山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

さてもなほ花にそむけぬ影なれや‥‥

2006-04-05 23:48:48 | 文化・芸術
Nakahara0509180551

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-今日の独言- 統一地方選挙

 昭和22(1947)年のこの日、新憲法施行を前に、第1回統一地方選挙が実施された。以来4年に一度、これまで15回行われ、来年の4月に16回目を迎えることになるわけだが、戦後60年余も経るうちに「統一」の文字がずいぶんと希薄なものになり果ててしまったものである。
この選挙制度の問題は、首長の辞職や死去、議会の解散、或は市町村合併などにより、任期のズレが起こり、統一的に実施される数は年を経る毎に下がりつづける運命にある。現在、比較的任期のズレが生じにくい都道府県議会選挙でこそ東京・茨城・沖縄以外の44道府県が統一地方選挙にとどまっているが、知事選については11都県というまでに落ち込んでいる。統一地方選挙として行われる各自治体における選挙数の地方選挙全体に占める割合を「統一率」-まったくもって奇妙な造語感覚だ-というらしいが、平成15年の前回で35.9%とすでに4割を割り込んでいる。ここ数年来全国各地でずいぶんと強引に進められた平成の大合併の所為で、来年4月の次回選挙はさらに大きく落ち込むことは必定で、おそらく3割にも満たない統一率?となるのではないか。統一とは名ばかりでその冠が泣こうというものだ。
選挙における投票率の推移を見ても、26年の第2回での市町村長及議会選挙が90%を超えるという今の感覚からすれば驚くべき数値を記録しているものの、以後は長期低落傾向の歯止めがかかることはなく、平成になつてからは50%台半ばから60%前後に推移している。
―――参考HP http://www.akaruisenkyo.or.jp/tohyo/t_07.html
これが統一選挙ではなく単独の選挙ともなると、一気に20%台、30%台に落ち込むのが常態化しているのだが、これで民意の結果というにはほど遠いものがある。
国政がこの統一地方選挙制度を一向に改革しようとの気運のないことには、ずっと大きな不信を抱いてきた。これまでもいろいろと選挙に関する法を弄ぶがごとくいじくりまわしてきているが、よりひろく民意の反映が期せる制度改革になぜ手をつけないのか、まったく腑に落ちないのだ。
グローバリズムとともに一方で地方の時代をうたうなら、この改革こそ民心一新の起爆剤となろうものを。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-40>
 さてもなほ花にそむけぬ影なれやおのれ隠るる月のともしび
                                   木下長嘯子


挙白集、春、月前花
邦雄曰く、長嘯子は正徹の跡を慕い、正徹は定家に学んだ。この歌の花・月=燈は、定家前出の「よそにぞ消ゆえる春の」を偲びつつ、さらに和漢朗詠集の「燭を背けて共に憐れむ深夜の月」の面影を匂わせ、さらには月と燈を同格同一に変えて、彼自身の発見としたのだろう。難挙白集には、月花を「おのれ」と詠むのを禁制事項だとして、注意を促しているのも面白い、と。


 花かをり月かすむ夜の手枕にみじすき夢ぞなほ別れゆく
                                    冷泉為相


玉葉集、春下、為兼の家に歌合し侍りし時、春夜。
邦雄曰く、名歌目白押しの玉葉集春の中では、この歌の次に永福門院の「花の木の間に月出でにけり」が続き、眼もあやな眺め。「花かをり」は花が靄にうるむ様子をいい、芳香を放つ意ではない。結句の表現も心を盡し、しかも新しい。藤谷和歌集所収の「暮れぬ間はなかなか霞む山の端に入日さやかに花ぞ色づく」も、掲出歌に劣らぬ佳品、と。


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深き夜を花と月とにあかしつつ‥‥

2006-04-05 00:33:33 | 文化・芸術
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-今日の独言- もう満開宣言

 数日前に開花宣言を聞いたかと思えば、今日のバカ陽気に大阪は突然の満開宣言。おまけに夕刻からは雨しきりだ。なんとも気忙しい天候が続いて桜便りもめまぐるしい。今度の日曜日は花の回廊の下、一興パフォーマンスをと予定しているのだけれど、この分ではそれまでもつのかしらんと甚だ心配。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-39>
 深き夜を花と月とにあかしつつよそにぞ消ゆる春の  藤原定家

拾遺愚草、中、韻歌百二十八首、春。
(ともしび)-音はコウ。灯ともし、油皿のこと。
邦雄曰く、建久7(1190)年、定家34歳秋の、韻字を一首の末尾に象嵌した。「風通ふ花の鏡は曇りつつ春をぞかぞふ庭の矼(いしばし)」がこの歌と押韻する。まことに技巧的な作品群中、唯美的な眺めの際立つ一首。要は「よそにぞ」、この世の外、異次元に消える春燈を、作者は宴の席から眼を閉じたまま透視する。この世はよそ、うつつにしてまた非在の境、と。

 雲みだれ春の夜風の吹くなへに霞める月ぞなほ霞みゆく  北畠親子

玉葉集、春上、春月を。
生没年未詳、村上源氏の裔、権大納言北畠師親の養女、実父は源具氏。1300年前後に京極派歌人として活躍。新後撰集初出、勅撰入集は52首。
邦雄曰く、さらぬだに霞んでいた月が、更にひとしお霞むという。しかも月の周りは夜目にもしるく乱れ飛ぶ雲。春夜の月に新味を加えるため、さまざまな技巧を創案する。
「うす霞む四方の景色をにほひにて花にとどまる夕暮の色」
は永仁元(1293)年4月の歌合歌だが、「霞める月」以上に美しい。下句の「花にとどまる」など、ほとほと感に堪えない濃やかな表現だ、と。


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