山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

炎天の電柱をたてようとする二三人

2011-08-09 23:44:33 | 文化・芸術
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―四方のたより― KAORUKO、奮闘中

KAORUKOの学校の、夏休みの自由作品に、紙芝居風に「北の旅」のアルバムを作ろうと、本人はもちろんだが、親父殿-私のことだ-も一緒に、只今奮闘中である。
題して「2011夏、北海道2000㎞の旅」」、作品は四切り画用紙8枚の大作?
今日はとりあえずその内の、初めの2枚をご披露。

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この夏休みは、お父さんと、お母さんと、私と、三人で、「北海道に行く」というのが一番の楽しみでした。
7月24日の朝早くから、それぞれの大きなバッグを持って、北海道に出発しました。帰ってきたのは、30日の夕方、午後四時ごろでした。
ちょうどまる一週間、北海道の広い大地を、西から東、南から北へと、レンタカーの車で走り回ったような、めまぐるしい旅でしたが、その一日一日の記録を、思い出の写真で このようにまとめてみました。
題はお父さんが考えてくれ、「2011夏、北海道2000㎞の旅」と名付けました。」

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「1日目 7月24日」
函館空港について、車をかりて、一番はじめにトラピスチヌ修道院にいきました。次に函館朝市にいって、お昼ごはんにしました。私はお寿司を食べました。
その後に五稜郭タワーに行きました。エレベータで、一番上まで行って、大きな星の形をした五稜郭を見ました。マスコットのGO太くんと写真もとりました。そのあと広い五稜郭の中を散歩しました。
それから車に乗って、大沼湖まで行きました。きれいな湖でした。それからずっと二時間くらい走って、洞爺湖に着きましたが、私は疲れてぐっすり寝ていました。
宿のペンションおおのに着いたのは六時過ぎでした。お母さんと一緒に温泉のお風呂に入って、それから三人で夕食をしたあと、洞爺湖の遊覧船に乗って、花火を見ました。
グーの花火やチョキの花火など変わったのもあって、とても楽しかったです。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-212

8月9日、朝湯のきれいなのに驚かされた、澄んで、澄んで、そして溢れて、溢れてゐる、浴びること、飲むこと、喜ぶこと!
野を歩いて持つて帰つたのは、撫子と女郎花と刈萱。
夜、掾に茶托を持ちだして、隣室のお客さんと一杯やる、客はうるさい、子供のやうに。-後記-
よいお天気だつた、よすぎるほどの。
ああ、ああ、うるさい、うるさい、こんなにしてまで私は庵居しなければならないのか、人はみんなさうだけれど。
独身者は、誰でもさうだが、旅から戻つてきた時、最も孤独を体験する、出かけた時のままの物すべてが、そのままである、壺の花は枯れても机は動いてゐない、ただ、さうだ、ただ、そのままのものに雪がふつてゐる、だ。
当分、酒は飲まないつもりだつたが、何となく憂鬱になるし、新シヨウガのよいのが見つかつたので、宿のおばさんに頼んで、一升とってもらつた、ちようど隣室のお客さんもやつてこられたので、だいぶ飲んで話した、‥ふと眼がさめたら、いつのまにやら、自分の寝床に寝てゐる自分だつた。

※表題句の外、句作なし。

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Photo/北の旅-2000㎞から―最深363mの支笏湖は、透明度も摩周湖に匹敵する-’11.07.25


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秋草や、ふるさとちかうきて住めば

2011-08-08 23:39:02 | 文化・芸術
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―表象の森― <日暦詩句>-40

 「卵」  吉岡実

神も不在の時
いきているものの影もなく
死の臭いものぼらぬ
深い虚脱の夏の正午
密集した圏内から
雲のごときものを引き裂き
粘質のものを氾濫させ
森閑とした場所に
うまれたものがある
ひとつの生を暗示したものがある
塵と光りにみがかれた
一個の卵が大地を占めている

  -吉岡実詩集「静物」-昭和30年-より


―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-211

8月8日、川棚温泉、木下旅館。
立秋、雲のない大空から涼しい風がふきおろす。
秋立つ夜の月-7日の下弦-もよかつた。
5、6日見ないうちに、棚の糸瓜がぐんぐん伸んて、もうぶらさがつてゐる、糸瓜ういやつ、横着だぞ!
バラツク売家を見にゆく、其中庵にはよすぎるやうだが、安ければ一石二鳥だ。
今日はめづらしく一句もなかつたが、それでよろしい。

※表題句は8月7日の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―苔の洞門-’11.07.25


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秋めいた雲の、ちぎれ雲の

2011-08-07 23:50:01 | 文化・芸術
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―表象の森― 一抹の違和

「マロニエの花が言った-下巻-」やっと読了。
その終りはやや唐突気味に幕を下ろした感があるが、それにしても愉しくも長い旅路だったように思う。
この詩と散文と批評の壮大な織物が書き起こされたのは1989年、月刊誌「新潮」の1月号からだった。その後、95年7月から数年の中断を挟みつつも、98年5月号に一挙に480枚を上梓し完結編とされた、という。

読後、ふっと心に湧いた小さな疑念がある。それは下巻全体のかなりを占める金子光晴に関する部分においては、藤田嗣治や岡鹿之助、あるいはブルトンらのシュルレアリストたちに触れた他の部分に比して、なんとなく滞留感というか一抹の重さのようなものがつきまとう、そんな気がする。その因は光晴という素材の資質によるものか、あるいはパリにおける嗣治と光晴の、実際の接点があったのには違いなかろうが、他の登場人物たちに比して、その関わりの稀薄さといったものにあるのかもしれない。さらにいえば光晴と三千代のパリ滞在の暮らしぶりやパリ在住の日本人やパリ人たちとの交流ぶりに、資料不足だったのか、嗣治や鹿之助ほどの詳細な活写が乏しいように覗われ、些か精彩を欠いたかのように思われる。

先に挙げた、95年7月の連載中断を挟んで、98年5月に480枚を一挙に掲載して完としたという事情も、このあたりの問題が加味していたのではないか。480枚に相当する部分が終盤の4章「二人の詩人の奇妙な出会い」「『パリの屋根の下』をめぐって」「日本人の画家さまざま」「あとどれほどの夏」にあたるとすれば、そんな小さな瑕疵も止むを得なかったのかと、なんだか腑に落ちてくる気もする。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-210

8月7日、まだ雨模様である、我儘な人間はぼつぼつ不平をこぼしはじめた。
此宿の老主人が一句を示す。―
  蠅たゝきに蠅がとまる
山頭火、先輩ぶつて曰く。―
  蠅たゝき、蠅がきてとまる
しかし、作者の人生觀といつたやうなものが意識的に現はれてゐて、危険な句ですね、類句もあるやうですね、しかし、作者としては面白い句ですね、云々。
動く、秋意動く-ルンペンは季節のうつりかはりに敏感である、春を冬を最も早く最も強く知るのは彼等だ-。
山に野に、萩、桔梗、撫子、もう女郎花、刈萱、名もない草の花。
焼酎一杯あほつたせいか、下痢で弱つた、自業自得だ。

※表題句の外、2句を記す


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Photo/北の旅-2000㎞から―一日目の宿、壮瞥温泉のペンションおおの-’11.07.24

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すずしく自分の寝床で寝てゐる

2011-08-06 23:25:14 | 文化・芸術
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―四方のたより― 季節が移りつつ‥

夕食の後、ベランダに出て煙草を一服。かすかな涼風が心地よい。西南の空には八日の月か、右から左から盆踊りの唄が競うように聴こえてくる。この頃になると過ぎゆく夏を感じて、なんだか和やかな気に満たされてくるような、そんな落ち着いた気分になれるものだ。

―表象の森― 岡鹿之助の「積雪」1935年
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画面の中景において右の方から現われた小川は、その真中を下方に向かって縦に流れ、前景にある橋をくぐってまた右に消えて行く。小川の両側には人家がばらばらに立ち、樹木も少しある。遠景には丘や樹木が見える。そのような眺めの全体に降りやんだ雪がたっぷり残って、まったくの積雪の景色であり、遠くの空だけが青い。-この油彩について、鹿之助は後年次のように書く。

「雪の景色を描くつもりではなかった。
自分で拵えたキャンヴァスが、この時は大変に面白くできたので、その白い、少しザラザラした艶消しの面を出来るだけ生かしたのものだと思った。雪の構図はそれから考えついた。白のなかに、ごく僅かな色でリズムやハーモニイをもって、一つの秩序をつくってみようと試みた。」

画家はふつうモチーフからマテイエールへと行くものだろうが、ここでその順序は逆だ。画面における好ましい白というマティエールへの強い関心があり、ついで、それに対応する適切なモチーフとして、雪が過去の記憶のなかから呼びだされているわけである。
これは極度に図式化された言いかただろうが、鹿之助の油彩の美学における一方の真実であるにちがいない。そして、それは思いきり一方に傾いているために、鹿之助がもう一方において白に対し、なんらかの別の特に強い関心をもつという均衡の成立を暗示するものだろう。その均衡こそ、彼の芸術がめざす「静的な浄福」にも深くかかわるはずである。
鹿之助が後年語っているところによれば、あらゆる色彩のなかで、彼にとっていちばん自分の言いたいことがいえるもの、そんな風に基調として親しみやすく、なじみも多く、執着もあるものは褐色であるが、これに対し、いちばん好きなものはほかならぬ白であり、「白の非情なあの美しさを出したい」と思っていたという。
そうなると、「静的な浄福」を画面に実現することをめざす鹿之助が、あるときマティエールとしての白い油絵具を、造形や構図のために雪という対象と広く結びつくかたちで深く望んだとすれば、それは同時に彼が、胸のなかの悲しみや怒り、欲望や失望などを、そのまま秘めるかやがて消すかするために、きびしく抑制あるいは批判していたということだろう。
いいかえれば、「白の非情なあの美しさ」をかたどって降り積もった雪が、画面に浮かぶ具象でありながら一種抽象に近い観照の表情として、画家のそのときの人生に似合わしかったということであるにちがいない。
 -「マロニエの花が言った-下巻-」P506-554「日本人の画家さまざま」より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-209

8月6日、暁の雨は強かつた、明けても降つたり晴れたりで、とても椹野川へ鮒釣りに行けさうもないので、思ひ切つてお暇乞する、ここでもまた樹明さんの厚意に涙ぐまされた、駅まで送つて貰つた。
何といろいろさまざまのお土産品を頂戴したことよ! 曰く茶卓、曰く短冊掛、曰く雨傘-しかも、それは其中庵の文字入だ-、曰く何、曰く何、そして無論、切符から煙草まで、途中の小遣までも。
汽車と自動車だから世話はない、朝立つて昼過ぎにはもう宿にまひもどつた、一浴して一杯やつて、ごろりと寝た。
やつぱり、川棚の湯は私を最もよく落ちつかせてくれる、昨日、学校の廊下で籐椅子の上の昼寝もよかつたが、今日の、自分の寝床でのごろ寝もよかつた。
朝湯と昼寝と晩酌とあれば人生百パアだ!

※表題句の外、1句を記す

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Photo/川棚の湯の神、青竜権現を祀る松尾神社

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Photo/北の旅-2000㎞から―洞爺湖、晴朗ならば左側に羊蹄山が望める筈だが‥-’11.07.24


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ふるさとの水だ腹いつぱい

2011-08-05 23:31:36 | 文化・芸術
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―四方のたより― おみやげ?
どうせ一回こっきりの北の国への旅なれば、なにがしか記念になるものを購ってもよかろうと買い求めたのが写真の、つがいの島梟とグラスたち。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-208

8月5日、曇、眼がさめるとまたビールだ、かうしたアルコールはいくらのんでもよろしからう。
名残は尽きないけれど、東路君は勤人、私は乞食坊主なので、再会を約して別れる。
8時の列車で小郡へ。―
農学校に樹明さんを訪ねる、いつもかはらぬ温顔温情の持ち主である、ここでもまたビールだ、いかな私もビールよりも巻鮨の方がうまかった!
樹明さんの紹介で永兵さんに初相見した、私たちの道の同行に一人を加へられたことを喜ぶ。
防府で、小郡で、その他、山頭火後援会の会員が10口くらい出来たのは-いや出来るのは-うれしい。
学校として、農学校は好きだ、動物植物といつしよに学び、いつしよに働いてゐるから。
樹明居の一夜は一生忘れることの出来ない印象を刻みつけた、酒もよい、肴もよい、家も人も山も風もみんなよかつた、冬村君もよかつた、君のおみやげの梅酒もよかつた、ああよかつた、よかつた。
あんまり物みなよくて一句も出来なかつた。

※表題句は8月4日の句

国森樹明-じゅみょう-は本名信一(1897-1960)、層雲の同人で、山口農学校の事務長をしていた。
柳井市金屋地区に、白漆喰に入母屋土蔵造りで18世紀後半の建造とされる油問屋だった国森家住宅が、重要文化財として今に残るが、樹明はこの国森家の縁戚に連なる人ではなかったか。

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Photo/柳井市金屋の国森家住宅

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Photo/北の旅-2000㎞から―洞爺湖遊覧船乗場の盆踊り風景-’11.07.24


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