山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

夏草ふかく自動車乗りすてゝある夕陽

2011-08-13 23:50:00 | 文化・芸術
Santouka081130091

―四方のたより― 闘病、この残酷なるもの

妹の亭主殿、ようするに義弟だが、今年64歳の彼が、昨年11月末頃に肺癌を発症した。健康診断のレントゲンでひっかかり、精密検査をしたところ判明したわけだが、それより以前のほぼ2年間、彼は糖尿病の新薬であるDU-176bの治験をしていたという。見つかった癌の診断は小細胞型ですでに最悪のステージ4だった。

以後、今年の6月までに、抗癌剤の治療をほぼ毎月のように6回受け、7月になって今度は脳への転移-脳腫瘍-が見つかった。時に歩行バランスが取れなくなったりして、ある日突然倒れ込むような発作が起こって、緊急入院した所為で判明したのだった。彼にとっては最初の衝撃からさらに加えて第二の衝撃に見舞われたわけだが、入院直後に訪ねた時の彼の様子たるや、正視するに耐えぬものがあった。

その後、一週間ほどのあいだか、脳部には放射線治療が施され、肺癌にはまた抗癌剤治療が施されたという。
それらの治療が功を奏したか、一応の小康状態を得て、一週間ほど前から退院して自宅療養していると聞いたので、今夕、久しぶりに見舞いに行ってみた。

元々、身長185㎝ほど、体重は90㎏を越す巨躯の持ち主であったが、それが60㎏余りにまで痩せて、腕も脚もこそげるように筋肉が落ち、関節裏は皺だらけになってしまっている。ところが本人はいたって元気そうに振る舞っており、いつになく饒舌すぎるほどによく喋るのである。妹と一人娘の二人を相手に、お互い歯に衣着せぬ悪態をつきあっているのだ。

私は、この様子を見ながら、痛烈に思い到ったのだった-闘病というものの苛酷さ、残酷さに‥。
突然降りかかった最初の衝撃、手術のすべもない、もはや抗癌剤治療しか手段のない手遅れという事態に、遅かれ早かれ否応もなく死と直面せざるをえないその事態に、彼の心はうち萎れていたはずだ。

ところが巨漢ゆえに体力は人並み以上に恵まれていたか、過度に負担のかかる度重なる抗癌剤治療にもよく耐え得てきたのだろう。だからこそか、そして第二の衝撃、追い打ちをかけるように脳への転移が襲いかかった。これはもう絶望以外のなにものでもない。神は我を見捨てたもう、だったろう。だから、彼はいま、開き直っている。死はすでに約束されている。ならば生きられるだけを、生ききるしかない、そうはっきりと思い知ったのだろう。それが病者と介抱者たち、家族三人の、悪態にも似た言いたい放題ぶりの姿なのだ。
そして、これが闘病というもの、その本質なのだ。

彼は、この23日、またも抗癌剤治療のため一週間ほどの入院をする、という。これで8回目か9回目の投与となる筈だが‥、この是非についても熟慮が必要だろう。

08130

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-216

8月13日、空晴れ心晴れる、すべてが気持一つだ。
其中庵は建つ、-だが-私はやつぱり苦しい、苦しい、こんなに苦しんでも其中庵を建てたいのか、建てなければならないのか。―

※表題句の外、句作なし。

08131
Photo/北の旅-2000㎞から―ノロッコ号の走る釧路湿原の駅-’11.07.25


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