Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」
-温故一葉- 岸本敏朗さんへ
寒中お見舞。
お年賀拝受。私儀、甚だ勝手ながら本年よりハガキでの年詞の挨拶を止めましたので、悪しからずご容赦願います。
昨年は劇団創立50周年だったとか、さぞかし感慨深く、また、さまざまな周年企画で多忙と充実の一年をおくられたことでしょうね。
秋に上演された「新開地物語・後編」も好評且つ盛況の裡に終えられたようで、心よりお慶び申し上げます。
もう久しくお逢いする機会を得ませんが、ご壮健にてご活躍の様子を眼にしては、80年の「猫は生きている」でしたか、いつのまにかこんなに年月を経てしまったのだと些か吃驚しつつも、元町の稽古場へと通った日々などを懐かしく想い起こしおります。
近頃の私はといえば、時に「山頭火」を演じることもあるとはいえ、その機会もまだまだめずらしく、また舞踊の方では、稽古とはいえ即興を専らとするものであってみれば、私はただひたすら観照するを自身に課すばかりですから、暢気といえばこれほど暢気なものはなく、日常は読書三昧とMemoの如き由無し言のブログ綴りの日々といえましょうか。
ふりかえれば理知的な思索よりはまず直感的な行動ありきだった往時とはずいぶんと遠ざかったもので、われながらこの変容は何処からやってきたものかと些か奇異な感じさえ抱いているような始末です。
いずれなにごとかの機会を得てまたお逢いできる日もありましょうが、その節はいろいろとお話などお伺い致したく存知おります。
益々ご壮健にてご活躍のほどを。
08 戊子 睦月晦日
岸本敏朗さんは神戸の劇団四紀会の演出家で、現在71歳。自立劇団として1957(S32)年発足した四紀会は昨年創立50周年を迎え、記念の公演として採り上げたのが「新開地物語・後編」で彼の演出。
彼が「走れ、メロス」-78年-神戸公演を芦屋のルナホールで観たのをきっかけとして、「猫は生きている」の振付を依頼された。上演が80年4月だったから、彼から突然の連絡を受けたのは前年の暮れ近くだったろう。四紀会の稽古場は元町駅前のビルの6階だったが、此処へ週2回ほどのペースで3.4ヶ月通ったのではなかったか。
「メロス」の舞台は、全編を貫く20数名のコロスによる群舞や集団演技が表現の要ともなるもので、その出演者の大半が公募による素人の若い人たちであり、彼らをほぼ半年かけて鍛えながら創り上げていったのだが、彼と偶々一緒に観た宝塚歌劇団の研究生が「こんなに激しい動きを、これほど揃って踊っているなんて、凄い。私たちだってこんなにはとてもできない」と感嘆しきりだったという話を、彼自身の感想とともに私にしてくれていたのが、私の脳裏に焼き付いている。
<連句の世界-安東次男「芭蕉連句評釈」より>
「狂句こがらしの巻」-08
わがいほは鷺にやどかすあたりにて
髪はやすまをしのぶ身のほど 芭蕉
次男曰く、「わがいほは」の句は、喜撰の歌を下に敷いて、当世風隠者のことばをうまく見定める付だが、起情をはかった狙いは別にある。興業の発端が「狂句こがらしの身は竹斎に似たるかな-芭蕉」、「たそやとばしるかさの山茶花-野水」で、併せてみみ裏入にあたる座巡が偶々野水・芭蕉でなかったなら、右の応酬はまず生まれなかったろう。旅の風狂者を迎えた興のなごりが、亭主の好き心をあらためて唆したと考えればよい。
あなたが鷺なら一夜の宿をかすところだが、という野水の挑発に、ではひとつアマサギ-尼鷺-になるか、と芭蕉は答えている。冬羽は白だが、繁殖期にかけて胸や背に朱紅色の飾り羽が生え、頭・頸部が狐色に変わる中型のサギである。体形はややゴイサギに似て、首が短くて太い。別名、猩々鷺とも呼ばれ、本州には夏鳥として渡る。そこが読み取れれば、なにやら訳ありながら尼の還俗ばなしも、問答の下地もおのずと見えてくる。
天王寺へ詣で侍りしに、俄に雨降りければ、
江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ詠み侍りける
世の中を厭ふまでこそ難からめ仮のやどりを惜しむ君かな 西行
返し
世を厭ふ人とし聞けば仮の屋に心留むなと思ふばかりぞ 遊女妙
新古今集・羈旅歌に選び、選集抄にも見え、謡曲「江口」でおなじみの問答歌だが、芭蕉は、右の男女の位相を翻し、道心の一興を「恋の呼び出し」-恋の示唆を以て作意とした句-に奪って作っている。併せて、事実上「野ざらし」の旅を終えた男の、当座の心境もまた一種の還俗だったと考えれば、「髪はやすまをしのぶ身のほど」とは濃尾逗留中の自画像とも読めて、この七・八番は発句・脇のみごとな打返しになる。まったく、したたかなことをやる俳諧師だ、と。
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