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<LETTER OF GRAND ZERO
―世界のサダコたちへー>
ひとつの舞台を創りあげていくプロセスというものは
いつもながら山あり谷ありで、その分苦労も多いが、
時に僥倖とも言い得る出来事にも出くわすものだが‥‥。
稽古はすでに佳境に入ってきた。
本番の上演まで残すところ2週間だ。
「レター・オブ・グランド・ゼロ」
-世界のサダコたちへ-
作・広島友好 / 演出・熊本一 / 演出補・林田鉄
● Date
2005年 3月4日(金) pm6:45
々 5日(土) pm2:00 pm6:45
々 6日(日) pm2:00
● Admission
一 般 3000円 (当日券 3500円)
中・高・シニア・障害者 2000円 (当日券 2500円)
(シニアは70歳以上)
● Place
エル‐シアター(大阪府立労働セン夕―)
地下鉄谷町線・京阪電車「天満橋」駅から西ヘ7分
● ローソンチケット
Lコード 59582 Tell 0570-663-005
● お問合せ
劇団大阪 Tell 06-6768-9957
テロ‥‥、9.11‥‥、グランドゼロ‥‥、
廃墟‥‥、原爆‥‥、
死者たちの群れ‥‥、
グランドゼロを、あるいはヒロシマ、爆心地を、
逃げ惑う人びとの群れ‥‥。
口々に怨嗟の声をあげ、呻き苦しむ人々‥‥。
よみがえる、サダコ‥‥、
折り鶴の、サダコ‥‥、リトルボーイ‥‥。
此処は、廃墟と化したグランドゼロ、
いや、ヒロシマ、ナガサキの爆心地か‥‥、
あるいは、いまなお戦火たえぬイラクの地か‥‥。
だれか知りませんか、
どうしたらいいかわかりませんか。
そういえば、
原爆の子の像に捧げられた何万何十万の折り鶴を焼いてしまった少年がいた。
サダコ、おンなじだ、名前。
十二歳で死んだぼくのお婆ちゃんと。
身体中から血が噴き出すの。止まらないの。髪も抜けるの、こんなに、こんなに。
髪が、こんなに!
火事だ、火事だぁー。
イヤー!
折り鶴が燃えている。折り鶴が燃えている。
わたしの希望、わたしの未来、わたしの祈りが‥‥。
まだ、千羽折れてないのに、まだ、千羽折れてないのに‥‥。
燃えているのは、果てしなく遠い大地。わがふるさと。
戦火途絶えることのない砂漠の大地。貧しい国、飢えた国。
おまえたちの想像力の及ばないはるか遠くの国。
大地に鋼鉄を刺しつらぬく放射能の塊が降り注いでくる。
子どもたちの足や手が、きょうも地の雷に吹き飛ばされる。
男たちは銃を取る。女たちは顔を隠す。涙も涸れた、血も涸れた。
言葉は死に絶え、怒りだけが大地を覆っている。
これはわたしたちの祈りです!
これはぼくらの叫びです!
世界に平和を築くための!
ここにもサダコはいるんだ!
白血病のサダコは、折り鶴を折るサダコは!
千羽折れば命が助かると信じたヒロシマの少女の話を聞いて、わたしも鶴を折りました。
644羽折りました。けど、わたしは死んでしまいました。
わたしは死んでしまいました。
わたしは‥‥、わたしは‥‥。
ああ、
なぜ、折り鶴を焼いたんですか。
なぜ折り鶴を焼いたんですか、なぜ。
あの日、空の向こうから銀色に光る飛行機が来て、ピカッと光る美しい玉を放り投げた。
その姿は生まれたばかりの赤ん坊に似ていた。おお、わが子よ、小さき子よ!
その子は生まれた瞬間にピカと光り、しかし生まれたことを呪うかのように激しくドンッ!と爆発した。
その産声は人々を吹き飛ばし、その熱は影を焼き、形あるものを壊し、
形のない美しいもの‥‥命を奪った。
黒いキノコ雲の下、あらゆるものが焼き尽くされ、壊れ、くずおれた。
そしてわたしは黒い涙を流すのです。黒い涙を流すのです。
黒い涙を‥‥。
「グランド・ゼロ」の創作意図 -広島友好
9.11アメリカ同時多発テロ以後、世界は変わったと言われる。
確かにそれに続くアフガン戦争、イラク戦争、そして日本のイラクへの自衛隊派遣と、
世界は新しい「戦争の世紀」に入つたかのようである。
また、日本国内でも有事法制の整備や憲法9条改正論議など、
「普通の国」づくりへの流れ加速している。
しかし一方では、世界各地でアメリカの戦争への大規模な抗議デモが行われるなど、
反戦・非戦への思いは強まっている。
日本国内でも、例えぱ演覿人による非戦の集いなど、
戦争反対、戦争加担反対への取り組みが根強く行われてる。
しかしながら、そんな世界や日本の流れとは切り離されたような
危機感とは無縁な世相が一方ではある。
日本の国がどこへ行こうが、あまり関心がないように思える雰囲気や空気が確かにある。
(それを一番強く感じるのは、国の行く末を左右する国政選挙での投票率の低下である。)
私の周りでも、この国のあり方、進み行きに強い危機感を抱いている人と、
世界や日本の出来事に無頓着で、自分の小さな周辺のことだけで日常を遇ごしてぃる人と、
両極端に分かれている。
私はというと、ひとりの物書き、戯曲書きとして、この世界の大きな流れに、
書<ことを通して棹ささねばという強い思いがある。
が、また、どこか私の日常とは切り離されたような遠くの出来事、
テレビの中の出来事にしか思えない自分もいる。
そんな自分の思いをわりに素直に出してみょうと思った。
ひとつは、世界をとらえるにしても、この足元の日常から出発することしかできなぃのだから、
自分のよく知つている日常というものを描こうとした。
私は、私とその周りの出来事の真実感(リアリティ)を描<ことで、
この世界と対峙してみたいと思った。
しかし、それだけでは世界を射程にとらえる力が弱いので、
「グランド・ゼロ」というまったく寓意の劇中劇を挿入することで、
日本という国と戦争のあり方を描いてみようと思った。
つまり、日常と寓意の二つの照明を当てることで、この世界、戦争、日本、
その未来、そして私の真実を描いてみようと意図した。