Information<Shihohkan Dance-Café>
-今日の独言- 毛馬の水門、花の下にて饗宴の舞
今年の造幣局の桜の通り抜けは12日からだが、その大阪造幣局の東を流れる大川の桜並木を上流へと上っていくと、まず東岸に桜之宮公園が連なり、さらに上流には川を挟むようにして、西岸に毛馬公園、東岸には毛馬桜之宮公園があり、二つの公園が尽きたあたりに毛馬橋が架かっている。橋から北に見える淀川の河川敷を眺めながら500メートルほど歩くと、淀川と大川とを分かつ毛馬の水門に達する。現在の新しい水門は昭和43(1968)年の建造だが、その内懐に明治43(1910)年に造られたという旧の閘門(コウモン)が当時を偲ばせるように残されている。
奇友デカルコ・マリィが満開の桜の花の下にて一興の舞をと、大道芸よろしく得意の妖怪踊りを演じたのは、その閘門の土手にあたる処だった。見事な老木の大樹とはいかないが枝振りもひときわの桜がほぼ満開。その樹の下を舞台に見立て一差し15分。彼の十八番を観るのはもうずいぶん久し振りのことだったが、肝心の赤い布に包まりこんだヌッペラボウもどきのシーンが少し端折られたか、ちょっぴり不満が残った。
一座はしばらく休憩をとって、今度は閘門の下へと降りて、嘗ては水路だった筈だが埋められて細長い通路状になった処を舞台に移して20分ばかり。これには彼の仲間数名に加えて、うちのメンバー二人もお邪魔虫を決め込んで即興で参加したのだが、まあそれはそれで一応の功はあったと見えた。
花も昨日が盛りと見えて、落花狼藉と散り乱れるなかでと注文どおりにはいかなかったが、一週間早くても遅くても時機を失したろうことを思えば、温暖な日和にも恵まれて良しとせねばなるまい。もちろん私用だったのだが、前日の、日帰りで津山まで車を走らせた疲れが残っていた身体には、陽気の下の酒も堪えたが、古い馴染みの顔ぶれにも会えたことだし、心地よい休日のひとときではあったか。
Decalco Marieよ、オツカレサン。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<春-44>
見る人の心もゆきぬ山川の影をやどせる春の夜の月 藤原高遠
大弐高遠集、山川にて、月見る人あり。
邦雄曰く、朗々たる春月を、心ゆくばかり仰ぎ見る歓びが、二句切れ、体言止めの、緩・急よろしきを得た構成で詠われた。「山川の影をやどせる」の第三・四が、森羅万象を一瞬に照らし出すあたり、高遠の技倆は圧倒的。家集には長恨歌や楽府から詩句を選び出し、当意即妙の和歌で唱和する試みもみえ、相当多力の歌人であったことが知れる、と。
この世には忘れぬ春のおもかげよ朧月夜の花の光に 式子内親王
萱斎院御集、百首歌第二、春。
邦雄曰く、生ある限りは忘れえぬほど心に残る眺め、その春の面影とは朧月夜の花。伸びやかに且つ切ない三句切れの上句、「花の光」を際やかに描く倒置法結句。夜露をふくむ花のように鮮麗な作だが、どの勅撰集にも採られていない。この百首中から玉葉集へは5首採られているのも記憶に値する、と。
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