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「徒然草 REMIX」 その8 酒井 順子

2016年03月13日 22時04分14秒 | 古典
 「徒然草 REMIX」 酒井 順子 新潮文庫 2014年(平成26年)

 その5 「わびし」その1 P-63

 前略

 ここで兼好が「わびし」としているのは、「俺はこんな風にスゴイけど、あの人はあんな風にダメだよね」という風に自分を引き合いに出す言い方なのでしょう。相手を貶(おとし)めることによって自分の優位性を確認するような行為を兼好は「ダッセー」と思ったのではないか。

 しかし同時に、「俺はこんな風にダメだけれど、その点あの人はスゴイよね」という風に自分を引き合いに出すやり方も、兼好はあまり好まなかったのかもしれません。あえて自己評価を低くして誰かを持ち上げることの臭みをも、兼好は感じ取ったに違いないのですから。

 会話というのは、センスです。話し方にその人の「品」というものが表れてしまうのは、なにも言葉使いにおいてだけではない。「ちょっと出掛けただけでも、今日あったことを息つく暇なく話したりする」人の品の無さ、という記述を見ると、今の世のブログやツイッターにおける「こんなに素敵な、私の毎日の暮らし」アピールを見たら、兼好さんは何と言うか・・・と、思うものです。

 兼好にとって、「俺が」「私が」という自己アピールは、「わびし」いもの、つまりダサいのです。誰かから美点を発見されるのはやぶさかでないけれど、「俺を発見しろ!」と主張する人を見ると、「わびし」となる。