山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

此比まで失せざらん花こそ

2005-02-10 00:17:12 | 文化・芸術
ichibun98-1127-001-1

風姿花伝にまねぶ-<8>

<四十四、五>

 此の比よりは、能の手立、大方替るべし。
 たとひ、天下に許され、能に得法(トクホウ)したりとも
 それにつきても、よき脇の為手(シテ)を持つべし。
 能は下らねども、力なく、やうやう年闌(タ)け行けば
 身の花も、よそ目の花も、失するなり。 
    (-略-)
 もし此の比まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ。
 それは、五十近くまで失せざらん花を持ちたる為手ならば
 四十以前に、天下の名望得つべし。
 たとひ天下の許されを得たる為手なりとも
 さやうの上手は、殊に我身を知るべければ、猶々脇の為手を嗜(タシナ)み
 さのみに身を砕きて、難の見ゆべき能をばすまじきなり。
 かやうに我身を知る心、得たる人の心なるべし。


先ず念頭に置かれているのは、四十代半ば以降は、十七、八の変声期ともまた異なる曲り角だということだ。
天下に名望の名手といえども、下り坂に向かうこの時期にはとりわけ、「よき脇の為手」たる達者な助演者が大切だというのである。
この指摘は要点を押さえたものといえる。
年を古にしたがい、往年の力なく、身の衰えにだんだんと進みゆく時期なれば、
身についた花も、よそ目の花も、消滅してゆくのが定めなのだが、
この「よそ目の花」がなくなったのちにこそ、「まことの花」を有する芸人か否かが明らかとなる訳で、
「もし此の比まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ」の一行は、
芸の道を歩む者の真価を問う厳然とした言といえるだろう。


  参照「風姿花伝-古典を読む-」馬場あき子著、岩波現代文庫