あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

『親も子も老いていく…… 引きこもり「8050問題」のいまと核心』に感想を送った。

2018-07-30 19:51:04 | 自画像

親も子も老いていく…… 引きこもり「8050問題」のいまと核心

 

今日、これを読んで、俺は感銘を受け、感想をYahoo!に初めて送った。

それは以下の文である。

 

 


この記事についてのご意見、ご感想をお寄せください。 
 
はじめまして。
わたしは1981年生まれの独身女性、引き籠り歴10年の大阪に一人とうさぎ一羽と共に暮らす者です。
 
『親も子も老いていく…… 引きこもり「8050問題」のいまと核心』を、
自分自身の問題でもあり、深刻な想いと、またとても関心深く拝見させて頂きました。
 
わたしが鬱になった大きな原因は2003年末に他界した最愛の父との相互依存の関係があります。
そして2008年の元恋人の過激な暴力が決定的なものとなって、それ以後は働く意欲が完全に失せてしまい、それ以後、働いておりません。
 
わたしの場合は母が4歳のときに、父は22歳のときに既に他界しておりますので、この先親が居なくなったら、という心配はもうありません。
生活は2010年の10月の終わり頃から、生活保護を受けて暮らしております。
鬱症状は二十歳の頃からですが、今も鬱症状があって、部屋の状態が酷く、一人で片付けることもうさぎの世話をしっかりとすることもまともにできない為、ホームヘルパーさんを無償で頼みたくて障害者手帳二級を取っています。
しかし手帳は取れたのですが、ホームヘルパーを頼む申請手続きがまだ行なえておらず、未だその面においての助けはありません。
 
廊下から、パソコンデスクの位置まで辿り着くまで、部屋に物が大量にあってあまりに通る道が狭く、ふらっとして倒れそうになったり、また炊事場は大体黒かびだらけで大変不衛生で、なんとかしなければならない…といつも想うのですが、鬱症状がなかなか良くならず、そう想ったまま何ヶ月、気付くと何年と過ぎていく感じです。
 
市役所のわたしの担当のケースワーカーの方は、かなり放ったらかしな感じで、滅多に連絡も来ませんし、家庭訪問もありません。
 
姉と兄がいるのですが、実家に暮らす兄とは音信不通、近くに住む姉とも、今年に入って仲違いが起きてしまい、連絡をしない仲になってしまいました。
 
頻繁に話すようなリアルの付き合いのある友人もひとりも居りません。
 
わたしがこの部屋で一人で突然死してしまっても、何ヶ月か誰にも気付かれず、飼っているうさぎのみちた(十歳と4ヶ月)も、餓死してしまうのではないかと、最近いつも怖れながら暮らしております。
 
しかし孤独死の問題は、ホームヘルパーの方に頻繁に家に来て頂いたり、連絡を取るようになるなら、例え突然死しても、なんとか、最悪な状況は免れるのではないかと考えております。
(孤独死の問題はこれからますます増えてゆくかも知れず、非常に深刻であると感じます。)
 
わたしはそれでもまだ女性で在る為、誰か良い人と巡り会えさえしたなら主婦として頑張って生きてゆくこともできるかもしれません。
でも男性の場合は、それが難しいですから、わたし以上に深刻であると感じます。
 
どうすれば良いのか?
簡単に答えは出ないですが、一つは、少し強制的であっても、人と頻繁に関わることのできるコミュニケーション施設や、団体があれば良いのではないかと想います。
これは自分自身がそういうものがあれば、人と仕方なく関われるし、孤独死の心配も減るかもしれないと考えるからです。
 
何故、少し強制的であらねばならないのかと言うと、そうでなければ、やはり人と関わることができないからです…
強制といっても、規則や権力的なものではなくて、あくまで「あなた自身の為である」という理由で、相互に理解し合えるものが良いです。
とにかく外へ出る、ということを習慣づけなくてはなりません。
ただこれが自分だけの意志ではできないのです。
外に出るのは酷く億劫で苦痛で、それ以前に、「よし出よう」「出なくては」という意志すら奪われて、日々疲弊しきった感じで生きているからです。
運動不足と、毎晩の晩酌もあり、日に日に心臓が弱くなってきていることを感じています。
 
少し強気でも親切な団体などから、「一緒に外へ出ましょう」「一緒に散歩しましょう」「すこしみんなで集まって話をしましょう」と言って、家に訪ねて貰いたいのです。
最初は嫌々でも、それが日々の習慣となるなら、最低限の生きてゆく為の義務であるとして、慣れて来るかもしれません。
 
本当は、市役所が、そういう風にして来てくれないかなと想って来たのですが、市役所はほとんど事務的な関わりであって、わたしよりももっと深刻な人を助ける為に忙しいのかもしれません。
 
外に出るときは苦痛ですが、ほんの近くのコンビニや郵便局やスーパーまで出掛けて帰ってくるだけでも外に出れたことは大きな達成感を感じます。
 
普通に外に出られる方、働いておられる方には甘えに感じられても仕方ないかもしれません。
心無い言葉もよくネットで掛けられます。
働かない人間に対する差別は根深いものだと感じます。これは世界的なものです。
でも意欲が出ないのです。「外に出よう」「外で人と関わろう」という意欲が。
 
心的外傷(トラウマ)は、10年、20年で元通りになるものではないと想っております。
わたしの場合は未だに姉と兄から「おまえのせいでお父さんは死んだ」と想われています。
 
引き籠りは、自分を自分で責め続けることで起きると感じています。
この世界で自分自身が最も赦せないのです。
だから外へ出ても、すべてが自分の鏡となって、責められているように感じてしまう為、人に逢うのが酷く苦痛になります。
 
少しずつ、少しずつ、自分を赦してゆく作業を自分でして行かねばなりません。
わたしの場合はそれを言葉の表現(小説など)を通していつも遣って来ました。
 
自分の最も好きなことを家でして行けるなら、心は救われるものが在ります。
それでも世間の差別は消えません。
自分の好きなことだけをしていたら、それはそれで、妬まれ、厭味を言われます。
自分の好きなことが稼ぎとなるならば、こんなことを言われることはないだろうに。
誰もわたしの小説を買う者はおらず(本は出していませんが)、それで食べてゆくことができていない為、厭味を言われたり、嫌がらせをされたりします。
 
社会の在り方を、教育を、根本から、変えて行く必要があると感じます。
わたしは小学校の頃から異常な緊張体質で休みがちで中二で不登校になりました。
勉強はろくに出来なかったので進学を諦め、中学卒業してすぐ働きに出ました。
しかし続いて半年。家に居た期間のほうがずっと長いです。
それでも27歳まで、色んな職場で勤めて来ました。
馬肉工場、残業あわせて10時間ほどの立ち仕事のライン作業など。
涙を落としながら仕事していた日もあります。
なので、その頃と比べれば仕事をしなくても生きてゆける分、楽なとろこはありますが、その代わり、だんだんと孤立してきています。
ネット上にも、居場所がほぼないと感じるからです。
素直にブログで表現すれば敬意のまったくない厭味なコメントを貰います。(『安全圏のなかにいて、すごいね。』などの…)
未来を想えば不安ばかりですが、今日一日、必死に生きることができるなら、必死に生きたと想えるなら、引き籠っていても生きる喜びを感じられるのではないかと想います。
 
そういう想いで一人一人が、自分を救うことができるようになることを願っております。
 
このテーマを取りあげて下さった方々に心より感謝申し上げます。
 
 
 
わたしに何か質問が御座いましたら、できることには協力させて戴きたいと想います…
xxxxxxx@gmail.com
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今後、取り上げてほしいテーマがあれば教えてください。 
 
・孤独死問題
・死刑問題
・人工妊娠中絶問題
・畜産業の大量生産問題
・海の乱獲問題
・環境破壊問題
・毛皮、動物実験、犬猫殺処分問題
・食料廃棄問題
・ゴミ廃棄物問題(海に流れる大量のプラスチック問題)
・トキソプラズマ問題
・認知症問題
・BSE問題(アルツハイマーとの関連性)
・家畜に与える大量の成長ホルモン、抗生物質問題
・養殖魚の薬漬け(薬物使用)問題
・食糧飢餓、水不足問題
・日本の食料自給率問題
 

 

 


 

我ながら、良い感想を送れたと自負している。

 

そのあと、みちたの爪を切ったり、家の写真撮って加工したりして遊んだよ。

 

 

ブラボウ、余の人生。by町田康師匠

 

大阪北部地震でさらに悲惨になったままの俺の居間。

 

俺の部屋の廊下。

 

 

眠っているみちた。

 

実家で兄と飼っていたちっちゃんがプロフ写真の俺のマイスペース。

 

俺。

 

俺の本棚。

 

いつまでハロウィンしてるのだ。

 

俺のインスタ。



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