真の心の強さを持つこととは
ここで云う「真の強さ」とは勝負ごとの強さことではなく「心の強さ」のことです。
勿論、勝負ごとにも「心・技・体」という言葉があるように心の強さも大切です。
だが結果として勝っただけでは強いと云うことにはならない。
また偶然的に勝つことも、体調や環境に左右されることもあります。では「真の心の強さ」を持つということは、決心したことには諦めないということです。
諦めないとは、何度でもチャレンジすること、自分で決めたことは継続することです.
これには本人の強い意志と精神力がなければ果たすことはできない。諦めずにチャレンジしたり、継続することは簡単に思えるようだが、なかなか難しいことです。
落ち込んだ気持ちから這い上がって行くにも心の強さが必要です。
「真の心の強さ」を持つことは「諦めない」ことであり「継続する」ことです。
年を重ねると体力も気力も衰えて行くのも確かだが「真の心の強さ」は、持ち続けていきたいものです。
ありのままを受け止めて生きる
健康を害すると、どの世代でも、まず精神的に不安定になり、明るい明日を想像するのが難しくなります。
健康を害すると、どの世代でも、まず精神的に不安定になり、明るい明日を想像するのが難しくなります。
現在の生活を維持発展して抱いていた夢や目標への自信も薄れていくようになりがちです。
健康を害し容態の程度にもよるが、僕のように後遺症が一生残ってしまうと、やはり内向き思考になりがちです。
しかし年月が経つに連れて、いつまでも引きずっていても、仕方がないと考えるようになる。
ありのままを受け止めて、できる範囲でのチャレンジしていくようになる。
気持ち的にも前向きになれる時も多くなり多少不安定だが、自らの考え方次第だと自覚できるようになる。
ただ、高齢になるにつれて体力も低下するのも事実で、どの程度で折り合いを付けるかを自問自答する。
人間、生まれてから亡くなるまで病気や怪我などもなく健康で一生を生き抜けるほど幸せなことはない。
しかし、原因は別として不幸にも人生の途中で健康を害されることもある。
短期間で全快されることはベストであるが、長く患ったり、身体に障害を負っていまうような場合は、今迄の生活が一変してしまう。
それでも人間には成長する意志と知恵がある。
健康を害された方々の多くは、医師や家族や様々な人に支えられて、その後の人生を楽しく有意義に前向きに生きて行こう考えるようになる。
僕自身も現状を受け止めて、与えられた命を大切に最後まで自分らしく生きて行こうと思っているが、正直悔しさはあるのも真実です。
日本維新の会は解散せよ!
日本維新の会の不祥事は今までにも山のように発生している。
記憶に新しいのは、2024年9月に衆議院議員による中1女子生徒に性的暴行を加えたとして、不同意性交の疑いで逮捕され たのは衝撃的でした。
今回は兵庫県知事選の疑惑問題で府議会議員2名がそれぞれ、考えられない酷い行動で全く理解できない。
吉村代表も調査をしてるようだが、ろくな調査結果が出てこないのは目に見えてtいる。
除名は勿論、議員辞職も当然の不祥事です。
現在進行中の岸和田市長問題でも不祥事が発覚した時点で除名処分にしていれば市長は辞任し、市議会議員選挙は行われずに済み新たな市長選挙だけで済んでいたのを離党届を受理した形で収めてしまった。
つまり維新の会の所属議員は党員としての自覚は全くなく自分の欲求を満たすために維新と言う名前を利用したにすぎない「山犬」の集まりです。
関西(特に大阪)では,一応公認で立候補すると議員になれるチャンスは大きいので、党としても、ろくに身体検査もせず、党勢拡大のために公認を与えてきた結果です。
これだけ多くの重大不祥事を党員が起こした責任を党として取ってこなかった
ことでも代表をはじめ「山犬」の集団であることは明かで即刻、山へ帰って欲しい。
もはや、日本維新の会の存在は日本(特に関西)には、悪影響を与えるだけのもので、即刻解散するのが国民のためであると僕は強く思う。
吉村代表も調査をしてるようだが、ろくな調査結果が出てこないのは目に見えてtいる。
除名は勿論、議員辞職も当然の不祥事です。
現在進行中の岸和田市長問題でも不祥事が発覚した時点で除名処分にしていれば市長は辞任し、市議会議員選挙は行われずに済み新たな市長選挙だけで済んでいたのを離党届を受理した形で収めてしまった。
つまり維新の会の所属議員は党員としての自覚は全くなく自分の欲求を満たすために維新と言う名前を利用したにすぎない「山犬」の集まりです。
関西(特に大阪)では,一応公認で立候補すると議員になれるチャンスは大きいので、党としても、ろくに身体検査もせず、党勢拡大のために公認を与えてきた結果です。
これだけ多くの重大不祥事を党員が起こした責任を党として取ってこなかった
ことでも代表をはじめ「山犬」の集団であることは明かで即刻、山へ帰って欲しい。
もはや、日本維新の会の存在は日本(特に関西)には、悪影響を与えるだけのもので、即刻解散するのが国民のためであると僕は強く思う。
「事実」と「真実」の違いを学ぶ
「事実」と「真実」との違いは、「内容が客観的か主観的か」という点にあると言われる。
「事実」は「実際に起こった事柄」や「現実に存在する事柄」を表す。
そして常に一つです。
一方「真実」は「事実に対する嘘偽りのない解釈」を表す。
よって人によって異なる場合があります。
「事実」であっても「真実」でない場合や、「真実」であっても「事実」でない場合がある。
しかし事実と真実の違いは、単に客観的か主観的かというのは、いささか本質を欠いた解釈と言えます。
しかし事実と真実の違いは、単に客観的か主観的かというのは、いささか本質を欠いた解釈と言えます。
事実と真実の本質的な違いは用法です。
言葉について欠かせないのは、用法を考えることです。
なぜなら、言葉が表す内実は、1つとは限らないからです。
言葉には、主に2つの内実があり、それは意味と意義です。
なぜなら、言葉が表す内実は、1つとは限らないからです。
言葉には、主に2つの内実があり、それは意味と意義です。
「意味」とは、その言葉が指し示す対象(物事)を表します。
一方、「意義」とは、その言葉が背景や文脈において持つ内容を表します。
まずは、真実の意味と意義について考えます。
真実の意味は、辞書的意味で「 いつわりのない本当のこと」という抽象的な概念を指し示すものです。
真実の意味は、辞書的意味で「 いつわりのない本当のこと」という抽象的な概念を指し示すものです。
問題は意義です。
意義とは、その言葉が用いられる背景や文脈によって規定される言葉の内実です。
つまり事実と真実の違いは、そこに客観的に判断することが難しい主観的な要素が含まれているかいないかというところにあります。
「AがBの消しゴムをつかんで、持っていった」という記述を考えます。
これは事実についての記述です。
これを真実についての記述として捉えるのは難しいです。
これを真実についての記述として捉えるのは難しいです。
何故なら、ここには主観的な判断の入り込む余地が残されていないからです。しかし、次のような文の場合は、真実かどうかを問うことができます。
「AがBの消しゴムを盗むために持っていった」
この場合、盗むという観念的な行為に、当事者であるBの主観的な意識が入る余地があります。
もちろん、盗むつもりで持っていったなら、この記述内容は真実ということになります。
しかし、借りるつもりで持っていったとしたら、これは真実とは言えなくなります。
この記述には、「AがBの消しゴムを持っていった」という事実としての記述に、「盗むつもり」だったのか、「借りるつもり」だったのかという、完全には客観的に判断するのが困難な主観的要素が含まれていることがわかります。
その判断に対して、事実と一致すれば、それは真実として判断されることになるのです。
事実と真実の本当の意味を知るためには、2つの言葉の用法的観点、意味と意義の違いについて構造的におさえておく必要があります。
事実は、 世界で実際にある、または起こっている事柄、あるいは、 世界のありのままの記述内容です。
そこに、事実として表される事柄を判断する主観的要素が含まれるとき、それが 事実と一致するかどうかの真偽判定の1つの結果が真実なのです。
兵庫県知事疑惑をめぐる対立と分断
隣の兵庫県知事の疑惑問題は昨年3月に知事のパワハラなど県職員の公益通報が発端で一年後の現在も次々に知事に対する疑惑が発生し未だ解決に至っていない。
その間、不信任による失職に伴う出直し選挙、選挙中の「二馬力」や公選法違反疑惑、内部文書漏洩事件、謎の第三者調査委員会など次々と問題が起こり、その間三名の犠牲者も出てしまっている。
結局は知事選中からの知事サイトと反知事サイトの対立が根底に兵庫県の分断に発展する危機にある。
このような状態では県政は停滞し、しいては県民へのサービスも低下してしまう。
結局は知事選中からの知事サイトと反知事サイトの対立が根底に兵庫県の分断に発展する危機にある。
このような状態では県政は停滞し、しいては県民へのサービスも低下してしまう。
現在もSNSによるデマの拡散や誹謗中傷等で止まる所を知らない 。
今後の地方自治体行政に於いて市民・県民も選挙の時ばかりでなく、常に情報を冷静に判断できる力を身に付ける必要があるでしょう。
現在の兵庫県の状況は詰まる所、県民の民意が作り上げたものだと言えるのです。
昨日、市長が失職した大阪岸和田市長の出直し選挙も市民の良識の民意が試される注目の選挙です。
今後の地方自治体行政に於いて市民・県民も選挙の時ばかりでなく、常に情報を冷静に判断できる力を身に付ける必要があるでしょう。
現在の兵庫県の状況は詰まる所、県民の民意が作り上げたものだと言えるのです。
昨日、市長が失職した大阪岸和田市長の出直し選挙も市民の良識の民意が試される注目の選挙です。