―四方のたより― おみやげ?
どうせ一回こっきりの北の国への旅なれば、なにがしか記念になるものを購ってもよかろうと買い求めたのが写真の、つがいの島梟とグラスたち。
―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-208
8月5日、曇、眼がさめるとまたビールだ、かうしたアルコールはいくらのんでもよろしからう。
名残は尽きないけれど、東路君は勤人、私は乞食坊主なので、再会を約して別れる。
8時の列車で小郡へ。―
農学校に樹明さんを訪ねる、いつもかはらぬ温顔温情の持ち主である、ここでもまたビールだ、いかな私もビールよりも巻鮨の方がうまかった!
樹明さんの紹介で永兵さんに初相見した、私たちの道の同行に一人を加へられたことを喜ぶ。
防府で、小郡で、その他、山頭火後援会の会員が10口くらい出来たのは-いや出来るのは-うれしい。
学校として、農学校は好きだ、動物植物といつしよに学び、いつしよに働いてゐるから。
樹明居の一夜は一生忘れることの出来ない印象を刻みつけた、酒もよい、肴もよい、家も人も山も風もみんなよかつた、冬村君もよかつた、君のおみやげの梅酒もよかつた、ああよかつた、よかつた。
あんまり物みなよくて一句も出来なかつた。
※表題句は8月4日の句
国森樹明-じゅみょう-は本名信一(1897-1960)、層雲の同人で、山口農学校の事務長をしていた。
柳井市金屋地区に、白漆喰に入母屋土蔵造りで18世紀後半の建造とされる油問屋だった国森家住宅が、重要文化財として今に残るが、樹明はこの国森家の縁戚に連なる人ではなかったか。
Photo/柳井市金屋の国森家住宅
Photo/北の旅-2000㎞から―洞爺湖遊覧船乗場の盆踊り風景-’11.07.24
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