お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

韓国ドラマに思う「우리 / ウリ/私たち」の心理

2024-12-25 04:13:03 | 日記
韓国ドラマに思う「우리 / ウリ/私たち」の心理
 
僕は時々、韓国ドラマを見ている。
その中で家族間での態度ややり取りに独特なものを感じる。
立派に独立した大人なのに親にはいつまでも子供のように振舞ったり、親に対して必ず敬語で話したりという場面をよく見かける。
また、頻繁に「우리 / ウリ/私たち」という単語がよく使われてるように感じる。
調てみると、朝鮮民族のルーツに起因しているようだ。
それは自分を中心として家族、親戚…同じ民族…と同心円的に広がるフィルターを通して世界を見ている。
なので、自分に一番近い「우리」が家族なわけで、家族との結びつきは非常に強く様々な情を施す。
故に우리ではない「남 / ナム / 他人」という言葉を嫌うそうだ。
最近は親子間で敬語を使う家庭は少なくなったようだが、祖父母と孫の間では必ず敬語を使うようだ。
日本のように「友達のような親子」は韓国では有り得ない感覚のようだ。
「みんな우리という共同体のメンバー」という認識である韓国人なので、その中で一番近い存在が家族です。
それゆえ家族間の結びつきは日本人が考える以上に強い。
また上下関係も加わり成人・結婚しても親はいつまでも親で子はいつまでも子なのです。
何んでも息子にいちいち口出しをする母親、常に母親に意見を求める息子はよくドラマのシーンで見られる。
韓国には「親離れ」「子離れ」という概念が無いように思う。
こんな民族性のドラマを見ると一種の家族の絆の強さを羨ましく見えるのかもしれない。

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本当の正義とは僕には答えが見つからない

2024-12-24 05:13:58 | 日記
本当の正義とは僕には答えが見つからない

正義とは何か?少し難しい問題です。
簡単に要約すると「社会全体の幸福を実現すること」のようです。
では現代社会に於いて正義とは実現不可能なものだということになる。
世界では「正義のために戦う」という大義名分で、暴力や破壊行為、殺人が常に何処かで起きている。
暴力・破壊・殺人をする時点で、社会の秩序を乱し幸福を奪うため「正義のための戦い」などあり得ない。
今や、世界は分断化へと突き進んでいる。
では、本当の正義とは何だろうか?
本当の正義とは、暴力・破壊・殺人を避けながら、社会全体の幸福を実現することなのだろうか。
しかし完全にお互いの利害が一致することは現実としては不可能に近い。
そこで必要なのが利他の精神だと思う。
自分の損が誰かの得になっても、全体として平等と幸福が実現するなら、正しい意義があると言える。
これが、本当の正義なのかもしれない。
しかし、残念ながら、この世の中での正義とはと問われれば、僕には答えが見つからない。

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改めて体幹トレーニングの重要性を知る

2024-12-23 05:11:06 | 日記
改めて体幹トレーニングの重要性を知る
 
僕は16年前に脳幹梗塞で倒れて以来、後遺症の一つに体幹機能障害がある。
少しの動作でバランスを崩しそうになったり、長時間同じ姿勢を保つのが辛かったりする。
そもそも、体幹とは、頭部と四肢(手足)を除く胴体のことを指す。
そして体幹トレーニングとは、胴体部分を強化するためのトレーニングで、特に腹部の深層部のインナーマッスルを鍛えるトレーニングです。
体幹を鍛えることで、身体を安定化させ、バランスをとりやすく、良い姿勢を保ちやすいなど僕にとっては不可欠なトレーニングです。
一度ダメージの受けた神経細胞は、回復するのは困難とされているが、決してそんなことはない。
現に私は退院時には、数歩歩くのがやっとだったが、今では普通に歩けるし小走り程度なら可能です。
完全復活とまではいかないが、日常生活には支障のない程度まで回復しました。
これも、体幹トレーニングを続けてきたお陰だと思ってます。
今後は、加齢と共に衰えていく体力を,強化するというより、現状を如何に長く維持するかを目標に体幹トレーニングを続けていこうと思っている。

「努力して習慣化されたことを『実力』と言う」この言葉が好きです。

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これからの人生におけるパートナーの存在

2024-12-22 05:05:21 | 日記
これからの人生におけるパートナーの存在
 
老後を生きて行くのに何が必要かと考えると、やはり真っ先に思い浮かぶのはお金である。
お金は大切で、衣食住には欠かせず、無ければ生きていくのも難しい。
しかし、お金があれば様々な物やサービスを手にできるが、それが直接幸せを手にすることとは言えない。
老後を生きて行く上で本当の意味で必要なのは、パートナーとの関係である。
子供も独立して、残りの人生を楽しめるかどうかは、パートナーとの関係にかかっている。
いくらお金があっても、パートナーとの関係が悪ければ、これからの人生を楽しむことはできない。
パートナーの存在は、これからの人生を楽しく生きて行く上では大切な存在です。
お互いを尊敬して良好な関係を保つことが本当の財産かもしれない。
しかし、既に何方かが亡くなったり、別れたり、居ても形だけの関係だったりするケースも少なくない。
僕も現在パートナーはいないが、そう考えると、これからの人生に多少の寂しさはなくはない。
ただ、これから新たにパートナーを見つける気持ちはなくはないが、正直いって自信がない。
だからと言って、これからの人生を幸せで楽しく生きていけないという失望感はない。
老後になっての生き方は、個人差はあるが、尊敬できるパートナーがいることは幸せで楽しく生きていける可能性は大きいだろう。
しかし、一人身であっても、決して幸せな生き方ができないとは限らないと思っている。

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ナッジ理論

2024-12-21 03:55:51 | 日記
ナッジ理論

ナッジ理論とは、「注意や合図のためにひじで軽くつつく」「そっと後押しをする」というを意味です。
「そっと相手を望ましい方向に導き、実社会で役に立てよう」という一つの方向性として示されている理論です。
この理論は、人々が強制的にではなく、より良い選択を自発的に取れるようにする方法を生み出すために提唱されたものです。
行動経済学の一つの手法として人々の意思決定をさりげなく促すことができるという考え方です。
例えば、スーパーなどのレジの前に足跡のシールを張ってあるのは典型的なナッジ理論に基づいた例です。
有名な実例では、オランダの空港の男子トイレの便器中央下部にハエの絵を書いてあり、男性は無意識にハエを目掛けて用をたします。
結果、飛沫が少なくなり便器内が汚れなくなり清掃労力も8割軽減されたようです。現在はハチの他にサッカーゴールや弓矢の的が描かれた便器もあるようです。
駅周辺などの違法放置自転車の場所に「不要自転車です!ここに放置している自転車はご自由にお使いください」という看板を付けたら、放置自転車は殆どなくなったようです。
このようにナッジ理論は人々の行動を「そっと後押しする」ように、望ましい方向へと導く手法です。
脳の特性を活用した行動理論のため、意図を察知されることなく自然な形で人々の行動を促す効果が期待できます。
一方で、望ましくない活用の仕方をすれば、消費者を欺く結果にもなりかねません。
ナッジ理論の趣旨や本来の目的を見失うことなく、望ましい用途に活用していくことが大切です。

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