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「徒然草 REMIX」 その10 酒井 順子

2016年03月17日 00時06分26秒 | 古典
 「徒然草 REMIX」 酒井 順子 新潮文庫 2014年(平成26年)

 その7 「老い」 P-68

 最近の日本においては、長生きを良いこととしない風潮が強まっているように思います。「いつまでも生きてしまって、お金がなくなってみじめな思いをするのが恐怖¥い」「長生きして、子供に迷惑をかけたくない」「ほどほどのところで、ぽっくり死にたい」と、初老の人は口々に言うもの。

 昔は、長生きは目出度いことだったのです。しかし90代まで生きる人も全く珍しくない今、「生きたくないのに生きてしまっている人」や、「周囲から長生きを寿(ことほ)がれない人」の姿を目にしてしまうと、私たちは長寿に対する恐怖を感じるのでした。

 兼好が生きた時代は、長生きが目出度いとされていた時代だと思います。医療は発達しておらず、子供の死亡率は今よりもうんと高かった。長生きできるというのは、とてもラッキーなことだったのですから。

 (中略)

 年をとってしまった兼好は、自らが老いているということに対して、忸怩たる気分を抱いているようです。第113段には、「40歳を過ぎて色事があったとしても、一目を忍んでいる場合はまぁしょうがないにしても、それを口に出して言ったりするのは、大人気なくて、みっともない」としてあります。「いくつになっても恋をしていたい」「一生、セックス」みたいな現代の風潮とはまるで違う感覚なのであり、「40過ぎたら、もしやるとしてもコッソリしてろ」ということなのです。

 それに続き、「老人が、若者に交じって、ウケを狙って話していたりするのは、「すごく見苦しい」とも兼好は書いています。これも、「若い人と積極的に話して、エネルギーをもらいましょう」みたいな今の風潮とは真逆のこと。
 兼好は、自らの老いを自覚しようとしない人を、嫌うのです。

 (後略)