こちらのエントリからの続き。
Agnolo Gaddiの「聖十字架伝説」の詳細。
エデンの園でアダムが犯した罪(原罪)の罰として
アダムは永遠の命を享受する権利を失い、
限られた命の終焉を迎えます。
アダムの息子セツは父の死に際して
お清めをするために使うアブラを求めて
エデンの園に向かいますが、
途中で大天使ミカエルと出会い
一本の木の枝を与えられます。
この木を携えて急いでアダムの元に戻りますが、
辿り着いたときにはすでにアダムは息を引き取ったあと。
セツはその遺体の口に授かった木を植えたのです。
『この画面は最上部に描かれていて
通常では細部まではまったく確認不可能。
足場が組まれた現在も
そこまでは上らせてもらえないのですが
かなり近くから観察することができます。
本当に口の上に木を植えているのも確認!』
やがてこの木は立派に成長し
ソロモン王の時代になって
神殿建設用の木材として使われることになります。
しかし、長すぎたり短すぎたりで
なかなか寸法が合わず
思うように使うことができなかったので
結局は神殿前の川にかける橋として利用。
ソロモン王を訪ねてきたシバの女王が
その橋の前に立ったとき
独特の感性によって彼女はその橋に使われている木が
やがて後の時代に「救世主を殺す木」となることを予見し
その場に跪いて祈りを捧げます。
ソロモン王に謁見した時に彼女はその詳細を告げ、
それを聞いたソロモン王は
その木を地中深く埋めるよう命じました。
長い時が経ち
人々がその事実を忘れてしまったころに
ちょうど木を埋めた場所に
神殿に捧げる犠牲獣を洗うための
貯め池を掘ることが決定し
池を掘り出したところ水が吹き上げてきます。
この水は万病に効く霊水だといわれ崇められたりもします。
やがてキリストの受難が近づくと
その木がこの池にふわりと浮かび上がってきます。
そしてシバの女王の予見どおり
引き揚げられたその木を使って
磔刑用の十字架が作られたのです。
『この画面では当時の日常的な
大工仕事の様子が描かれています。
このシーンの中で使われている大工道具は
画家が実際に街中でデッサンしたものであることも
確認されているのだそうです。
背景にはフィレンツェの当時の様子が描きこまれていて
病院で治療する人々が描かれていたりします。
まだ遠近法が
きちんと確立していない時代に描かれたということも
描かれている建物の様子から窺い知れます。』
4世紀の初めになるとローマ帝国の統治権をめぐって
ミルヴィオ橋の戦いで
コンスタンティヌスがマクセンティウスと闘います。
闘い前夜、天使からの夢のお告げで
勝利を約束されたコンスタンティヌス。
実際に「十字架」の印を掲げて奇蹟的に勝利します。
『下方からはまったく確認できませんが
足場の至近距離で見ると見えるものが色々。
この画面の右側に川が流れているのですが
その川の中に『カニ』らしき生き物と
カブトガニのような奇妙な魚が描かれています。
これは結構楽しい。』
こうしてコンスタンティヌスはローマ帝国皇帝となり
キリスト教を公認します。
彼の母ヘレナは熱心なキリスト教信者で
エルサレムに巡礼して聖なる十字架を発見します。
ゴルゴタの丘で発見された三本の十字架のうちの
どれがキリストの十字架であるかを検証するために
通りがかりの葬列の上にかざし、
死者を蘇らせた最後の十字架こそが
真の「聖十字架」であると判明します。
『この画面の背景はかなりマンガチック。
自然の中で暮らすフランチェスコ会の
信者の生活が描かれています。
森の中にはウサギやリス、ライオン、
川には鴨も描かれています。』
614年になるとササン朝のペルシア王ホスロー二世が
エルサレムを攻め込み
聖十字架はペルシャの王の手に渡ってしまいます。
キリストの十字架を手に入れたペルシャ王は
自分を神と呼ぶように命じます。
この暴挙に対して
628年に東ローマ皇帝ヘラクリウスが
大軍を率いて進撃し勝利を収めます。
戦いに敗れ、改宗を拒否したペルシャ王は
容赦なく首をはねられます。
『はね落とされた首が非常にリアル。』
聖十字架を奪還した皇帝ヘラクリウスが
聖十字架をエルサレムに返却するために
凱旋よろしく城門に近づくと、天使が現れて警告を発します。
キリストはエルサレムに入城したときには
ロバに乗っていて質素な衣類に身を包んでいたのだと諭されると
皇帝は自分が乗っていた愛馬から下りて
豪華な衣装も脱ぎ捨てて
謙虚になり聖十字架のみを捧げて入城。
こうして彼はエルサレム市民に歓迎されたのです。
というお話なのですね。
フレスコ画の技法は
漆喰が乾かないうちに描き切るのが原則。
一日で一人で描けるのは
人物の顔一人分か人物の体一人分、
もしくは動物一頭か背景くらいなのだそうです。
1000平方メートルを描くのに10年費やしたのも納得。
そして下の壁を汚しかねないので
常に上層部から描いていくのが鉄則。
25メートルの高さまで毎日上るだけでも大変だよ…。
昔の画家はかなり肉体労働だったのだなぁ。