「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」 正岡子規 著 角川ソフィア文庫 平成21年
(明治34年)10月26日 晴
「この頃の容体及び毎日の例」 P-130
病気は表面にさしたる変動はないが次第に体が衰えて行くことは争われぬ。膿の出る口は次第にふえる、寝返りは次第にむつかしくなる。衰弱のため何もするのがいやでただぼんやりと寝て居るようなことが多い。
腸骨(ちょうこつ)の側に新たに膿の口が出来てその近辺が痛む、これが寝返りを困難にする大原因になって居る。右へ向くも左へ向くも仰向けになるもいずれにしてもこの痛所を刺激する、咳をしてもここにひびき泣いてもここにひびく。
包帯は毎日一度取り替える。これは律(子規の妹)の役なり。尻のさきももっとも痛くわずかに綿を以って拭うすらなお疼痛を感ずる。背部にも痛き箇所がある。それ故包帯取替えは余に取っても律に取っても毎日の一大難事である。この際に便通ある例で、都合四十分ないし一時間を要する。
肛門の開閉が尻の痛所を刺激するのと腸の運動が左腸骨辺の痛所を刺激するのとで便通が催された時これを猶予するの力もなければ奥の方にある糞をりきみ出す力もない。ただその出るに任するのであるから日に幾度あるかも知れぬ。従って家人は暫時も家を離れることが出来ぬのは実に気の毒の次第だ。
睡眠はこの頃善く出来る。しかし体の痛むため夜中幾度となく目をさましてはまた眠るわけだ。
歯茎から出る膿は右の方も少しも衰えぬ。毎日幾度となく綿で拭い取るのであるが体の弱って居る日は十分に拭い取らずに捨てて置くこともある。
物を見て時々目がちかちかするように痛むのは年来のことであるが先日逆上以来いよいよつよくなって新聞などを見るとすぐに痛んできて目をあけて居られぬようになった。それで黒眼鏡をかけて新聞を読んで居る。
朝々湯婆(たんぽ)を入れる。熱出ぬ。小便には黄色の交わり物あること多し。
食事は相変わらず唯一の楽しみであるがもう思うようには食われぬ。食うとすぐ腸胃が変な運動を起こして少しは痛む。食うたものは少しも消化せずに肛門へ出る。
さしみは醤油をべたとつけてそれを飯または粥の上にかぶせて食う。
佃煮も飯または粥の上に少しずつ置いて食う。
歯は右の方にて噛む。左の方は痛くて噛めぬ。
朝起きてすぐ新聞を見ることをやめた。目をいたわるのじゃ。人の来ぬ時は新聞を見るのが唯一のひまつぶしじゃ。
食前に必ず葡萄酒(渋いの)一杯飲む。クレオソートは毎日二号カプセルにて六粒。
(明治34年)10月26日 晴
「この頃の容体及び毎日の例」 P-130
病気は表面にさしたる変動はないが次第に体が衰えて行くことは争われぬ。膿の出る口は次第にふえる、寝返りは次第にむつかしくなる。衰弱のため何もするのがいやでただぼんやりと寝て居るようなことが多い。
腸骨(ちょうこつ)の側に新たに膿の口が出来てその近辺が痛む、これが寝返りを困難にする大原因になって居る。右へ向くも左へ向くも仰向けになるもいずれにしてもこの痛所を刺激する、咳をしてもここにひびき泣いてもここにひびく。
包帯は毎日一度取り替える。これは律(子規の妹)の役なり。尻のさきももっとも痛くわずかに綿を以って拭うすらなお疼痛を感ずる。背部にも痛き箇所がある。それ故包帯取替えは余に取っても律に取っても毎日の一大難事である。この際に便通ある例で、都合四十分ないし一時間を要する。
肛門の開閉が尻の痛所を刺激するのと腸の運動が左腸骨辺の痛所を刺激するのとで便通が催された時これを猶予するの力もなければ奥の方にある糞をりきみ出す力もない。ただその出るに任するのであるから日に幾度あるかも知れぬ。従って家人は暫時も家を離れることが出来ぬのは実に気の毒の次第だ。
睡眠はこの頃善く出来る。しかし体の痛むため夜中幾度となく目をさましてはまた眠るわけだ。
歯茎から出る膿は右の方も少しも衰えぬ。毎日幾度となく綿で拭い取るのであるが体の弱って居る日は十分に拭い取らずに捨てて置くこともある。
物を見て時々目がちかちかするように痛むのは年来のことであるが先日逆上以来いよいよつよくなって新聞などを見るとすぐに痛んできて目をあけて居られぬようになった。それで黒眼鏡をかけて新聞を読んで居る。
朝々湯婆(たんぽ)を入れる。熱出ぬ。小便には黄色の交わり物あること多し。
食事は相変わらず唯一の楽しみであるがもう思うようには食われぬ。食うとすぐ腸胃が変な運動を起こして少しは痛む。食うたものは少しも消化せずに肛門へ出る。
さしみは醤油をべたとつけてそれを飯または粥の上にかぶせて食う。
佃煮も飯または粥の上に少しずつ置いて食う。
歯は右の方にて噛む。左の方は痛くて噛めぬ。
朝起きてすぐ新聞を見ることをやめた。目をいたわるのじゃ。人の来ぬ時は新聞を見るのが唯一のひまつぶしじゃ。
食前に必ず葡萄酒(渋いの)一杯飲む。クレオソートは毎日二号カプセルにて六粒。