか。
しかし完全にお互いの利害が一致することは現実としては不可能に近い。
そこで必要なのが利他の精神だと思う。
自分の損が誰かの得になっても、全体として平等と幸福が実現するなら、正しい意義があると言える。
これが、本当の正義なのかもしれない。
しかし、残念ながら、この世の中での正義とはと問われれば、僕には答えが見つからない。

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改めて体幹トレーニングの重要性を知る

2024-12-23 05:11:06 | 日記
改めて体幹トレーニングの重要性を知る
 
僕は16年前に脳幹梗塞で倒れて以来、後遺症の一つに体幹機能障害がある。
少しの動作でバランスを崩しそうになったり、長時間同じ姿勢を保つのが辛かったりする。
そもそも、体幹とは、頭部と四肢(手足)を除く胴体のことを指す。
そして体幹トレーニングとは、胴体部分を強化するためのトレーニングで、特に腹部の深層部のインナーマッスルを鍛えるトレーニングです。
体幹を鍛えることで、身体を安定化させ、バランスをとりやすく、良い姿勢を保ちやすいなど僕にとっては不可欠なトレーニングです。
一度ダメージの受けた神経細胞は、回復するのは困難とされているが、決してそんなことはない。
現に私は退院時には、数歩歩くのがやっとだったが、今では普通に歩けるし小走り程度なら可能です。
完全復活とまではいかないが、日常生活には支障のない程度まで回復しました。
これも、体幹トレーニングを続けてきたお陰だと思ってます。
今後は、加齢と共に衰えていく体力を,強化するというより、現状を如何に長く維持するかを目標に体幹トレーニングを続けていこうと思っている。

「努力して習慣化されたことを『実力』と言う」この言葉が好きです。

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