民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「足し算か引き算か」 その6

2014年09月15日 00時18分27秒 | 雑学知識
 中島敦と身体のふしぎ ネットより http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/nakajima.html

 「足し算か引き算か」 ―『名人伝』に見る教育 その6

 わたしたちは、意識があまりにひとつのことに向きすぎるとき、こういう言葉を使って、行き過ぎを抑えようとする。

 視野が狭くなる。
 まわりが見えなくなる。
 聞く耳を持たない。

 こういうことを考えていくと、「集中」というのは、全身の感覚が一点に集まるということではないように思えてくる。

 わたしたちは、何かを夢中になってやっているときでも、ほかのものを見、ほかの音も聞いている。そういうときは「目に入る」「耳に入る」のような言い方をして、「見る」「聞く」とは隔てているわけだが、実はやはり見もし、聞きもし、匂いを嗅ぎ、あるいは舌が味わうのは自分の唾液だけかもしれないが、なにかを味わい、体のさまざまな部分がさまざまなものに触れているのを感じている。感じているが、そこに意識は向かっていない。

 このように、ちょうど、個々の楽器の音色を聞きつつ、そのどれにも意識を向けず、オーケストラ全体として聞いているときのように、見ることを意識せずに見、聞くことを意識せずに聞く、という、五感の意識がすべて「意識しないでいられる状態」というのが、もっとも集中した状態といえるのではないか。最高の力を解き放つ瞬間というのは、そういう状態ではないかと思うのだ。