山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

月やあらぬ春や昔の春ならぬ‥‥

2006-04-08 00:09:58 | 文化・芸術
Kumano_syoyo_171

Information「Shihohkan Dance-Café」
 
-今日の独言- 放哉忌

 今日は放哉忌。
大正15年4月7日、癒着姓肋膜炎から肺結核を患った尾崎放哉は、小豆島の南郷庵にて41歳の若さで死んだ。放哉もまた酒に溺れ自棄と破綻を重ねた、生き急ぎ死に急いだ生涯だった。萩原井泉水の肝煎りで南郷庵にやっと落ち着いたのが前年の8月20日、時すでに病魔は取り返しがつかぬまでに身体を蝕んでいた。明けて3月初めには咽喉結核が進行し、ご飯が喉を通らなくなっていたというから凄まじい。やっと得た安住の南郷庵暮しは8ヶ月にも満たなかった。
驚くべきは、病魔に苦しみながらこの短期間に各地の俳友・知友たちに出した手紙が、公表され判明しているだけでも420通もあるとされていること。それも内容たるや各々かなりの長文で自らの述懐を叙したものだと。句作もまた旺盛で「層雲」誌主宰の井泉水に毎月200句以上送っていたらしい。


  海が少し見える小さい窓一つもつ
  肉がやせて来る太い骨である
  爪切ったゆびが十本ある
  ゆうべ底がぬけた柄杓で朝
  障子あけて置く海も暮れきる
  なんと丸い月がでたよ窓
  風にふかれ信心申して居る
  枯枝ほきほき折るによし
  墓のうらに廻る


戒名は「大空放哉居士」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-42>
 ながめこし心は花のなごりにて月に春あるみ吉野の山   慈円

拾玉集、花月百首、月五十首。
邦雄曰く、建久元(1190)年九月の十三夜、慈円の甥、藤原良経邸での花月百首の中の一首。35歳の壮年僧の、豪華でざっくりした詠風は、新古今前夜に殊に精彩を加えた。「心は花のなごり」「月に春ある」等の、意識的な新風はまだ二十歳を超えたばかりの良経を魅了したことだろう、と。


 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
                                    在原業平


古今集、恋五。
邦雄曰く、古今・巻五の巻頭第一首。詞書には伊勢物語第四段とほぼ同一の物語が記されている。後の清和天皇妃となる藤原高子と業平の堰かれる恋を叙する段、「睦月の十日あまりになん、ほかへ隠れにける」とあり、あたかも梅の花の盛りであった。後世あまたのすぐれた本歌取りを生んだ恋歌の一典型。初句6音も見事に極まった、と。


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