先日、池上の大行寺を訪れた時に、「宗祖涅槃図」という版画を購入しました。
日蓮聖人ご入滅の際の池上宗仲邸の様子を詳細に表したものなんですが、
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いやはや、あまりに大勢すぎて目がチカチカします。
また、一人ひとりがビッグネーム過ぎます。
その中に、星下りのご霊跡の本間重連公の後ろあたりに、その方はいました。
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「遠州 金原法橋」
・・・実は僕、この方の名前、以前どこかで見たことありました。
う~ん・・・どこでだったかな~?
遠州、遠州・・・
そうだ!!浜松!!浜松のお寺!!!
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JR浜松駅から一つ東京寄りの天竜川駅近くにある「妙恩寺」です。
実は僕の妻のおじいちゃんおばあちゃんが眠っているお墓が、このお寺にあるのです。
1月末、おじいちゃんの命日にお墓参りに行ってきました!
確か、このお寺はもともと金原法橋さんの屋敷だったような・・・
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やっぱそうだ!
日蓮聖人がご入滅してまだ30年も経っていない1311年、金原法橋公を開基檀越として、日蓮聖人の弟子・日像上人が開山した古刹です。
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近くに旧東海道が走っています。
周囲には一般の住宅にも松が多く植えられていて、落ち着いた街並みです。
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お寺から少し離れた一般のお宅の一角に題目法塔がありました。
昔の寺域がとても広かったことが窺えます。
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側面には「日像菩薩開基」
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草創600年を記念して建てられた法塔がありますが、これですら100年以上経ってます。
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山号は「長光山」です。
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本堂です。
丸瓦のストライプが美しい・・・
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開山堂です。
ここ妙恩寺は日像上人が開山しました。
日像上人といえば、日蓮聖人のご遺命であった京都での寺院建立を、苦労して果たした方として有名です。
日像上人は1294年に上洛し、辻説法を行い、各宗派から迫害を受け、京都から一時は追放されながらも、最終的には後醍醐天皇から寺領を賜り、1321年に妙顕寺を建立しました。
のちに妙顕寺は勅願寺になりました。お寺を建てる事を許されるまで27年・・・大変だったんですね。
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その27年の間に、妙恩寺は開山されました。
金原法橋公は現在の市川市の生まれで、父親の姉が日蓮聖人の生母・妙蓮(梅菊御前)さんといわれています。
また、金原法橋公の母親は妙蓮さんと同じ清原家の血筋、更に、お兄さんは日蓮聖人を物心両面で支え続けた曽谷教信公・・・と、日蓮聖人とはとてもとてもご縁が深かった方のようです。
長年、日蓮聖人の関東での布教をお助けしていましたが、のちに遠江国(浜松付近)の地頭に赴任することを機に、移り住んだようです。
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お寺の200m西に、金原法橋公がこよなく愛した松があります。
「法橋の松」は何と現役!樹齢700年をゆうに越えます。
至るところを治療されながら、それでも頑張って往事の雰囲気を我々に伝えてくれています。
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現在は境内に二代目がすくすく育ってます。
話を戻しましょう。
日像上人は京都での布教の状況を、日朗上人に報告するために鎌倉に向かっていました。
一方、日像上人の姉(妹という説もあるそうです)の妙恩尼は難航する弟の布教を助けようと京都に向かっていました。
この姉弟がそれぞれ旅の途中に、浜松の金原邸に立ち寄ったことで、日像上人、妙恩尼が偶然に再会することができたそうです。
この縁が妙恩寺のはじまりのようです。
さきほどの開山堂は、日像上人のご遺徳を称えるお堂、ということです。
一方、妙恩寺は徳川家康との関わりでも有名です。
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三方原の戦いの前哨戦、「一言坂の戦い」で武田信玄に敗れた家康は妙恩寺に逃げ込みました。
この時に家康を天井裏に隠し、給仕したそうで、この功績で妙恩寺は徳川家に篤く保護されてきたそうです。
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清正堂です。
熱心な日蓮宗信者であった加藤清正公を祀ってあります。
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妙恩寺の12代目のご住職が加藤清正公の子であったご縁だそうです。
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白い幕に染め抜かれた家紋は、右に徳川家の葵の紋、左に加藤家の蛇の目の紋です。
いろんな意味で由緒あるお寺です。
そうそう、家紋といえば、先日菩提寺のお上人とお話しした時、日蓮宗の宗紋「井桁に橘」のルーツは、浜松や袋井の井伊家の家紋「丸に橘」「井桁」にあるかもしれない、という興味深いことを仰っていました。
もう少し、詳しく歩いてみる必要がありそうです。浜松!