<歩々到着> - 2
山頭火=種田正一の母フサは、明治25年3月、自宅の井戸に身を投げ自殺をした。
時に正一数えの11歳、尋常高等小学校の三年生だった。
母フサはなかなかの美人だったという。父竹治郎が、フサと結婚したのが明治13年で、
竹治郎25歳、フサ21歳の時であった。
フサの自殺の動機についてはよく判らないらしい。
一説には、三男信一を産んでから婦人病に罹り、ノイローゼになっていたともいう。
また、自殺の直前、衆議院議員総選挙があり、夫の竹治郎はある候補者を応援、選挙運動に熱中するあまり、家に殆ど帰らない日々が続いていたという。
いずれにせよ、二代目で苦労知らず惣領の夫は家に不在がちで、嫁姑の仲もギクシャクしていたのかもしれない。大家族のなかで孤立感を深め、被害妄想が嵩じたのか、種田家の敷地内の井戸に突然身を投げたのだ。
「お母さんは、とても美しい人でしたが、正一さんが11歳のときに、井戸に飛び込んで自殺せられました。その井戸は、たしかこの辺であったと思います。すぐに土を入れてつぶされましたが。あのとき、わしや正一さんは、納屋のようなところで芝居ごっこをして5.6人で遊んでおったのです。「わあ」とみなが井戸の方へ走っていったので、猫が落ちたのじゃ、子どもはあっちへ行け、と寄せ付けてくれませんでした。」と、そのときの模様について、ある古老が回想している。
後年、山頭火は母の自殺に
「ぼくが十一の時にこの母は、おやじの道楽を苦にして、おやじが妾を連れて別府へ遊山に行ったその日、井戸へ飛び込んで自殺したんだ。母屋がさわがしいので、ぼくは遊んどったのを、パアッと走って行ったら、母は紫の顔色になって土間へ引き上げられていた。そしたら親戚の者が来て、子供はあちらへ行けと引きはなされた。それが母の最期だった。」と語っている。
ある日突然の、母の自殺。
母の無惨な死骸が眼に焼きついて、その像は死ぬまで忘れ去ることはできなかったろう。
十一歳の少年の心に、終生つきまとう暗い影が生じた。
「あゝ亡き母の追懐! 私が自叙伝を書くならばその冒頭の語句として―、
私一家の不幸は母の自殺から初まるーと書かなければならない」
「母に罪はない、誰にも罪はない、悪いといへばみんなが悪いのだ、
人間がいけないのだ」