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続/自衛隊の強化は喫緊の課題だ

2025-03-10 19:33:03 | 戦争
続/自衛隊の強化は喫緊の課題だ
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」373/通算804 2025/令和7年3/10 月】 小生の読書は「教養・学問系」が多い。娯楽系の本は読んでも「ああ、面白かった!」で終わってしまい、血肉にならないから時間とカネの浪費みたいで好まない。「悪貨は良貨を駆逐する」と言うが、「悪書は良書を駆逐する」のではないか。ボケ老人の小生は気に入った本や、難しくて咀嚼(そしゃく)できなかった本などをパソコンの近くや枕頭に置いている。数日前に何気なく手に取った加瀬英明氏著「日本と台湾 なぜ両国は運命共同体なのか」(初版2013年、祥伝社)を読んでいたら、ちょっとビックリした。小生の師匠である渡部亮次郎氏が登場していた! 以下転載すると――

<◎:田沢湖と澄清湖(とうせいこ)との姉妹湖協定: 日本と台湾の間は、民間による強い絆(きずな)によって結ばれている。日本にとって台湾ほど幅広く強い民間交流によって結ばれている国は他にない。私は1986/昭和61年に秋田県田沢湖町(現在の仙北市)で国際交流をテーマとしたシンポジウムが模様されたのに講演を依頼されて招かれた。主催団体の理事長を、秋田県出身で親友の渡部亮次郎氏が務めていた。
初めて田沢湖を訪れたが、日本で最も水深が深いという湖水は美しかった。シンポジウムが始まる前に、田沢湖にアメリカやヨーロッパから観光客を誘致したいが、どうしたらいいか教えて欲しいと求められた。当時、札幌の雪まつりに海外から多くの観光客が訪れていた。

湖畔のホテルの会場は地元だけではなく隣り町や村の人々でいっぱいだった。私は「申し訳ありませんが、アメリカやヨーロッパから観光客がご当地までやって来るとは思えません」と述べてから、「これから東南アジア諸国が急速に豊かになってゆきます。すでに台湾は豊かになっています。台湾から東南アジアまで雪が降らないし、紅葉もありません」と、こう続けた。
「台湾は日本にとって縁が深い大切な国です。台湾をアジアの玄関と考えて、まず台湾の人々に田沢湖の美しさを知ってもらったらどうでしょうか」と問いかけた。話しながら、姉妹都市という言葉がひらめいた。「みなさんは姉妹都市をご存じだた思います。台湾には美しい湖水(湖)がいくつかあります。皆さんが希望されるなら、田沢湖と台湾の湖水と姉妹湖の縁結びをしたらどうでしょうか」
と呼び掛けた。おそらく、それまで世界に「姉妹湖」は例がなかった。そのうえで、台湾政府に多くの友人を持っているから提案してもよいよと付け加えた・・・>

加瀬氏や日台双方の努力で、高雄市の「澄清湖」(とうせいこ)がパートナーに決まり、1986年11月には田沢湖町の一行が訪台し、姉妹湖縁結びの調印式には台湾中の主要メディアが報道したという。
田沢湖町は現在は「仙北市」になっているが、WIKIによると――

<田沢湖地区は日本で最も深い湖・田沢湖がある。農林業と観光業が盛んで、小規模な縄文遺跡が点在し、北部に位置する玉川温泉の北投石は国指定の特別天然記念物である。角館地区は武家屋敷を中心とした重要伝統的建造物群保存地区があり、「みちのくの小京都」と呼ばれる歴史の町であるとともに、桜の名所である桧木内川堤を擁する。秋田新幹線開業後は更に観光客が増加し、東北有数の観光地となっている>

しかし人口減には歯止めがかからず、渡部亮次郎氏も今は温暖で便利な東京で暮らしている。小生も神奈川県高座郡座間町入谷の生まれ故郷にここ数年は行っていない。行ったところで知らない人が住んでいるだけで、小生を知っている人や親戚も今はいなくなってしまった。「故郷(ふるさと)は遠くにありて思うもの」と古人は生まれ育った地への複雑な思いを書いたが、今や伝統の「家長による一子相続」が米国GHQによって廃止されたために、両親が亡くなると生まれ故郷の家は「都市部の良い物件」ならば子供ら相続人たちの「バトルの舞台」になるのだ。バトルが終われば故郷は事実上消滅、兄弟姉妹の交際も絶えて、まるでアカの他人のようになる。古き良き日本を取り戻すには「王政復古」的な改革が必要ではないか。
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いささか前置きが長すぎたが、この項の前回(3/2)に「自衛隊は個人ではなく同志、集団になって行動する『滅私」がルールなのだなあと思う・・・いずこの国でも軍隊はそういうのが基本なのだろうが、衣食住足りて戦意喪失のような日本、自衛隊は大丈夫か・・・」と書いた。今回は元陸上幕僚長・岩田清文氏の産経2025/2/3「正論 自衛官の処遇の本質的改革を」から転載、紹介する。
 
<近年、自衛官の募集難が大きな問題となっている。令和5年度(2023年度)は2万人の募集に対し1万人しか採用できないという危機的な状態であった。この状態が長く続けば、現場部隊から若い自衛官が大幅に減少し、災害派遣ですら国民の負託に十分に応えられない厳しい状況となることも懸念される。

◎:危機的募集難に対し▶  危機的募集難に対し、石破茂首相は就任直後から指示を出し、政府としての対策検討を加速させてきた。昨年12月20日までに4回の閣僚会議を開催し、政府として「自衛官の処遇・勤務環境の改善及び新たな生涯設計の確立に関する基本方針」を決定した。
この基本方針において定められた方策は(1)自衛官の処遇改善(2)生活・勤務環境の改善(3)新たな生涯設計の確立―の3点である。

具体的には、過去に例のない30を超える手当等の新設・金額の引き上げ等により現役自衛官の処遇を改善する。また若い世代のライフスタイルに合わせた駐屯地・基地内の勤務環境の改善により、やりがいと働きやすさを向上させることだ。
そして3つ目に、退官後の再就職や再就職後の収入に不安を感じさせないように、再就職後の収入引き上げに関わる施策などにより、自衛官としての生涯設計を充実させることなどが含まれている。

今までに類を見ないほどの総合一体的な改善であり画期的な進化である。3カ月という短い期間で改善の道筋をつけた首相のリーダーシップと関係者の労は称賛に値する。これらの具体策が今後努めて早期に具現化され、安定的な自衛官確保に繫(つな)がることを期待したい。

一方で、これをもって自衛官の募集難が解決されるほど、日本の少子高齢化の波の大きさと募集環境の厳しさは甘くない。若い世代がなぜ自衛隊に入隊することを望まないのか。それは、単なる手当や勤務・生活環境などの処遇の問題だけではないだろう。もちろんそれも重要な要因ではあるが、最も大きな要因は、「自衛官という職業が一生を懸けるほどの『誇りと名誉』ある職業なのか、生涯を通じ、社会からも敬意と感謝の念を抱かれる対象であるのか」という点である。

◎:命を懸け国を守る地位▶  国は自衛隊法において、自衛官に命を懸けて国を守ることを宣誓させるが、命を懸けるに値する地位を自衛官に与えているのかが最大の問題と認識する。自衛官は「特別職国家公務員」との位置付けにあるにもかかわらず、既存の公務員制度(一般職の公務員制度)に引きずられ、抜本的、本質的な改革には踏み込めていない。

そもそも自衛官は国際法的には軍人と位置付けられており、日本防衛のために防衛出動した自衛官は軍人として扱われ、ジュネーブ条約における文民の保護を受けることができない。すなわち国際法上、軍人は戦闘において殺傷されたとしても、誰にも文句を言うことが許されない立場にあり、自己犠牲を前提に国のために命を懸ける存在なのである。だからこそ、各国は軍人を特別扱いし名誉と誇りを与えている。

例えば米軍であれば、20年以上勤続した将兵には、その勤務年数に応じた恩給(20年勤務で除隊時の本俸の5割、30年で7・5割、40年で10割)が他界するまで支払われる。その他、除隊後も多くの厚遇が保証されているが、何よりも重要なのは米国社会全体が、米軍人が名誉と誇りを持って勤務に専念できるよう、あらゆる社会活動の場面において敬意を表していることである。ここまで国民から期待されれば、国のために命を懸けようと思う若者が途絶えることはないだろう。

◎:名誉と誇りある立場に▶  憲法改正の道筋が見えない中、自衛官を軍人と規定できないのであれば、例えば、自衛官に替えて「防衛官」という国のために命を懸けることを前提とした地位を新設し、各国同様の名誉と誇りある立場に改革することを提唱したい。
併せて精強性維持のため防衛官としての若年定年制は維持するものの、56歳以降、階級に応じて逐次退官した後は、現状のように自衛隊と関わりのない一民間人として再就職させるのではなく、一般の国家公務員・予備防衛官として任用することを提唱したい。
彼らに対し、65歳までの間、自衛隊の管理業務や隊員募集業務など、防衛官でなくともできる業務を担わせることにより、若い現役防衛官たちを、防衛行動に直結する本来の職務や訓練などに専念させることが可能となる。
加えて、有事には彼ら国家公務員・予備防衛官を防衛官に任用し、民間業者を派遣することが困難な戦闘地域近傍において、支援任務に従事させることができれば、有事における問題点をも是正できることとなる。

歴史的な改善の一歩を踏み出した首相には、ここでとどまることなく、ぜひ真の抜本的、本質的改革に取り組んでもらえることを期待したい。(いわた きよふみ)>以上
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「憲法改正の道筋が見えない」「56歳以降、階級に応じて逐次退官した後は自衛隊と関わりのない一民間人として再就職」・・・情けないことだ。が、水を差すようだが、自衛隊員といってもピンからキリまで、中にはごく少数だろうがトンデモナイ輩もいるのだ。
人間、特に穏やかな善人が多いだろう日本人でも、「道義、道徳に反することをしてしまった」と反省することはままあることかもしれない。小生も恥ずかしいことをし、今になっても後悔し続け、死ぬまでにきちんと謝りたいと40年以上もグズグズしていることがある。「(JR系旅行会社の)日本旅行の真行寺さん、取材時間に遅れたのは寝坊したせいです、それを『アポイントの時間を間違えた』と嘘をつき、見破られて『忙しいから』と門前払いされました。以来、私は取材時間を厳守するようになりました。あらためてごめんなさいと言わせてください」
振り返れば恥多き人生・・・閻魔様はお見通しだから間違いなく地獄行き。自首すれば情状酌量で刑期は多少短くなるかどうか・・・

そういうアバウトな小生に偉そうなことを言う資格はないが、仕事で元自衛官と接触する機会があり、残念ながら良い印象はない。自衛隊退官後に起業した方に頼まれて会社案内を創ったが、請求書を送っても梨のつぶて。催促しても馬耳東風・・・つまり「全く払う気がない」のには驚いた。自衛隊に出入りする業者は自衛隊から仕事をもらっているので小さな仕事は「サービス」というのが慣例になっているのかもしれない。
小生の上司は自衛隊出身で、部下を手なずけるのがとても上手かったが、取材して記事を書く経験がないからライバル紙の記事を参考にしていて、小生はびっくりした。要は記者としては絶対にしてはいけない「パクリ、盗用、無断転載」である。締め切りが迫っていると裏取りしないでライバル紙からパクるという誘惑に負けやすいのだろうが、「通らばリーチ」は「ロン」でいつかはバレる。パクられた会社は抗議し、パクった会社は謝罪してカネを出し、記者は当然クビ(馘首)で、二度と記者にはなれない。出版界はそういう世界である。

自衛隊出身の上司は自衛隊の教育機関や大学などで学び、一応「大卒」ということになっていたが、まったく読書とは縁のない人だった。それでも「なすべき大事な重要事項の仕事は山ほどあるが、まずは『優先事項』に取り組むべきだ」などと教えてくれた。上意下達の自衛隊員としては上司の命令に忠実であるべきだが、上司が現場の状況を正確に知っているとは限らないので「優先事項」から着手せよ、と教えているわけだ。それなりのフェイルセーフ(障害が発生した場合、常に安全側に動作するようにする仕組み)である。

しかし近年、特に今年は、本音が分かりにくいトランプ政権のスタートにより「フェイルセーフをさらに向上させていく必要がある」と多くの自由民主主義国は軍事力を強化するようになった。日本でもその機運はようやく始まりつつあるようだ。産経2025/212 織田邦男・元空将の「正論『自衛官職務執行法』の制定を」から。

<誤解を恐れずにあえて単純化すれば、自衛隊は平時は警察であり、有事に軍隊となる。武力攻撃事態が認定されて防衛出動命令が下令されたときに初めて自衛隊は自衛権行使が可能になる。だが、それまでは警察官職務執行法(以下「警職法」)を準用する警察権しか行使できない。

◎:平時と有事の境界崩れ▶ 現代は「防衛と治安」「侵略と犯罪」「有事と平時」の伝統的な境界が曖昧になっており、「グレーゾーン」の用語が市民権を得て久しい。尖閣諸島では、中国の海警船が領海侵犯を繰り返しているが、平時における明らかな主権侵害行為である。

現代戦はハイブリッド戦争だといわれる。「高度に統合された設計の下で用いられる公然・非公然の軍事・非軍事・民間の手段を使った戦争」である。宣戦布告もなく正規戦、非正規戦、サイバー戦、情報戦などを組み合わせた非正規戦を主とする戦いである。

「超限戦」という用語もある。2人の中国軍人が唱えた戦い方で、物理的な戦闘に留(とど)まらず、外交、テロ、諜報、金融、サイバー、心理、メディアなどあらゆる手段で制約なしに戦うというものだ。もはや平時、有事の概念すらない。

「認知戦」も脚光を浴びる。相手の心や認知に訴(うった)えるもので、威嚇、恫喝(どうかつ)、偽情報などで恐怖、不安を与え、敗北主義を引き起こさせる。平時が主戦場であり戦意を喪失した時、敗北が決まる。今、台湾周辺では認知戦が始まっている。中国は周辺で軍事演習、海上封鎖の模擬行動を繰り返す。多数の戦闘機が中間線を越え、対応する台湾軍を疲弊させる。2023年には戦闘機、無人機の飛行が9200回、空母、駆逐艦の航行が7万回に及んだという(ロイター通信24年8月27日)。

軍人、非軍人の区分も曖昧である。近年、台湾周辺やバルト海で海底ケーブル切断が頻発している。いずれも台湾有事とウクライナ戦争との関連が指摘される。海底ケーブルは日常生活のみならず、軍事作戦に欠かせない。切断の当事者は民間船といわれ、非軍人が軍事作戦を遂行している。サイバー戦もまさにそうだ。

◎:シームレスな対応難しく▶ こういう現代戦には、自衛隊、警察、海保、そして民間企業を含めた力を有機的に連携させ、シームレスに対応しなければ有事を抑止できない。我が国はそれが可能だろうか。紙幅の関係上、ここでは自衛隊に焦点を絞る。

冷戦時に制定された自衛隊法は平時、有事が明確に区分され、しかも平時から有事への移行手続きが煩雑であり、シームレスな対応は難しい。自衛隊は先述のとおり平時には最小限の自衛権行使さえできない。火種は小さいうちに消すのが鉄則である。だが事態認定に時間が費やされ、タイミングを失する可能性大である。

また事態認定の行為そのものが「日本は宣戦布告した」「日本が事態を拡大させた」との口実を敵に与えかねない。従って政治家は事態認定を躊躇(ちゅうちょ)する。その結果、自衛隊は身動きがとれず事態は悪化する。この傾向は台湾有事のシミュレーションでも現出した。

また警職法準用の武器使用権限は「自衛官は~ができる」と主語が「自衛官」と規定される。他方、自衛権行使の主語は「自衛隊」である。平時の武器使用の責任は基本的には「自衛隊」ではなく「自衛官」個人に帰する。武器使用責任が個人に帰する軍隊など他にない(「治安出動」だけは特別で、主語が「自衛官」で同じだが「当該部隊指揮官の命令によらなければならない」とある)。

◎:現代戦への抑止力強化を▶ 自衛権行使の場合、「必要な武力を行使することができる」が、警職法準用の場合、「合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる」ものの正当防衛、緊急避難の場合を除き「人に危害を与えてはならない」。

この非合理性は、いわゆる「米艦防護」を例にとれば明らかだ。我が国の防衛に資する活動に従事している米艦艇等を防護するのに、必要と判断される限度で武器を使用することができるが、正当防衛、緊急避難に該当する場合のほか、「人に危害を与えてはならない」のは同じだ。しかもその主語は「自衛官」である。

米艦艇の防護任務を「人に危害を与えてはならない」条件で果たして遂行できるのか。しかもその責任は自衛官個人に帰する。そもそも正当防衛、緊急避難といった個人の行為を「米艦防護」といった防衛作用に適用すること自体に無理がある。台湾有事における重要影響事態下の武器使用権限も警職法準用であり同様の問題を抱える。

今の自衛隊法は平時、有事が曖昧な現代戦に適合していない。警職法準用ではなく、平時から有事へシームレスに対応できる自衛官職務執行法を新たに制定し、現代戦への抑止力を強化すべきである。防衛費を増額しても、自衛隊が合理的に職務を遂行できる法体系を整えなければ画餅に帰することになる。(おりた くにお)>以上
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/ または ishiifam@minos.ocn.ne.jp までお願いいたします。小生の記事は以下でもお読みいただけます。
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人類は後退局面に入っていく?

2025-03-06 21:01:16 | 戦争
人類は後退局面に入っていく?
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」372/通算803 2025/令和7年3/6 木】 経年劣化で呆けてきたのでちょっと前のことや最近のこと、直近のことを思い出せずに困惑するのが常態化している。3/4の朝には産経を読み終えたカミサンから「米国、ロシア、ウクライナ、中国、北朝鮮&核開発について私見を述べよ」、昼には「日本製鉄のUSスチール買収が問題視されているがどうなっているのか」と御下問が相次いで、加齢&ボクトツの小生はヒーヒーハーハー。そのうち「青は藍より出でて藍より青し」、カミサンは小生を追い抜きそうだ。立つんだ“シーチン”!の場面だが、老兵は立たない・・・

そう言えば「みだれ髪」(1901/明治34年)で有名になった歌人の与謝野晶子(あきこ)が日露戦争で出征した弟を案じて詠んだ「君死にたまふことなかれ」(1904/明治37年)も大人気で、旦那の鉄幹は(左団扇で?)大喜びだったが、彼自身は斜陽になっていった。嫁さんが「でき過ぎる」と旦那は軟弱になっていくのかどうか・・・まあ、小生の場合はカミサンの御下問がボケの進行を抑制している、という見方もできそうだ。晶子は後に「いまは戦ふ時である 戦(いくさ)嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂(たかぶ)る」と詠んでいる。状況や都合、気分によって人の心は揺れ動くものだが、女性はその「気」が男より大きいのかも知れない。女性は理性(計算)より感情(好き嫌い)で動く傾向が強いようだ。

小生の散歩コースである多摩川の土手。神奈川県側の二子(ふたご)橋のほど近くにある「二子神社」には岡本かの子の「文学碑」がある。川崎市によると――「彫刻の台座には『この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎』という制作者で長男の岡本太郎の銘が刻まれ、その横に『としとしに わが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり』という歌が、かの子の筆跡から拾字されて御影石に刻まれています。

岡本かの子は明治22年(1889)3月1日、旧二子村(現・高津区二子)の旧家大貫(おおぬき)家の別邸(東京市赤坂青山南町、現・港区)に生まれ、本名はカノ。幼時を二子で育ち、次兄の影響で文学に親しみ、跡見女学校入学後、与謝野晶子に師事、『明星』『スバル』などに短歌を発表しました。
画学生・岡本一平と結婚し、足かけ4年におよぶ欧米滞在から帰国後、一平の献身的な協力と川端康成の指導を得て多年念願の小説制作に移り、出世作『鶴は病みき』を発表。以来3年ほどの間に、生命力をひたすら純文学に傾けて、驚くべき量と質の作品を発表しました。夫の一平(1886~1948)、長男の太郎(1911~1996)はともに芸術家として活躍しました」以上

岡本かの子は与謝野晶子(1878年生まれ)のお弟子さん・・・平塚らいてう(らいちょう、1886/明治19年生まれ)は思想家、評論家、作家、フェミニスト、女性解放運動家。WIKIによると――
<平塚らいてうは大正から昭和にかけ、婦人参政権など、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人として知られる。1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌『青鞜』の創刊を祝い、自らが寄せた文章の表題「元始、女性は太陽であった」は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった。結局、その実現は、第二次大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たなければならなかった>
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なんだか明治、大正、昭和の文壇は「女傑」のオンパレードみたいだが・・・男は外で戦い、女は銃後で家庭を守るのが「古事記」以来の日本の伝統的なルールではなかったか。「古事記」に曰く――
<伊耶那岐(イザナキ)と伊耶那美(イザナミ)は天つ神の命を受けて結婚し子(=日本)をなしたものの不適当だった。二神は「女神の方から先に声を掛けたのが良くなかったのだ」と思って天つ神にそのことを確認した上で、婚姻のやり直しをし、改めて国生みを開始。淡路島・四国・隠岐島・九州・壱岐島・対馬・佐渡島・本州を生み、それから六つの小島を生み、その後に今度はさまざまな神々を生んだ>とある(原文は恐ろしく難解なので國學院大學「古事記あらすじ」から抜粋した)。

大昔から男と女にはそれぞれ役割がある。敗戦後の1945年から1991年のバブル経済崩壊まで、高度な産業の現場で「女傑」というのは非常に少なかったと思う。小生が記者時代の1980年頃に「まるで女傑みたいだ、凄いなあ」という方に感動して調べてみたら、母親が家事を担当していたのでちょっと興覚めした。
そう言えば当時は高度成長期の時代だったが、「女は弱し、されど母は強し」とか「タフでなければ男じゃない、優しくなければ女じゃない」「タフじゃなくては生きていけない、やさしくなくては生きている資格はない」という言葉があった。まあ、一種の流行り言葉だが、今のご時世では「時代錯誤の男尊女卑だ」などと非難されそう。小生の古巣の出版界は「頭脳明晰、心はピンク≒アカ」のススンデイル女傑が多く、「それはちょっと違うだろう」などと反論した小生も蛇蝎の如く嫌われたことがある。2年ほど前にその女傑の一人が飲食店を開業したことを知り、数十年振りに「元気で何より」とメールしたら遮断されてしまった。女には「恩讐の彼方に」というマインドはないようだ。

「優しさを求めて?」なのか、このところお気に入りの文部省唱歌の童謡「村の鍛冶屋」を口ずさんでいたが、急に歌詞を忘れて「♪村の鍛冶屋の神様の今日はめでたいお祭り日」になってしまった。まったく加齢は容赦ないと言うか、残酷が過ぎないか? 「村の鍛冶屋」をWIKIで検索したら――
<作詞者・作曲者ともに不詳。初出は1912年(大正元年)12月、尋常小学唱歌。歌詞が当初のものから時代により書き換えられながら、長く全国の小学校で愛唱されてきた。だが昭和30年代(1955年~)頃から農林業が機械化するにつれ(農具など)野道具の需要が激減し、野鍛冶は成り立たなくなって次第に各地の農村から消えていく。
鍛冶屋が作業場で槌音を立てて働く光景が、児童には想像が難しくなった昭和52/1974年には文部省の小学校学習指導要領の共通教材から削除された。以後、教科書出版社の音楽教科書から消えはじめ、昭和60/1985年にはすべての教科書から完全に消滅した>

政治家や文部省などは「古いものは見捨てる」ようである。そのうち古典文学も捨てるのだろう。枕草子、源氏物語、 徒然草、方丈記や、孔子、孟子、荘子などなど・・・やがて孤老や老人も見捨てられるに違いない。アナログ古典亡びてデジタルスマホ隆盛・・・以下は「村の鍛冶屋」のオリジナル歌詞(一番目)である。
<♪暫時(しばし)も止まずに槌打つ響 飛び散る火の花 はしる湯玉 ふゐごの風さへ息をもつがず 仕事に精出す村の鍛冶屋>
ま、老人の繰り言だが、恐ろしい程に増えた人類は後退局面に入っていくようである。
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自衛隊の強化は喫緊の課題だ

2025-03-03 20:48:05 | 戦争
自衛隊の強化は喫緊の課題だ
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」371/通算802 2025/令和7年3/3 月曜】 カミサンは生まれてから一度も夢を見たことがない、と言うが、小生は昼寝でも就寝でもいつも夢を見る。夢見る老人・・・眠りが浅いのか、頻尿のせいか、その両方かもしれないが、面白い夢の時はガバッと起きてメモをするようにしている。先日はこんな夢を見た。

<「人たらし」は、子供や青年、部下などをほめまくってさらに上を目指すように誘導する行為だ。ほめないで「もっとやれ、ちゃんとやれ」と言われると(小生のように)やる気を喪失する人がいるから、「ほめる」ほうがよさそう。
大学院出身者はピンキリか? さすがだなあという人がいる半面、能動的に課題を処理していくことができない、即ちリーダーシップに欠ける人もいる。穏やかで大人しい人もいるだろう>

調べたら「大学院」には「修士課程」と「博士課程」の2段階があるそうだ。どう違うのか――
◎:「修士課程」は標準修業年限2年以上の在学。30単位以上の修得。
◎:「博士課程」は標準修業年限5年(修士課程の2年を含む)以上の在学で、研究指導を受け、「特定の課題」についての研究成果の審査及び試験の合格が求められる。

小生はマルクス・レーニン病で隔離され大学も除籍に至ったが、外野から見ると「修士課程」「博士課程」出身者は世間ではエリートのようである。8年ほど世話になった出版社に博士課程卒の先輩がいたが、やはり頭脳明晰かつ穏やかで、「切れる人材」として一目を置かれていたものだ。小生は全体で10人ほどいる編集長の一人であり、担当ジャンルの「海外旅行業界」以外は知らないが、日刊紙、週刊紙、年鑑など仕事に追われ、酒と女でストレスを発散するという蛮族みたいな日々で、博士課程卒のエリートとの接触機会はほとんどなかったのは残念だった。

もっとも「エリート」といっても、当時は「過労死」などという言葉もなく、どのような職場もハードで、小生も平社員の時に「Big Holiday」という月刊の海外旅行雑誌をまかされ必死で取り組んだものだ。ところがリクルート社が「エイビーロード」という類似の雑誌を発行したため「Big Holiday」は廃刊に。小生は酒をあおって大泣きしたものだ。
そして「海外旅行業界紙」編集部へ移されたのだが、ふてくされて戦意喪失、自分の仕事が終わったから帰ろうとしたら元空自・自衛官の編集長から「修一!皆が必死で頑張っているんだ、手伝って行け!」と叱咤されたものである。お陰で再起できたが、今思うと自衛隊は個人ではなく同志、集団になって行動する滅私がルールなのだなあと思う・・・いずこの国でも軍隊はそういうのが基本なのだろうが、衣食住足りて戦意喪失のような日本、自衛隊は大丈夫か・・・

産経2025/2/3 岩田清文・元陸上幕僚長の「正論 自衛官の処遇の本質的改革を」から。
<近年、自衛官の募集難が大きな問題となっている。令和5年(2023年)度は2万人の募集に対し1万人しか採用できないという危機的な状態であった。この状態が長く続けば、現場部隊から若い自衛官が大幅に減少し、災害派遣ですら国民の負託に十分に応えられない厳しい状況となることも懸念される。
◎危機的募集難に対し: 危機的募集難に対し、石破茂首相は就任直後から指示を出し、政府としての対策検討を加速させてきた。昨年12月20日までに4回の閣僚会議を開催し、政府として「自衛官の処遇・勤務環境の改善及び新たな生涯設計の確立に関する基本方針」を決定した。
この基本方針において定められた方策は(1)自衛官の処遇改善(2)生活・勤務環境の改善(3)新たな生涯設計の確立―の3点である。

具体的には、過去に例のない30を超える手当等の新設・金額の引き上げ等により現役自衛官の処遇を改善する。また若い世代のライフスタイルに合わせた駐屯地・基地内の勤務環境の改善により、やりがいと働きやすさを向上させることだ。
そして3つ目に、退官後の再就職や再就職後の収入に不安を感じさせないように、再就職後の収入引き上げに関わる施策などにより、自衛官としての生涯設計を充実させることなどが含まれている。
今までに類を見ないほどの総合一体的な改善であり画期的な進化である。3カ月という短い期間で改善の道筋をつけた首相のリーダーシップと関係者の労は称賛に値する。これらの具体策が今後努めて早期に具現化され、安定的な自衛官確保に繫(つな)がることを期待したい。

一方で、これをもって自衛官の募集難が解決されるほど、日本の少子高齢化の波の大きさと募集環境の厳しさは甘くない。若い世代がなぜ自衛隊に入隊することを望まないのか。それは、単なる手当や勤務・生活環境などの処遇の問題だけではないだろう。もちろんそれも重要な要因ではあるが、最も大きな要因は、自衛官という職業が一生を懸けるほどの「誇りと名誉」ある職業なのか、生涯を通じ、社会からも敬意と感謝の念を抱かれる対象であるのかという点である。

◎:命を懸け国を守る地位: 国は自衛隊法において、自衛官に命を懸けて国を守ることを宣誓させるが、命を懸けるに値する地位を自衛官に与えているのかが最大の問題と認識する。自衛官は「特別職国家公務員」との位置付けにあるにもかかわらず、既存の公務員制度(一般職の公務員制度)に引きずられ、抜本的、本質的な改革には踏み込めていない。

そもそも自衛官は国際法的には軍人と位置付けられており、日本防衛のために防衛出動した自衛官は軍人として扱われ、ジュネーブ条約における文民の保護を受けることができない。すなわち国際法上、軍人は戦闘において殺傷されたとしても、誰にも文句を言うことが許されない立場にあり、自己犠牲を前提に国のために命を懸ける存在なのである。だからこそ、各国は軍人を特別扱いし名誉と誇りを与えている。

例えば米軍であれば、20年以上勤続した将兵には、その勤務年数に応じた恩給(20年勤務で除隊時の本俸の5割、30年で7.5割、40年で10割)が他界するまで支払われる。その他、除隊後も多くの厚遇が保証されているが、何よりも重要なのは米国社会全体が、米軍人が名誉と誇りを持って勤務に専念できるよう、あらゆる社会活動の場面において敬意を表していることである。ここまで国民から期待されれば、国のために命を懸けようと思う若者が途絶えることはないだろう。

◎名誉と誇りある立場に:  憲法改正の道筋が見えない中、自衛官を軍人と規定できないのであれば、例えば、自衛官に替えて「防衛官」という国のために命を懸けることを前提とした地位を新設し、各国同様の名誉と誇りある立場に改革することを提唱したい。
併せて精強性維持のため防衛官としての若年定年制は維持するものの、56歳以降、階級に応じて逐次退官した後は、現状のように自衛隊と関わりのない一民間人として再就職させるのではなく、一般の国家公務員・予備防衛官として任用することを提唱したい。

彼らに対し、65歳までの間、自衛隊の管理業務や隊員募集業務など、防衛官でなくともできる業務を担わせることにより、若い現役防衛官たちを、防衛行動に直結する本来の職務や訓練などに専念させることが可能となる。
加えて、有事には彼ら国家公務員・予備防衛官を防衛官に任用し、民間業者を派遣することが困難な戦闘地域近傍において、支援任務に従事させることができれば、有事における問題点をも是正できることとなる。

歴史的な改善の一歩を踏み出した首相には、ここでとどまることなく、ぜひ真の抜本的、本質的改革に取り組んでもらえることを期待したい。(いわた きよふみ)>以上。次号に続く。
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渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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戦時・有事・災難に備えを

2025-03-02 19:33:04 | 戦争
戦時・有事・災難に備えを
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」370/通算801 2025/令和7年3/2 日曜】 「無理が通れば道理引っ込む」ということわざがある。小生が辞書として重宝していた「コトバンク」はある日突然有料になって小生は困惑したが、最近はスポンサーがついて企業広告を一分ほど見ればそこそこの情報を得られるようになったのは有難い。で、コトバンクによれば「無理が通れば道理引っ込む」の意は「道理に反する無理が幅をきかせるようになれば、道理にかなったことが行われなくなる」。ま、「処世術でどうにかやり過ごす」のが民の知恵なのだろう。解説にはこうあった。

<江戸いろはかるたの古い絵札には、脅しをかける奴(やっこ)が描かれていました。腕力の強い者が暴力をふるい、権力者が無理を通せば、力のない者は対抗するすべがなく、道理は後退せざるをえません。また、弱者にとって、勝ち目がないときにはまともに相手にせず、道理を引っ込めるのも一つの知恵となります。消極的ではあるが、用法によって、無理を通そうとする強者への批判ともなります。
◎:使用例 石川達三「約束された世界」から:「しかし正当な理屈などというものは何の役にも立ちはしない。昔の日本人はちゃんとそのことを知っていた。『無理が通れば道理ひっこむ』、よたものたちは無理を通している。だからその相手は引っこむのが一番賢明だった>

英語では Might is right.(力は正義なり)と言うそうだ。言い得て妙だが、随分好戦的だなあとWIKIで調べたら・・・
<「陸軍は進んで行く( The Army Goes Rolling Along)」は、1956年に作られたアメリカ陸軍の公式軍歌である。The Army Songとも呼ばれる。
♪First to fight for the right, And to build the Nation’s might, And The Army Goes Rolling Along. Proud of all we have done, Fighting till the battle’s won, And the Army Goes Rolling Along.
正義のために戦い、国威を築く尖兵として、陸軍は進んで行く。成し遂げた全てを誇りとし、勝利するまで戦い続ける。そして陸軍は進んで行く>

上記の軍歌には「might」と 「right」の2つが使われている。「力は正義なり」とは「正義と思わなければ命懸けの戦争はできない」ということだ。いずこの国の軍隊も「勇武」を鼓舞する軍歌などを持っているだろう。我が国の「自衛隊」にもあるはずだ。WIKIによると――
<「隊歌(たいか)」とは、軍隊において隊員らに歌われている軍歌。以下の自衛隊歌は主に隊内で士気を高めるために歌われる。(長くなるので作詞者、作曲者は省く)
「この国は」「栄光の旗の下に」「君のその手で」「聞け堂々の足音を」「栄光の自衛隊」「治安の護り」「理想の歌」「男の群れ」「山よ海よ空よ」。海上自衛隊歌「海をゆく」「海のさきもり」。上記の他に、部隊の結束を深めるために各方面隊や師団・連隊が部隊独自の「隊歌」を制定している>

ヤフー知恵袋によると以下の「服務の宣誓」と言うのがある。
<私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います>

自衛隊OBらしい方曰く「自衛官は誰しも服務の宣誓を心の拠り所として宣誓し職務に励んでいます。ちなみに最近(2014年あたり?)党首討論で海江田代表(立憲民主党?)の「覚悟のない自衛官に死ねと言うつもりか!」と問われて安倍総理が「服務の宣誓」を暗唱し多くの自衛官を感動させました。それに対して海江田代表は「ナニを自分に酔ってるんだ」とあざ笑い、多くの自衛官を憤慨させていました。おそらく海江田代表はこの「服務の宣誓」が自衛官にとってどれだけ大事か知らなかったのでしょうが、それはそれで許せることではありません」
自衛隊には「シコセキ団」という言葉もあるそうだ。<シ:使命の自覚、コ:個人の充実、セ:責任の遂行、キ:規律の厳守、団:団結の強化。これらを新人時代に覚えられないと外出禁止になります。他に、「挑戦:挑め!果敢に」「献身:尽くせ!一途に」「誠実:貫け!誠を」なるものもあります>

何処の国でも軍隊という「死傷を伴う大組織」では有事の際には一丸となって敵を駆除、殲滅する。誰だって死にたくないが、滅私の気概で前進するためには「我に続くものあるを信ずる」と自らを鼓舞するのだろう。単細胞で吶喊小僧の小生は敵への激しい怒りしかなかったが・・・後ろを振り返ると同志が付いてきてくれた。
それにしても我が愚息が日米戦争を知ったのは大学生になった18歳で、「オヤジ、日本とアメリカは戦争していたんだって?!」と興奮していた。「無知の涙」で息子も近現代史を勉強するのかと見ていたらバイトと遊びで4年を過ごし、一浪で東京都の公務員になったが、歴史に興味は全くなく、今はゴルフに夢中になっている。先日はゴルフ用に車まで買っている・・・情けないが、今どきの自衛隊は大丈夫か? 以下、WIKIの「防衛大学校前史」から引用する。

<明治2年から明治5年にかけて「国の防衛と治安維持」を管轄とする兵部省(ひょうぶしょう)という省庁が存在し、これは陸軍省と海軍省に分離・改組され日本の軍事を担っていた。1945年(昭和20年)までの「十五年戦争」(支那事変・大東亜戦争・第二次世界大戦)終結(敗戦)により、陸軍省と海軍省は1947年(昭和22年)に廃止された。

現在の防衛省の直接の前身は、1950年(昭和25年)6月の朝鮮動乱(韓国名6・25戦争、北朝鮮名祖国解放戦争)勃発を受けて発足した「警察予備隊」に遡ることができる。その後「保安庁」「防衛庁」を経て現在の「防衛省」に至る。
防衛省の前身である「防衛庁」は、発足から半世紀余りの間「庁」のまま国家行政組織法上の位置付けの変更は行われなかったが、その間も「省」へ移行(府省の外局である庁から内閣直属の省へ昇格)させるべきとの意見は根強く、検討議論は頻繁になされていた。しかし、具体的な提案として、防衛庁の省移行が政治日程に上ったのは、小泉政権後期の2005年後半のことで、第1次安倍政権下の2007年1月に実現した>

安倍晋三総理は偉かった! 氏は2006年9月20日、自民党総裁に選出され、9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に就任(52歳、戦後最年少総理)。しかし猪突猛進系の小生は一時期「晋三は何やってんのか、イケイケドンドンで国威発揚すべし」と歯がゆい思いをしていたが、2015年4月29日の米国でのスピーチ「米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説『希望の同盟へ』」で安倍ファンになった。以下、演説の最後を引用する。

<2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。
私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。――希望、です。
米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます>
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今読み直しても感動的なスピーチだ。2017年2月12日の報道によるとトランプも熱烈な安倍ファンになった。
<北朝鮮の弾道ミサイル発射を受けて、トランプ大統領は、訪米中の安倍晋三首相を招いていたフロリダ州のマー・ア・ラゴで安倍首相との共同記者会見を開き、「米国は北朝鮮を強く批難すると同時に日本を全面的に支持する」と表明した。
土曜日(11日)にはフロリダ州でトランプ大統領と一緒にゴルフをプレーした安倍首相は、「北朝鮮による直近のミサイル発射は絶対に容認できない」と断言し、「トランプ大統領と私は、両国の協力関係を増進させようという意見を完全に共有している。私たちは同盟関係も強化させるつもりだ。」と述べた。
トランプ大統領は、具体的な腹案こそ示さなかったものの、同盟国の日本を全面的に支持する発言をした。すなわち「私が全ての人に理解してもらい、また知ってもらいたいことは、米国は偉大な同盟国である日本を支持するということだ。そう、100%だ。」と明言した>

2015年の安倍総理の歴史的な演説からたったの7年だが、安倍氏は2022/令和4年7月8日に殺害されてしまった。その一方で旧ソ連の復興を目指すプーチン・ロシアと、ロシアが創った中共、北朝鮮などの共産主義独裁勢力により「第3次(大惨事)世界大戦」になりかねないと自由陣営の多くの人が危惧する時代になってしまった。この「不安の時代」にトランプと石破茂・・・どうもWinWinは期待できそうもないようで・・・古人曰く「良い予感は概ね外れる、悪い予感は良く当たる」、最悪に備えた方が良さそうだ。
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天皇・文武両道・大和魂・豊かな自然が好き

2025-02-26 16:07:48 | 戦争
天皇・文武両道・大和魂・豊かな自然が好き
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」369/通算800 2025/令和7年2/26 木曜】 2月23日は第126代徳仁(なるひと)天皇御誕生日だった。日本が日本らしいのはこの「天皇制」によると小生は思っている。初代の神武天皇即位は西暦紀元前660年2月11日、明治6年/1873年に「紀元節」として祝日になったが、敗戦後の昭和22年/1948年7月20日にGHQ(米国占領軍)により紀元節は廃止された。その後、昭和41年/1966年から2月11日は「建国記念の日」として祝日となり、翌年から適用された(WIKIなどによる)。

大正生まれの我が両親によると、小学校時代に代々の天皇を暗記する授業があったらしい。天皇崇拝と同時に歴史≒建国の物語を教えるためだったろう。どういうわけか小生も子供の頃「神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安」あたりを口ずさんでいたから両親の影響に違いない。「第126代天皇の男系(父系)直系祖先 皇統譜」によると――
<神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝靈・孝元・開化・ 崇神・ 垂仁・景行・仲哀・応神・ 継体・欽明・・・> 明治、大正、そして昭和の敗戦まで子供達は遊び感覚、ゲーム感覚で暗記していったのだろう。

高校用歴史教科書「日本人の誇りを伝える最新日本史」 は渡部昇一、小堀桂一郎 、國武 忠彦などそうそうたる識者の共著(明成社、2012/9/22)。巻頭に曰く「その国の歴史は祖国に誇りをもった人にしか語れない」、誠に意気軒高の正論だ。以下ごく一部を紹介する。

◎:日本の建国伝承▼ 日本の統一国家への動きは、中国の歴史書に見える断片的な記事や、国内に散在する考古学的な遺跡・遺物などから明らかにされつつある。それらと合わせて大切な手掛かりになるのは8世紀初頭に編纂された「古事記」「日本書紀」などに見える伝承である。
それらによれば、大和朝廷の始祖は神武天皇(始馭天下之天皇、はつくにしらすすめらみこと)で、軍勢を率いて故地の日向から瀬戸内海を渡り、難波、紀伊、熊野、吉野を経て、ついに大和の地を平定し、橿原(かしはら)の宮で即位したと伝えられている。

弥生時代には北九州から畿内方面へ、稲作の技術や銅鏡などの文物が伝播したが、この伝播は時期を異にして何回もの人間の移動とともにあったと考えられている。神武東遷伝承は、そのまま史実と認めることはできないであろうが、この物語の核には、東方への移動を踏まえた伝承があると思われる(以上)。

世界史によると何処の国でも弱肉強食で部族が縄張り争いをし、やがて強者が部族をまとめて国家統一へ向かっていく――という伝承や物語が多い。孤立を恐れて連帯を求めるのは生きものの初期設定なのだろう。プーチン、習近平、北朝鮮、イラン・・・嫌われ者のヤクザや異端児は群れを成さないと他国や人民に駆除されかねないと戦々恐々のよう。勇武と知性を良しとする文武両道、大和魂の日本は大丈夫、と思いたいが・・・
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話は変わって2月21日は久し振りに隣町の生田緑地にある「かわさき宙と緑の科学館」の動植物エリアを訪ねたが、すっかり綺麗になり展示もビックリするほど充実していた。特に多摩川の歴史を「最初の一滴」から東京湾に流れ込むまでの138キロを紹介した30分ほどのアニメ動画は実に感動的だった。史料がないので残念だったが、ヤマケイオンラインなどによると「多摩川最初の一滴を生み出す『水干(みずひ)』と笠取山」をこう紹介している。

<山梨県・埼玉県の県境にある笠取山(かさとりやま、標高1953m)は多摩川の水源地として守られた原生林に覆われ、山頂から南面に下る「水干」は多摩川源流の地。周辺は広葉樹林が新緑に染まり始める5月中旬以降に楽しめる>

笠取山はハイキングに夢中になっていた若い頃に家族全員で登ったことがあるが、そこが多摩川の源流とは知らなかった。まったくもって無知の涙・・・で、遅ればせながら敗者復活を目指して2/22にはあらためてチャリ散歩で多摩川土手を下流に向けて散策したが、パワーが続かずに第3京浜の橋を前にして引き返せざるを得なかった。まったくもって経年劣化による老いの涙・・・今冬一番の寒さで冷え切って鼻水タラタラ、手足はフラフラだったが、怪我しなかっただけマシである。八百万の神様仏様ご先祖様に感謝! オットーッ! このところ体調が良くなったのは専属ナースのカミサンによるケアが効いていることを忘れてはいけない(♡!)。

体調が改善されつつあること、またビルの営繕作業が一段落したこともあって、このところ我が街界隈をしっかり観察する余裕ができてきたのは想定外の前進。その観察で一番びっくりしたのは、我が街では「3階建てのお洒落な新築の家が急増している」こと。敗戦後に雨後の筍のように生まれ育った「団塊の世代」(1947/昭和22年〜1949/昭和24年生まれ)の家が経年劣化し、1990年あたり以降に生まれた「団塊世代のジュニア」が資産を相続すると、都市部なら「土地」はかなりの高額で、それを担保に銀行などから融資を得て住宅ローンで新築に励むようになったのだ。

しかし、住宅ローンは借金だから、返済できなければ住宅は銀行などに接収される。小生も遺産相続のカネを頭金に、恐いもの知らずでかなりの額の銀行ローンで今のビルを建てたものの、しばらくはテナントが入らず借金返済に追われて四苦八苦、「東名高速で一家が事故死すれば『借金苦での自殺』と言われるんだろうなあ」とカミサンに言うと悲しげにうなずいた。

なぜこんなことになったのか・・・遺産相続でカネが入ってしばらくすると、イケイケドンドンの「バブル経済」が始まったのだ。
<日本では、1974年1月以降の安定成長を経て、1985年9月、「プラザ合意」がバブル景気の直接の引き金となった。日本経済は空前の好景気を迎え、株式市場も日経平均株価30,000円の大台を超えた。バブル後の゛失われた30年”は、日本経済への打撃をそのまま示すものであった>WIKI

日本では経営者を始め国民の多くは、1960年7月からの池田勇人政権による「所得倍増計画」により、自分たちの長年の努力が実を結んだので好景気になったと喜んだ。銀行など金融機関は低金利でそれを煽ったので、企業も個人も恐いもの知らずで事業を拡大していった。
振り返れば敗戦の1945年前後から苦しい日々を日本人は懸命に耐えた。戦前・戦中派から焼け跡・闇市派、戦後生まれの団塊の世代、GHQによる占領統治&朝鮮戦争産まれ・・・皆が必死で生き延びたのだ。そして1960年安保騒動後の所得倍増計画あたりからようやく暮らしが少しづつ上向いていき、政府や有識者は「もはや戦後ではない」と敗戦国日本の民に自信をもたらすようになったのだ。

もっとも゛経済は生もの”で、高度成長期ながら小生が保釈を得て就業した1973年は「オイルショック」で大騒ぎ。日本人は天然資源の少ない国の危うさを知ったのだろう、どの国とも仲良くする、敵を作らない、自衛隊は最低装備だけ、といった「平和主義&商売優先」を進めていった。しかし結果的には戦後復興の高度成長期は1973年で終わり、1973~1985年は「安定成長期」になっていくのだが、小生の゛体感経済”では伸びる業種もあれば不景気な業種もあるという、一進一退の地味でさえない時代だった。

農家や実業家など大きな土地やカネを持っていても、景気がパッとしないので動かない・・・そこに1985年「プラザ合意」により「バブル景気」が始まったのである。
<当時はアメリカの「対日貿易赤字」が大きな問題として扱われていたため、先進5か国間で結ばれたプラザ合意は、実質的に「円高ドル安」へ誘導する合意であった。発表翌日の9月23日の1日24時間で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落し、1年後には150円台で取引されるようになった>WIKI

1ドル235円だったのが円高で150円になった。例えば23万5000円だったハワイ旅行が15万円に! 小生も年末に家族全員でハワイへ行ったものである。海外旅行業界を始め多くの企業が「強い円」で諸国の安い物品やビルなどをドシドシ買い漁ったものである。結果的には「バブル景気」となってしまったが、短期間であれ「我が世の春、金持の明るい未来」を楽しんだのである。
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