「徒然草 REMIX」 酒井 順子 新潮文庫 2014年(平成26年)
「女」 P-30
兼好法師は、モテたのか?
・・・と考えてみますと、結構モテたのではないか、と私は思う者です。30歳前後で出家をした身とはいうものの、出家前の若い頃は色々とあったようにうかがえるし、はたまた出家後も、女とのまじわりを禁じられた身だからこそにじみ出る色気というのもあったのではないか。
中略
女性は、大好き。しかし女性は我を忘れるほど自分を夢中にさせるからこそ、そんな女性が憎い。女性に対する兼好の視線は、このように愛憎半ばするものです。
中略
「これほどまでに男に男に気を遣わせる女というものが、どれほど素晴らしいものかと思えば、女の本性というのはみーんな、歪んでいる。我執の念が深く、欲望は果がなく、物の理を知らず、心は迷走ばかりして、言葉は巧みに、言ってよいことでも聞かれればはぐらかす。かといって、口を慎んでいるのかと思うと、聞かれもしないのにとんでもないことまで話し出す。深く考えてつくろった事は、男の知恵にもまさるかと思えるけれど、結局はつくろったことが後からバレるのを知らないのだ。素直でなく愚かなのが、女というものなのだ」
と、もう「これでもか」というくらいの罵詈雑言。結論としては、
「そんな女から気に入られるようにするなど、何と情けないことか。だから、どうして女に気を遣う必要があろうか。もし賢い女というのがいるのであれば、それもまた親しみにくく、興醒めであろうし。ただ迷いに身を任せて女の心に従う時だけ、優しくも面白くも思えるのではないの? 」
ということなのでした。
女に対する罵詈雑言の羅列部分を読んでいると、「別にここまで言わずとも」と、ムッとしてくるのです。しかし最後まで読むと、「兼好さんの気持ちもわかる気がする・・・」と、思えてくる。自分のことを考えても、異性との付き合いの中で男性の駄目さ加減が嫌というほど見えてきて、イライラが募って絶望に達することがあるわけですが、兼好はその逆の立場にいたのでしょう。
兼好はその人生の中でずっと、「女というのは、なんて自分とは違う生きものなのであろう」という女性に対する違和感と、その「自分と違う生きもの」であるが故に女に強く惹かれてしまう気持ちと、二つの気持ちの間で揺れていたのだと思います。
中略
他人の悪いところが見えすぎるほどに見える人であるが故に、彼は女性と交際する度に、女の駄目さ加減が目について仕方がなかったのだと思います。彼は、あくまで自分を客観視する人ですから、冒頭に記した第105段の男女のように、女と付き合うのであれば、自分たちはあくまで美しい二人でありたかった。
しかし現実は、「女の本性はみーんな、歪んでいる」し、そんな本性がわかってるのに夢中になってしまう自分も嫌。「迷いに身を任せて女の心に従う時」だけが面白い、とするのは、そんな彼が出した結論なのでしょう。
「女」 P-30
兼好法師は、モテたのか?
・・・と考えてみますと、結構モテたのではないか、と私は思う者です。30歳前後で出家をした身とはいうものの、出家前の若い頃は色々とあったようにうかがえるし、はたまた出家後も、女とのまじわりを禁じられた身だからこそにじみ出る色気というのもあったのではないか。
中略
女性は、大好き。しかし女性は我を忘れるほど自分を夢中にさせるからこそ、そんな女性が憎い。女性に対する兼好の視線は、このように愛憎半ばするものです。
中略
「これほどまでに男に男に気を遣わせる女というものが、どれほど素晴らしいものかと思えば、女の本性というのはみーんな、歪んでいる。我執の念が深く、欲望は果がなく、物の理を知らず、心は迷走ばかりして、言葉は巧みに、言ってよいことでも聞かれればはぐらかす。かといって、口を慎んでいるのかと思うと、聞かれもしないのにとんでもないことまで話し出す。深く考えてつくろった事は、男の知恵にもまさるかと思えるけれど、結局はつくろったことが後からバレるのを知らないのだ。素直でなく愚かなのが、女というものなのだ」
と、もう「これでもか」というくらいの罵詈雑言。結論としては、
「そんな女から気に入られるようにするなど、何と情けないことか。だから、どうして女に気を遣う必要があろうか。もし賢い女というのがいるのであれば、それもまた親しみにくく、興醒めであろうし。ただ迷いに身を任せて女の心に従う時だけ、優しくも面白くも思えるのではないの? 」
ということなのでした。
女に対する罵詈雑言の羅列部分を読んでいると、「別にここまで言わずとも」と、ムッとしてくるのです。しかし最後まで読むと、「兼好さんの気持ちもわかる気がする・・・」と、思えてくる。自分のことを考えても、異性との付き合いの中で男性の駄目さ加減が嫌というほど見えてきて、イライラが募って絶望に達することがあるわけですが、兼好はその逆の立場にいたのでしょう。
兼好はその人生の中でずっと、「女というのは、なんて自分とは違う生きものなのであろう」という女性に対する違和感と、その「自分と違う生きもの」であるが故に女に強く惹かれてしまう気持ちと、二つの気持ちの間で揺れていたのだと思います。
中略
他人の悪いところが見えすぎるほどに見える人であるが故に、彼は女性と交際する度に、女の駄目さ加減が目について仕方がなかったのだと思います。彼は、あくまで自分を客観視する人ですから、冒頭に記した第105段の男女のように、女と付き合うのであれば、自分たちはあくまで美しい二人でありたかった。
しかし現実は、「女の本性はみーんな、歪んでいる」し、そんな本性がわかってるのに夢中になってしまう自分も嫌。「迷いに身を任せて女の心に従う時」だけが面白い、とするのは、そんな彼が出した結論なのでしょう。