山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ボタ山へ月見草咲きつゞき

2011-01-19 23:48:54 | 文化・芸術
Santouka081130066

―世間虚仮― やっと捜査の手

「人体の不思議展」にやっと捜査の手が伸びた。
もう10年近くにもわたって全国各地で興行的展示を開催し、リアルな人体標本で興味本位な耳目を集め、延べ600万人以上もの動員をしてきたという「人体の不思議展」については、私も嘗て-05年-に大いに問題ありと指摘しているが、このほどやっと厚労相は「遺体と認識している」との見解を示し、現在開催中の京都で、府警が捜査へ乗り出している、というニュースが駆けめぐっている。

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人権や倫理上において重大な問題を孕んでいるのは当然のことだが、法律違反即ち「死体解剖保存法」に抵触したものか否か、というのが捜査のあるいは司法の争点になってくるもよう。
これに先んじてフランスでは、09年4月、バリで開催されていた人体展を中止させる司法判断が出されていたのだが、ようやくこの国においてもそうなる公算が高くなったわけだ。

―四方のたより―

<日暦詩句>-9
いやだと ぼくは叫べば よかった
なぜだと ぼくは問えば よかった
それだのに 灰色の獣のように走っていた
次々とうしろで堆積する出口の数におびえて

いやだと叫べばよかった
いやだと問えばよかった
それだのにだまっていた それだのに走っていた
   ―入澤康夫「いやだとぼくは」より-昭和30年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -142
5月29日、晴、電車と汽車で緑平居へ、葉ざくらの宿。

朝から四有三居を襲うて饗応を強要した。
緑平老はあまりに温かい、そつけないだけそれだけしんせつだ、友の中の友である。
夕方、連れ立つて散歩する、ボタ山のここそこから煙が出てゐる、湯が流れてくる、まるで火山の感じである、荒涼落漠の気にうたれる。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/山頭火句碑「ふりかえるボタ山ボタン雪ふりしきる」―糸田町の糸田小学校前

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Photo/隣町香春町の金辺川沿には「山頭火遊歩道」が整備され、10もの句碑が建つ


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星がまたたく草に寝る

2011-01-18 23:51:24 | 文化・芸術
Dc09122667

―四方のたより―

<日暦詩句>-8
檸檬絞り終えんとしつつ、轟きてちかき戦前・遙けき戦後

<欧州の怪>ポケツトにふくれつつ真逆様に吊らるるズボン

甲虫の叛乱、つねに少年は支配者にして傍観者
   ―岡井隆「少年行」より-昭和36年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -141
5月28日、晴、船と電車、酒と魚、八幡市、星城子居。

星城子君の歓待は恐縮するほどだつた、先日来の心身不調で、ご馳走が食べられないで困つた、好きな酒さへ飲めなかつた、この罰あたりめ! と自分で自分を憫れんだ。
夜、いつしよに仙波さんを訪ねる、ここでも懇ろにもてなされた、お布施までいただいた。
葉ざくら、葉ざくら、友のなさけが身にしみる。

工藤君からハガキをうけとつたのはうれしかつた、伊東君からも、国森君からも。
私は、私のやうなものが、こんなにしてもらつていいのだらうか、と考へずにはゐられない。

※表題句の外、3句を記す

<星城子について> 本名は飯尾由多加。八幡署に勤務していた警察官で剣道の達人。晩年の尾崎放哉とも交友が深く、「放哉居士消息」は、放哉が最晩年の1年間に星城子宛に書き送った138通にも及ぶ書簡集。

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Photo/山頭火句碑「水を前に墓一つ」、所在は北九州市八幡東区河内平原

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Photo/々「訪ねて逢へて赤ん坊生まれてた」、同じく八幡東区大蔵の或る酒屋の軒先に


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初夏の坊主頭で歩く

2011-01-17 23:42:32 | 文化・芸術
Dc090926165

―四方のたより―

<日暦詩句>-7
なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中なふしぎな国を
汽車は走りつづけている
   ―石原吉郎「葬式列車」より-昭和37年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -140
5月27日、晴、行程7里、安岡町行乞、下関、岩国屋

ぢつとしてはゐられないので出発する、宿料が足らないので袈裟を預けて置く、身心鈍重、やうやく夕暮の下関に着いた。

久しぶりに地橙孫君を訪ねて歓談する、君はいつも温かい人だ、逢ふたびに人格が磨かれつつあることを感じる。
夜更けてから馴染の宿に落ちつく、今夜は地橙孫君の供養によつて飲みすぎた、安価な自分が嫌になる。‥

※この日句作なし、表題句は24日付所収の句

<地橙孫について>
名は兼崎理蔵、山口市出身、1890-M23-年生れだから山頭火より8歳年少。旧制五高-熊本-を経て、京大法学部卒。1924-T13年-下関市にて弁護士開業。俳句は中学時代から始め、碧梧桐門下として過ごす。また六朝書体の最後の書家であり、山頭火の墓表も書いた。

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Photo/下関市豊浦町川棚クスの森の山頭火句碑

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Photo/同じく、妙青寺境内の山頭火句碑


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大楠の枝から枝へ青あらし

2011-01-16 23:33:18 | 文化・芸術
Santouka081130063

―四方のたより―

<日暦詩句>-6
ぼくの漂流は
どこまで漂流していくのであろう
退屈な楽器や 家財道具をのせて
いまにも沈みそうではないか
畢竟 難破だけが確実な旅程の一つであろう
   ―村野四郎「春の漂流」より-昭和34年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -139
5月25日。26日、雨、風、晴、発熱休養、宿は同前

とても動けないので、しようことなしに休養する、年はとりたくないものだ、としみじみ思ふ。
終日終夜、寝そべつて、並べてある修養全集を片端から読みつづける、それはあまりに講談社的だけれど。――
病んで三日間動けなかつたといふことが、私をして此地に安住の決心を固めさせた、世の中の事は、人生の事は何がどうなるか解るものぢやない、これもいはゆる因縁時節か。

嬉野と川棚を比べて、前者は温泉に於て優り、後者は地形に於て申分がない、嬉野は視野が広すぎる、川棚は山裾に丘陵をめぐらして、私の最も好きな風景である。
とにかく、私は死場所をここにこしらへよう。

※この日、句作記載なし、表題句は6月14日付記載の句

この後、山頭火は、川棚の地に庵を結ぼうと、先ずは金策のため田川市糸田の緑平を訪ねては舞い戻り、8月末頃までのほぼ100日をこの地に滞在している。

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Photo/下関市豊浦町川棚温泉界隈の全景、鬼ヶ城連山からの眺望

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Photo/山頭火が表題句-大楠の枝から枝へ青あらし-を呈した大楠

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Photo/幹周9.5m、樹齢1000年といわれ、一本の樹なのに森のようにも見えることから「クスの森」と呼称されている。


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ふるさとはみかんのはなのにほふとき

2011-01-15 16:34:24 | 文化・芸術
Dc09122624

―世間虚仮― 大阪7.7%、全国81.6%

この圧倒的な数値の差はなにか、といえば中学校における完全給食実施率。
滋賀46.0%、京都61.7%、奈良69.2%、和歌山55.6%、兵庫50.7%と、総体に近畿府県での普及は低いが、それにしても大阪の低さは他を圧倒している。因みに神奈川が16.1%で、大阪と神奈川がその低率において双璧だ。
統計は09年5月1日現在の状況だというが、これはいったいどういう背景や行政事情あってのことか、理解に苦しむ。

その昔、私が小六の時だったから、半世紀以上にもなるが、小学校における完全給食実施三周年とかの記念イベントが中之島公会堂で開かれ、学校から児童代表で出席させられた記憶がある。
舞台にあがって、各学校からの児童代表たちがシンポジウムよろしく意見交換をするといった躰の場面があったが、たしかこれには、ご丁寧にも事前にリハーサルのための場が設定されていたりして、ヤラセもいいところだったが‥。
それはともかく、小学校における完全給食実施に関して大阪は、おそらく当時としては、全国に先駆けその普及を誇っていたのだろう。
それが半世紀を経た今日、中学校の完全給食実施率において逆転現象どころか、きわめて特異な現実にあるというのは驚きを超えてあまりあるというもの。

―四方のたより―

<日暦詩句>-5
わたしの屍体に手を触れるな
おまえたちの手は
「死」に触れることができない
わたしの屍体は
群衆のなかにまじえて
雨にうたせよ
   ―田村隆一「立棺」より-昭和31年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -138
5月24日、晴、行程わづかに1里、川棚温泉

すつかり夏になつた、睡眠不足でも身心は十分だ、小串町行乞、泊つて食べて、そしてちよつぽり飲むだけはいただいた。
川棚温泉―土地はよろしいが温泉はよろしくない-嬉野に比較して-、人間もよろしくないらしい、湯銭の3銭は正当だけれど、剃髪料の35銭はダンゼン高い。

妙青寺-曹洞宗-拝登、荒廃々々、三恵寺-真言宗-拝登、子供が三人遊んでいた、房主さんの声も聞える、山寺としてはいいところだが。―
歩いて、日本は松の国であると思ふ。
新緑郷―鉄道省の宣伝ビラの文句だがいい言葉だ―、蜜柑の里だ、あの甘酸つぱい匂ひは少年の夢そのものだ。
松原の、松のないところは月草がいちめんに咲いてゐた、月草は何と日本的のやさしさだらう。

※表題句の外、4句を記す

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Photo/寿永2-1183-年の開湯といわれる下関の奥座敷、川棚温泉

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Photo/曹洞宗龍福山妙青寺の山門

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Photo/三恵寺境内の石仏たち


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