Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」
<連句の世界-安東次男「芭蕉連句評釈」より>
「狂句こがらしの巻」-03
たそやとばしるかさの山茶花
有明の主水に酒屋つくらせて 荷兮
次男曰く
起承転結は造化の理である。その「転」にあたる「第三の句」を「長(タケ)高く」作れと。また、発句が客で脇が亭主の位なら、第三は相伴の位だ。相伴には客側もあれば亭主側もある。礼法の基本は一客一亭ではなく、相伴を加えた三人と考えるべきだ。この興業の連客はいずれも尾張衆で、その内の次客は、一統の指導者であり最年長者でもある荷兮であった。
「有明」は月のとばしり-残-である。月齢に思い付いたところが着眼の妙。繊月といえども宵の月はとばしりではない。
「酒屋」-酒蔵-もとばしる。熟成したもろみ麻袋に盛り、槽のなかに積み並べて圧搾すると、槽中はむろんのこと、桶口からもさかんに迸る。
尾張二代藩主光友候は、奈良より杜氏を招き醸造せしめしより、元禄頃には城下の酒屋軒を並べ隆盛を誇っていた。客と亭主の改まった挨拶を「まず一献」と執り成せば、これは亭主側相伴の即妙な取持ちになるが、たねが、自慢の地酒であれば猶面白い。「酒屋つくらせて」の狙いは、どうやらそこにありそうだ。
「主水」については古来いろいろと解釈が分かれるところ。
抑も尾張名古屋城の造営に際し、小堀遠州と組んで本丸御殿を作った中井大和守正清は、家康が京で召し抱えた法隆寺棟梁であるが、その子孫は代々幕府の京御大工頭となり、当代は中井正知従五位下主水正であった。この正知は法隆寺の元禄修理を手がけた人物であり、またさまざまな禁中作事を城の修理も手がけており、名古屋へ下ることもあったろう。
どうやら荷兮は、名古屋城を造った宮大工の末が杜氏になれば、その名は中井主水ではなく「有明」-とばしり-の主水になる、と云いたいらしい。直接には亭主野水の譬えだが、名古屋の町づくりが京文化の写しだった歴史的事実に照らせば、二人主水は、さすがに俳諧師らしいうまい目付だとわかる。
客が「こがらし」を云回しにつかって、都の狂歌師にひとふし持たせた風狂を以て名告れば、相伴は「有明」を云回しにつかって、京大工頭の名にひとふし持たせた杜氏の噂を以て亭主を引き立てる。モデルも、片や草子の人物なら片や実在の人物、どちらも名古屋にゆかりがあるというところがみそである。
作の手順は、発句・脇の仕様から時分を按じて、「とばしる-有明」を見出したか、それとももてなしの趣向として酒に思いつき、「とばしる-酒造」を取り出したか、どちらが先とも云えぬが、これは一途に合うはずだ、と。
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