あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

死による命

2018-11-28 08:31:21 | 随筆(小説)
お前のその後を想っている。
お前は本当に馬鹿なことをした。
お前はとんでもない馬鹿野郎だ。
でもお前はこれからも他者の苦しみに目を背けて生きて死んでゆくのかもしれない。
やれんよ。
この世界には大きく二種類に分けて気狂いがいる。
お前のように動物を苦しめて殺し、その肉を喰ったりその肉で稼いでもなんとも想わない気狂い。
俺のようにそんな人間をどん底に突き落とすことをなんとも想わない気狂い。
お前は今でも自分が被害者だと想っている。
肉屋を襲撃する人間の悲しみも苦しみもお前には一生わからないのかもしれない。
生きたいと請い願う動物を苦しめて殺し、その死体を売って自分の稼ぎとする人間がなぜ被害者面ができるんだ?
答えは気狂いだからだ。
俺はお前を本当のどん底に突き落としてでも目を覚まさせなくちゃならなかったんだ。
お前はこれからもずっと動物の命を搾取し続けるつもりか。
そして醜い面で願望するのか。
幸福になりたいと。
糞の中の糞のお前は、それが何れ程愚かなことかまだわかっていない。
俺のように本当のどん底に堕ちて、漸くわかる人間はたくさんいるだろう。
人間は楽に生きても、愚かに生きて愚かに死んで行くことしかできない。
愚かな人間たちはとにかく自分達の幸福を求める。
とにかく苦痛より楽を求め、
とにかく快楽を求める。
他者を苦しめて殺していても、その苦しみと死は自分に返ってくるとは信じようとしない。
俺はこの世界がいつも、朝目が覚めた瞬間から血塗れに見える。
ずっとずっと血が流され続けているからだ。
愚かな人間の欲望のために。
俺はこの世界すべてが場に見える。
殺す者は必ず殺される世界だと知っているからだ。
動物は人間に見え、人間は動物に見える。
動物は人間だったし、人間は動物だった。
幸せに生きて死んでも来世は家畜となって生まれてくるんだ。
いつまでそんな地獄の連鎖を続けるつもりだ?
肉がそんなに美味しいか?
お前らの来世の、その死体だよ。
俺はこんな拷問と地獄を一日でも早く終わらせてくれと血の涙を流しながらお前に頼んだ。
でもお前には届かなかった。
動物たちだってお前たちと同じようにずっと生きて行きたいんだよ。
でもお前たちは動物を冷酷に殺し続け、そして俺に言うんだ。
『動物を殺すなということを強要される必要はない。』
これが気狂いじゃなくて、なんだと想う?
俺は動物たちが殺され続けるこの世界で一秒足りとも生きている心地を感じられないほど苦しいっつってるのに、お前たちは俺を苦しめても動物たちを苦しめても平気な顔で生きている。
動物は人間のように尊重されない。
俺がお前たちを動物のように扱えばお前たちは激怒するだろう。
例えば人間の親が自分の子供に道路上で轢かれていた犬や猫の死骸をミンチにして食べ物として与えていたら虐待だと非難され、キチガイ呼ばわりされるだろう。
でも人間は平然と同じことを動物にしている。
でもこの虐待と気狂い行為が序の口であることくらいお前も知っているよね?
かつては牛は牛の死体を食べさせられていた。
でも今でも豚は豚の死体を食べさせられているし鶏は鶏の死体を食べさせられている。
それも動物たちには内緒で。
同じことを人間が人間にしていたら『おぞましい』とか『鬼畜』とか言われるだろう。
なぜ動物たちに対しては許されるんだ?
学校で自分の子供が虐められたら親は虐めた人間たちを憎むだろう。
でも昨夜にその親が食べた肉は虐待されて拷問の末に殺された死体だ。
ある日突然自分の家族が殺され、帰らぬ者となるなら遺族は泣き叫び続けることだろう。
『何の罪もないのに殺された』と。
では動物たちは虐待を受け続け、生きたまま解体されるという拷問処刑にされるほどの大罪を犯したのだろうか?
彼らは自分達が食べ続ける動物たちの苦しみに目を向け、何とかしなくてはと心から焦燥感に駆られたことが一度でもあっただろうか?
何故、動物たちを殺し続けることは何とも想わないのだろう?
答えは此処に在る。
『無関心』だ。
俺たちは動物に関心を向けないでずっと生きてきた。
彼らがどれほど苦しんで殺されているのか、関心を持たなかった。
持つことができなかった。
視界に入ってこようとするとき、それを自ら遠ざけてきた。
だって見てしまえば、もう美味しい肉が食べられなくなるからね。
まるで幼児のように知能が低い。
『糞』や『馬鹿』などの言葉では言い表せないほど頭が悪い。
凄まじく愚かで頭が悪すぎる。
そして自分達の幸福をひたすら望む。
そして自分達の楽園をひたすら願う。
そして自分達の快楽をひたすら求む。
そして自分達のことを考えたまま死んで行く。
俺は彼らに血まみれの身体で頼んだ。
今すぐに動物の死体を売って稼ぎとする行為をやめてほしいと。
彼らはそれを拒否した。
今すぐにはやめられないと。
もし動物が人間と同じに尊重される時代が来たら、彼らはすぐに逮捕されるだろう。
牛や豚の知能は霊長類、人間の新生児や幼児なみの知能があると言われている。
つまり牛や豚の感覚は人間の赤ちゃんや幼児と変わらないものかも知れないんだ。
彼らの痛覚や、恐怖の感覚、そこにある苦痛を真剣に考えられるなら、『今すぐには殺すことをやめられない』なんて言えるだろうか?
彼らがどんなに苦しんでいようとも彼らから搾取しようとする利己主義者がいなくなれば彼らは殺されない。
俺はすべての存在を本当に愛している。
すべての存在が一秒でも早く救われて欲しい。
救われるとは、楽に生きることではない。
利己的に幸せになることではない。
すべてが堪え難い苦痛から解放され、すべてが自分の本当に願う生を生きて欲しい。
それが存在の救いなんだ。
肉食者は肉を食べ続ける限り決して救われない。
動物の死体で利益を得続ける者は決して救われない。
彼らは苦しみの底にいることに気付いていない。
すべてが緊密に繋がっている。
俺たちはひとりひとり切り離された存在ではないんだ。
動物たちの助けを求める声が、俺たちに届かないはずはない。
俺たちにしか彼らを救うことはできない。
畜産業はこの世界に必要はないのに彼らは死を強要されている。
彼らの死体を食べる者は死によって血と肉と骨が作られる。
彼らの身体は死体によって出来ている。
そして彼らの心は死に支配され続ける。
剣を持つ者は剣によって滅び、殺す者は殺され、死を食べる者は死によって食べられる。
死の真っ黒な影に囲まれた部屋で彼らは悦んで死を喰らう。
彼らの心も身体も死が満ち充ちてゆく。
彼らは死で出来ている。
彼らは死の産物。
腐敗して行き、やがて塵となる。
さ迷うその魂を、何者かが手招きする。
何者かは彼らに新しい生を与えてやる。
彼らは目を覚まし、冷たく寒い豚小屋で母を求める。
母は時に牛であり、時に豚であり、時に鶏であり、時に馬であり、時に羊であり、時に鯨であり、時に魚であった。
俺は彼らの前世が人間であったのを知り、決意する。
俺は命を犠牲にして彼らのすべてを必ず救い出さねばならない。
それが俺という存在、死による命だからである。