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「本居宣長の生涯」 吉田 悦之

2016年03月23日 00時12分20秒 | 古典
 「日本人のこころの言葉 本居宣長」 吉田 悦之(本居宣長記念館館長) 創元社 2015年

 「本居宣長の生涯」 P-168

 本居宣長は、江戸時代中頃、18世紀を生きた人です。
 伊勢の国松坂(三重県松坂市)で医者を開業しながら、日本の古典や言葉を研究することで、日本人とはいったい何か、日本とはどういう国なのかを考え続けました。
 日本人論や日本論は、常に問い直される、また誰でも一度は考える問題ですが、宣長の方法は一貫していました。

 まず、宣長は日本人という立ち位置で考えました。それまでの多くの人は残念ながら、儒教とか仏教など外国の価値観や思想に依存しながら説明を試み、判断していたのです。宣長は違います。日本の古典を読み込み、そこで使用される言葉を武器に日本人の思考方法を採り、予断を極力廃し、限りなくゼロの地点にまで遡って問題を考えていきます。
 たとえば、私たちは文字を使用して自分の考えを表明し、また人の意見を知ります。記録や報告にも文字が必要です。しかし宣長は、私たちの祖先が文字を使わなかった時代、つまり声の時代に照準を合わせます。文字があって当たり前なのだろうか、というところからまず考えるのです。
 (中略)
 大前提からもう一度考え直したのが宣長なのです。先入観とか、宣長の言う「漢意(からごころ)」というサングラスを外してみると、日本文化史の景色がすっかり変わってしまったのです。
 たとえば、「中国と日本では歴史も国民性も違う」、「日本文化の根底には稲作がある」、「『源氏物語』は名作だ」、「漢字の使用にはプラス面もあるがマイナスもある」などということは、宣長が従来の常識を疑い、調べ直すことで発見したことなのです。
 もちろん、大本まで遡って究明するということは大変だったでしょう。しかし、それを行う宣長は楽しくてしかたなかったようです。そんな宣長が歩んだ72年の人生をたどってみることにします。