「徒然草 REMIX」 酒井 順子 新潮文庫 2014年(平成26年)
その7 「老い」 P-68
最近の日本においては、長生きを良いこととしない風潮が強まっているように思います。「いつまでも生きてしまって、お金がなくなってみじめな思いをするのが恐怖¥い」「長生きして、子供に迷惑をかけたくない」「ほどほどのところで、ぽっくり死にたい」と、初老の人は口々に言うもの。
昔は、長生きは目出度いことだったのです。しかし90代まで生きる人も全く珍しくない今、「生きたくないのに生きてしまっている人」や、「周囲から長生きを寿(ことほ)がれない人」の姿を目にしてしまうと、私たちは長寿に対する恐怖を感じるのでした。
兼好が生きた時代は、長生きが目出度いとされていた時代だと思います。医療は発達しておらず、子供の死亡率は今よりもうんと高かった。長生きできるというのは、とてもラッキーなことだったのですから。
(中略)
年をとってしまった兼好は、自らが老いているということに対して、忸怩たる気分を抱いているようです。第113段には、「40歳を過ぎて色事があったとしても、一目を忍んでいる場合はまぁしょうがないにしても、それを口に出して言ったりするのは、大人気なくて、みっともない」としてあります。「いくつになっても恋をしていたい」「一生、セックス」みたいな現代の風潮とはまるで違う感覚なのであり、「40過ぎたら、もしやるとしてもコッソリしてろ」ということなのです。
それに続き、「老人が、若者に交じって、ウケを狙って話していたりするのは、「すごく見苦しい」とも兼好は書いています。これも、「若い人と積極的に話して、エネルギーをもらいましょう」みたいな今の風潮とは真逆のこと。
兼好は、自らの老いを自覚しようとしない人を、嫌うのです。
(後略)
その7 「老い」 P-68
最近の日本においては、長生きを良いこととしない風潮が強まっているように思います。「いつまでも生きてしまって、お金がなくなってみじめな思いをするのが恐怖¥い」「長生きして、子供に迷惑をかけたくない」「ほどほどのところで、ぽっくり死にたい」と、初老の人は口々に言うもの。
昔は、長生きは目出度いことだったのです。しかし90代まで生きる人も全く珍しくない今、「生きたくないのに生きてしまっている人」や、「周囲から長生きを寿(ことほ)がれない人」の姿を目にしてしまうと、私たちは長寿に対する恐怖を感じるのでした。
兼好が生きた時代は、長生きが目出度いとされていた時代だと思います。医療は発達しておらず、子供の死亡率は今よりもうんと高かった。長生きできるというのは、とてもラッキーなことだったのですから。
(中略)
年をとってしまった兼好は、自らが老いているということに対して、忸怩たる気分を抱いているようです。第113段には、「40歳を過ぎて色事があったとしても、一目を忍んでいる場合はまぁしょうがないにしても、それを口に出して言ったりするのは、大人気なくて、みっともない」としてあります。「いくつになっても恋をしていたい」「一生、セックス」みたいな現代の風潮とはまるで違う感覚なのであり、「40過ぎたら、もしやるとしてもコッソリしてろ」ということなのです。
それに続き、「老人が、若者に交じって、ウケを狙って話していたりするのは、「すごく見苦しい」とも兼好は書いています。これも、「若い人と積極的に話して、エネルギーをもらいましょう」みたいな今の風潮とは真逆のこと。
兼好は、自らの老いを自覚しようとしない人を、嫌うのです。
(後略)