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「耄碌寸前」 森 於菟

2014年09月03日 00時37分59秒 | 健康・老いについて
 「耄碌(もうろく)寸前」 森 於菟 (1890~1967)医学者、森鴎外の長男。

 私は自分でも自分が耄碌(もうろく)しかかっていることがよくわかる。記憶力はとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらもあやしいものである。時には人の話をきいていても異常に眠くなり、話し相手を怒らしてしまうことすらある。

 「私はもう耄碌しかかっているのでう、このあわれな老人をそっと放置しておいて下さい」といっても世間の人々は時に承知せず、ただ赤児のように眠りたい老人を春日の好眠からたたき起こそうとするのだ。私は本年とって数え年の73、世間ではまだまだはなばなしく活躍している人もいる。またある私大の医学部長を定年退職した私に、お世辞には違いないが、「今から好きな研究がお出来になりますね。ご自分の研究所をお建てになりますか」などと言ってくるるものもある。しかしながら私は自分の頭脳状態が研究どころではないことを知っている。今から老いの短日を過ごすために、世間の老人並に草花をいじろうと思っても、その草花の名がおぼえられるかすら覚つかない。暇つぶしに人の好んでやる碁将棋の類は天性甚だ不得手で慰みにならない。どうやら、これからの私は家族の者にめいわくをかけないように、自分の排泄機能をとりしまるのがせい一杯であるらしい。

 中略

 私は医学を学んだ者である限り、人間の宿命を知っている。凋落を必至とする肉体の上に芽生えた精神の宿命を知っている。大脳機能がおとろえをみせはじめたときの思考の混乱と低迷はいかなる天才といえどもまぬがれがたいのだ。天才は夭折すべきである。相撲の横綱にも引退ぎわが大切なように、知能の横綱にも退きどきというものがある。

 中略

 その点私は自分が凡庸の生まれつきであることは本当に幸せと思う。若くして才気煥発だった人が顔をそむけたくなるほどの老醜をさらすのは同情に価するが、そこは私は気が楽である。私は世間になんらのきがねもいらない。安んじて耄碌現象を辿ろうと思う。そして人生の下り坂の終着駅たる墓場に眠る日を待つのだ。

 私はある種の老人のように青年たちから理解されようとも思わない。また青年たちに人生教訓をさずけようとも思わない。ただ人生を茫漠たる一場の夢と観じて死にたいのだ。そして人生は模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌状態が一番よい。というのはあまりにも意識化され、輪郭の明かすぎる人生は死を迎えるにふさわしくない。活動的な大脳が生み出す鮮烈な意識の中に突如として訪れる死はあまりにも唐突すぎ、悲惨である。そこには人を恐怖におとしいれる深淵と断絶とがある。人は完全なる暗闇に入る前に薄明かりの中に身をおく必要があるのだ。そこでは現実と夢とがないまぜになり、現実はその特徴であるあくどさとなまぐささとを失い、一切の忘却である死をなつかしみ愛撫しはじめる。すでに私の老化した頭の中では人生はその固有の生々しさの大部分を失いはじめている。ざらざらしたあるいは軟らかな現実の手ざわりや血のにおいのする愛着もない。それは実質を失いほとんど形骸であるイメージになりかけている。つまり人生の実質である肉はなくなり、人生の剥製のみが人間界の名残を伝えているだけだ。つらつら思うに人生はただ形象のたわむれにすぎない。人生は形象と形象が重なりあい、時には図案のような意味を偶然に作り出しては次の瞬間には水泡のようにきえてゆく白昼夢である。

 中略

 老人は狂人の夢を見果てない。現実を忘れるどころか、この調子では死ですら越えて夢見そうである。私は死を手なづけながら死に向かって一歩一歩近づいていこうと思う。若い時代には恐ろしい顔をして私をにらんでいた死も、次第に私に馴れ親しみはじめたようだ。私は自分がようやく握れた死の手綱を放して二度と苦しむことがないように耄碌の薄明かりに身をよこたえたいと思う。若者たちよ、諸君がみているものは人生ではない。それは諸君の生理であり、血であり、増殖する細胞なのだ。諸君は増殖する細胞を失った老人にとって死は夢の続きであり、望みうる唯一の生かもしれないと一度でも思ったことがあるだろうか。若者よ、諸君は私に関係がなく、私は諸君に関係がない。私と諸君との間には言葉すら不要なのだ。

 所載「老いの生き方」 鶴見俊輔  筑摩書房 1988年
 底本 「群像」 1961年 6月号