あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

真の答

2019-05-25 13:22:50 | 存念
昨日2019年5月24日は、神戸のサカキバラ事件から22年目であり、
今日2019年5月25日は、わたしが小説を真剣に書いて死ぬことを決意するに至った小説、
町田康の「告白」の題材となった河内十人斬りという1893年(明治26年)に起きた大量殺人事件から、126年目です。
 
 
「告白」の本の帯に記された事件のあらまし
 
明治二十六年五月二十五日深夜、雨。河内国赤阪村字水分で百姓の長男として生まれ育った城戸熊太郎は、博打仲間の谷弥五郎とともに同地の松永傳次郎宅などに乗り込み、傳次郎一家・親族らを次から次へと斬殺・射殺し、その数は十人にも及んだ。被害者の中には自分の妻ばかりか乳幼児も含まれていた。犯行後、熊太郎は金剛山に潜伏、自害した。犯行の動機は、傳次郎の長男には借金を踏み倒され、次男には妻を盗られた、その恨みを晴らすため、といわれている…。熊太郎、三十六歳のときであった。
 
 
両者とも、猟奇的であり、子供(乳幼児)が殺されている血も涙もないような、凄惨極まりない殺人です。
我が生涯の師匠と尊崇し続ける町田康は、この「告白」という小説を、『何故、人は人を殺すのか?』というみずからの切実で苦しい問いによって、書き始めた。
町田康師匠は、本当に愛の深い御方で、以前、対談にて、こう仰っておられました。
「この世が弥勒の世でないことが苦しい。」と。
つまり師匠は、自分の人生について苦しむ以上に、この世に悪が、地獄が、嘘が、満ち満ちているそのことに、常に苦しんで生きて来られた方なのです。
その苦しみが、あまりにも深かったから、師匠は「告白」という本物の大作を、完成させることができた。
わたしは生涯、この「告白」を超える本に出会うことはないだろう。
何故この本がこれほどまでに、素晴らしくてならないのか。
それは町田康が、大量殺人事件の殺人者、城戸熊太郎自身と成り、そしてそれ以外の、殺される者たち、共犯者、谷弥五郎自身と成って、心血を注ぎ込み続けながら、胸を苦しめ、絶望しながら、この作品を最後まで書き切ったからです。
師匠は、「告白」のすべての登場人物と成って、この小説を書いた。
ということは、師匠は殺す存在と殺される存在、両者の絶望を、苦しみと悲しみを、たった一人で抱え込まなくてはならなかった。
自分が自分を殺し、自分の愛する者を自分で殺し、自分の愛する者に、自分が殺されねばならなかった。
たった一人で何ヶ月とかけてそれを味わい、最後に昇華させねばならなかった。
わたしは師匠が苦しみ抜きながら行ったこのすべての作業が、この世で最も人間にとって尊(たっと)いことであると、この小説を読み終わったあと、確信した。
 
人間は、自分を含む自分の愛する者だけの為に、苦しんで死んでゆけば、それで良いわけではないのです。
苦しみは、この世のすべての場所に在り、そのすべての場所に在る苦しみのすべてが、救いが必要なのです。
わたしたちは、自分と、自分の愛する者たちだけが幸福であるのなら、それで幸福に死んでゆけるわけではない。
どこかで必ず、今この瞬間にも、地獄の底で苦しんで死んでゆく者たちがいる。
その一人が、殺人者であり、堕胎される胎児であり、自殺者であり、家畜であり、毛皮や動物実験や殺処分によって殺される動物であり、病、事故、テロ、自然災害によって死んでゆく者、飢餓と水不足によって飢え死にする者たちです。
わたしたちは、自分たちさえその地獄に遭わないのであれば、平和であるわけではないのです。
 
この世には、どれほど苦しくとも、目を背けてはならないものがある。
自分の幸福と、快楽と、安泰を喪ってでも、救わねばならない存在たちが無数に存在している世界に、わたしたちは生かされている。
 
「なぜ、命が奪われなければいけなかったのか、真の解答を求め続けている。
 自らが犯した残忍な犯罪に向き合う必要がある。」
 
被害者遺族は、ずっとずっと、その解答を求め続けている。
だが、自分の愛する者の命を奪った当人からは、何一つ、求める解答を得ることはできない日々のなか、生きて行かなくてはならない。
 
「みずからが犯した残忍な罪に、向き合う必要がある。」
 
2012年、わたしは何故、人類がこのような地獄の果てに死んで行かねばならない世界なのか、拷問の末に殺されゆかねばならない世界なのか、その答えを求め続けた末に、ひとつの、揺ぎ無い答えに、辿り着いた。
 
それはわたしたち人類が、本当のところで、”みずから犯した残忍な罪”に、向き合って生きて来なかったからである。
 
そしてわたしは、漸くそれに気づき、人生で初めて、と殺(屠畜)場の映像を見た。
 
するとそこに、わたしの愛する家族が、いて、必死に助けを求めていた。
でもわたしの家族は、無残にも、脳天を銃で打たれ、気絶してその場に倒れ、足をチェーンで吊られて、逆さに吊り上げられ、喉元を鋭利な刃物で切り裂かれて、血が流され、その血が、鼻に入って息ができなくて気絶から目を覚まし、手足をばたつかせ、もがき苦しんでいるところに次のラインに運ばれ、手足を生きたまま切断され、腹を切り裂かれ、内臓を引き摺り出され、生きたまま皮を剥がされ、最後に、頭部を切断され、その血だらけの頭部は、ラインの上に載せられ、じっと、わたしの目を、何かを訴えながら、見つめていた。
 
わたしの家族は、そうやってわたしの知らないところで、ずっと、ずっと、ずっと、殺されていた。
 
わたしは、わたしの一番の罪を、その時、やっと知った。
 
わたしは確かに、自分の家族を殺し続けて生きてきた殺人者であった。
 
そしてその家族の死体を、味わって食べてきた、猟奇殺人者であった。
 
「人は何故、人を殺すのか。」
「何故、この世は、これほどまでに地獄の世なのか。」
 
その切実な、わたしの問いに対する解答。
これが。
わたしに対する、わたしの神の、真の答えだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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