2001年は巳年だったんですね。
カメラの調子が悪くて謎の丸い影が・・・あとで
差し替えるかも(といって差し替えた試しがないけど)。
幾星霜の月日をへても心に残っているマンガ・・・ということで、高校までに出会った作品を18回に渡ってピックアップしてみました。
短編が圧倒的に多いですね。メジャーな長期連載が全然ない。
トーマや那由他は連載としては長期じゃないし、軽シンは長期だけど、ほんとに好きなのは4巻あたりまで。
とにかく「短編マンガ」「読み切りマンガ」のファンでした。
かつての「りぼん」では、読み切りラブストーリーを各マンガ家さんが競い合う企画を、しょっちゅうやっていまして。
トップバッターは田淵由美子さんか陸奥A子さんと決まってましたが、そのあとはいろいろ。
清原なつのさんも、あとからそこに仲間入りしたんじゃないかな。
あの企画が好きでね~。ハッピーエンドなかわいい恋物語とわかってはいても、皆さんやっぱり趣向を凝らして設定とか性格とかを変えてくるので、とても楽しみでした。今度はどんなムードでくるかなあって。
ただ、だんだん連載マンガのほうが多くなってきちゃって・・・。
読み切りだと、今回はいまいちでも次は、って期待できるけど、連載じゃそうはいきませんよね。
だんだん対象年齢もさがってきて、高校生くらいの身近な恋愛が主流になり、結局「りぼん」とはお別れしました。
そして身近でないマンガの宝庫だった「花とゆめ」「LaLa」に流れることに(笑)。
マンガって、すごく短編向き、掌編向きのメディアだと思うんです。
だって絵で訴えるから、作家が読者に伝えたいと思っているイメージを、ダイレクトに伝えることができる。
読者のほうもひとめでイメージを受け取れる。ひとコマ見れば、たとえば泣いている顔がすごくよく描けていたりしたら、すぐに感情移入できる。
小説だとそうはいきません。他人が書いた文字から自分の脳内イメージを造り出すには、かなりの情報量が必要。相性も必要。
それにやっとイメージできても、記憶にとどまっている時間が短い気がします。いつまでも心に残る短編小説は、もちろんいっぱいありますが、私の場合ものすご~くその作家さんが好きでない限り、感情が長続きしません。
でもマンガだと、無名の作家さんのものでもこれだけは好き、っていうのがけっこうあって。視覚イメージって強烈なんだなあと思います。
たしかに短編を描くのは難しい。長編みたいにキャラの魅力を描き込んでいくというやり方は、ページ数不足で使えないし、よほど吟味した台詞でないと時間切れだし。
ひとめで魅力的だとわかる画力。単にキャラが描きたいのではなく「これが伝えたいんだ。このテーマが描きたいんだ」っていう作家さんの意志。起承転結の構成力。
難しいですねー。
でも両立すれば、小説よりも名作への道が近いんじゃないかと思うんだけどちがうでしょうか。
というわけで、いまの少女マンガ誌に対してひとこと!
連載が多すぎやしないですかね!?
しかも人気があるとページ数ふやして大ゴマ多くして、かえって画面の質がさがるし話の密度がうすれるし、そういうやりかたしていて大丈夫なの??
長編ってのは本来、短編では描き切れないほど深くキャラを掘り下げるとか、多種多様なキャラが出るとか、事件がたくさん起きるとか、そういう理由があってはじめて成り立つべきものなんですよ。
そりゃ連載をふやすほうが雑誌の売れ行きは安定するかもしれないけど、少女マンガ界のクオリティのほうは反比例で不安定に。
エンタメだから別にクオリティなんて、という考え方もありですが、エンタメだからこそ質がものを言うんじゃないのかなあ。
マンガは世界に誇る日本文化、とか政府でも認知されつつあるようですが、そもそも、なんでそこまで注目されるようになったのか。
大島弓子さんとか萩尾望都さんとか山岸涼子さんとか、掌編マンガでいうと初期の高野文子さんとか。
そういうかたがたの超傑作があったからこそ、認められるようになったんじゃないんでしょうか。
いまの少女マンガで第二の大島さんや萩尾さんが生まれるとは思えない。
あ、もしかして青年誌のほうでは出るかもしれないけど、あの少女特有の感性というか美意識というか儚さというか・・・とにかくそういうものは、思春期の女性を対象とした雑誌だからこそ生まれ出たのではないかと・・・。
ああ、最近の若いもんは、と嘆く老人の気持ちがよくわかるお年頃になってしまって残念だ。
しかしまだ言い足りないため、次回、も少し言わせてくださいねー。
つづきます、はい。
こんな記事だけど読みましたよ、の
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