Sigma sd Quattro H Sigma 50mm f1.4
Sigma 50mm F1.4 DG HSM Art 室内光 F2.0 1/25秒 ISO100
子供のころ都会でも珍しくなった、餅つきを実家では毎年の暮れ12月30日にするのが決まりごとだった。
もう数十年も昔のことだが、その当時は餅つき機などというものは無く、石臼を庭に出して急ごしらえの
かまどで燃料店で予約しておいたマキの木でもち米を蒸す、本格的な餅つきだった。
母親の言うにはガス窯で炊いたもち米と、火力の強いマキの木で一気に蒸し上げたもち米とは、味も腰も
違うといっていたが、今でもその違いは僕には分からない。
30日に餅をつくというのはゲンがあって31日は、大晦日はおせち作りで餅つきところではなく、29日は
9の数字を嫌い苦餅ちといって、一般の家庭ではつくことはない。
かまどの火守りは当時小学生の僕の役目で、餅つきが終わったあとの火種で焼き芋を焼いたのも懐かしい想い出だ。
関西ではそのときに作ったお鏡餅を、大晦日に床の間に飾るのだが、三盆さんの上に2段に重ねた鏡餅を
置きそこに竹串に刺した干し柿と白昆布と柚子を順に積み上げていく。
子供の頃は、その干し柿が食べたくて食べたくて、なんども母親にねだるのだが答えはいつも鏡開きの
15日まではお預けだった。(2週間も経つと柿はカチンコチンになって餅の青カビにまみれて食べられないのだ)
でも食いしんぼの僕は、母親の目を盗んで竹串に刺さった10個ほどの干し柿を、1個盗み食いしては分からない
ように1個ずらして食べては、また1個食べてはずらして、正月の3日目くらいになると誰の目にも短い床の間
の干し柿を、いつ見つかるかとびくびくしながら過ごしていた。
正月も明けたころ母親に気づかれて、こっぴどく叱られて(やはり罰あたりだそうで)叩き回された記憶がある。
そんな母親も5年まえに亡くなって、スーパーで見つけた干し柿手作りセットを買って、これから皮を剥いて
熱湯に漬けて消毒をして、附属のわら紐でヘタT字にくくりつけて、ベランダで寒風にさらせば正月にはゲップが
出るくらいの干し柿が食べられる。
ソフトボールくらいのこの大きな柿が水分が抜けると、どれくらいになるかも興味津々です。