山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

春来れば空に乱るる糸遊を‥‥

2006-04-04 02:11:04 | 文化・芸術
N0408280061
Information「Shihohkan Dance-Café」

-今日の独言- すっぽんの鳴き声?

 一茶の句にこんなのがあった。
  「すつぽんも時や作らん春の月」
「おらが春」所収の文政2年の作、前書に「水江春色」と。
亀やすっぽんが鶏のように時を告げて鳴こうというのか、人を喰ったような句にも思えるが、鎌倉期、藤原定家の二男、為家に「川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀のなくなり」があり、この歌以来からか、亀も鳴くと信じられてきたらしい、というのだからおもしろい。
俳諧で「亀鳴く」は春の季語となっているようで、実際のところ亀もすっぽんも鳴きはしないが、ありそうもない譬えに「すっぽんが時を作る」という諺もあるとは畏れ入る。
楸邨氏の解説によれば、水を漫々と湛えた水辺は春色が濃くなって、春の月が夢幻の境をつくりだすような夜、これに誘われてすっぽんも鶏のように時をつくるのではないか、との句意で、ありもしないことだが、古くからの伝を踏まえて、この夢幻境を生かしたのだろう、と。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-38>
 春来れば空に乱るる糸遊をひとすぢにやはありと頼まむ  藤原有家

六百番歌合、春、遊糸。
糸遊(いとゆふ)は陽炎(かげろふ)に同じ。
邦雄曰く、有家は新古今歌人中、繊細にして哀切な作風無類の人、この歌の下句も恋歌を思わせる調べ。この歌合の年38歳、六条家の歌人だが、むしろ、俊成・定家の御子左家に近い新風・技法を随所に見せる、と。

 明くる夜の尾の上に色はあらはれて霞にあまる花の横雲  慈道親王

慈道親王集、春、朝花。
邦雄曰く、雲か花か、山上の桜の曙の霞、下句の豊麗な姿は心を奪う。殊に第四句の「霞にあまる」は珍しい秀句表現。歌い尽された花と霞に新味を加えるのは至難の技。この歌などその意味でも貴重な収穫であろう、と。


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