気がついたら9月になってて
猛暑とか熱中症とかってなんだったっけ?と思うくらい涼しくなってきました
月日のたつのは早いものですねぇ・・・
ボーっとしてたら今年も終わっちゃうんでしょうね
気を引き締めていかないとなぁ・・
でもなぁ・・・そろそろ
さんまの塩焼きの季節じゃないですか!
部屋の窓を開けて涼しい風あたりながら
さんまで一杯やりたくなってしまう
引き締まらないなぁぁあ
そういえば今年の目黒のさんま祭りは終わったのかなぁ??
昔目黒に勤めてた頃は会社抜け出して友達とサンマ食べて
お土産に何匹か戴いてきたりしたんだけど
最近は人気すぎて整理券もらって並ぶんだってさぁあ
でも美味いんだよなぁ・・・あのサンマ
自然な動き・・・自然な構え・・・
お手本を見てかっこいいな。とか素敵だなと思って真似をする
真似できるのはすばらしいけど
真似するところを間違ってしまうと
まったく違うものになってしまう
目で見た印象というのは分かりやすいし印象にも残りやすいんだけど
例えば手の動きを見てまねをすると
動いてる部分だけを動かしてしまう
その動きの元が何で、どういう過程を通ってそうなったかを
まったく無視してしまう
それだから
不自然になる
同じように動いてみてもうまくいかない
できそうな所だけ
目で見て分かりやすいところだけをやろうとするから
まったく違うものになっちゃうんだよね
こんなこと言っちゃったら怒られちゃうかもだけど
私は最近稽古で、有る程度やってみてできなかったら
その動きは諦めるようにしてる
それ以上やってできたとしてもきっと間違ってるから・・・
間違ってると思うことをわざわざやって
なんとなくできた気で終わってしまったら多分進歩が無いような気がしてね
途中で止めないで最後までやるっていうことは大事だとは思うんだけどね・・・
合気道もダンスもそうだけど
お手本通りにできるならいいけど
変にお手本を真似て、先っぽの方だけできた気でやるよりも
下手くそでも自分のできる範囲をしっかり体に落とし込んでいけた方がいいんじゃないかって思う。
多分周りから見たら
あの人はいつまでたっても成長しないとか
やる気あるのかな・・・とかとも思われちゃうかもしれないけど
自然体で動くってことを忘れちゃうくらいなら
下手な方がいいのかなって思う。
合気道みたいに相手がいる場合は、なかなか自分の意思が伝わらなかったりして
うまくできないことも多いけど。相手に自分の意思を伝える術を考えるのもまた
楽しいよね。
動きを教えてもらうとき
よく
川とか海、波、風、木といったような
自然のものを使ってたとえて表現してもらったり
ザワザワ、サラサラ、ウォーとか擬音をつかってくれたりもします
すごく私にはわかりやすいしイメージもつきやすい。
でも
よし!水が流れるように!と思って水の流れを再現するのではないし
風の動きを作るわけでもない。
教えてくれる先生方は実際に”水”や”風”のイメージが持てる動きができてるから
そういう風に表現してくれるわけで。
そもそもその動きができてないのに
水の流れが~なんて思いながら動いても
それもまた、できた気分になってるだけ
水の流れのイメージを持てるようにするには
自分はどういう体の感覚を持って動きができてればいいのか?という方がいいのかなって思う
まぁ難しいんですけどね><
できない今は
色んなところに意識を向けてゆっくりと丁寧に
体の中を流れるルートを作ってあげる
そしてその意識を無意識化できたら
きっと水が流れるような動きになるんじゃないかしら?
できないからといって
余計な動きを加えたり
余計な力をかけたりしたらきっとこのルートはできないままなのだろうなぁ
最近自分の人生についても色々考えちゃってね
欲望とか夢とかだけで生きれたらもっとスムーズに前に進めるのになぁって思う
過去の経験や相手との関係を気にすると
立ち止まる・・・考える・・・悩む・・・卑屈になる
その欲望が強ければ強いほど挫折感は強くなって修正も難しくなってしまう・・・
まぁ生き方はそんな簡単にスムーズにはいかないと思うけど
でも無駄に考えすぎたり、悩みすぎたり、気にしすぎたりするのは
明らかにルートを塞ぐ余計なものになってるんだろうなぁ
自然体でいきたいね
できるだけね
猛暑とか熱中症とかってなんだったっけ?と思うくらい涼しくなってきました
月日のたつのは早いものですねぇ・・・
ボーっとしてたら今年も終わっちゃうんでしょうね
気を引き締めていかないとなぁ・・
でもなぁ・・・そろそろ
さんまの塩焼きの季節じゃないですか!
部屋の窓を開けて涼しい風あたりながら
さんまで一杯やりたくなってしまう
引き締まらないなぁぁあ
そういえば今年の目黒のさんま祭りは終わったのかなぁ??
昔目黒に勤めてた頃は会社抜け出して友達とサンマ食べて
お土産に何匹か戴いてきたりしたんだけど
最近は人気すぎて整理券もらって並ぶんだってさぁあ
でも美味いんだよなぁ・・・あのサンマ
自然な動き・・・自然な構え・・・
お手本を見てかっこいいな。とか素敵だなと思って真似をする
真似できるのはすばらしいけど
真似するところを間違ってしまうと
まったく違うものになってしまう
目で見た印象というのは分かりやすいし印象にも残りやすいんだけど
例えば手の動きを見てまねをすると
動いてる部分だけを動かしてしまう
その動きの元が何で、どういう過程を通ってそうなったかを
まったく無視してしまう
それだから
不自然になる
同じように動いてみてもうまくいかない
できそうな所だけ
目で見て分かりやすいところだけをやろうとするから
まったく違うものになっちゃうんだよね
こんなこと言っちゃったら怒られちゃうかもだけど
私は最近稽古で、有る程度やってみてできなかったら
その動きは諦めるようにしてる
それ以上やってできたとしてもきっと間違ってるから・・・
間違ってると思うことをわざわざやって
なんとなくできた気で終わってしまったら多分進歩が無いような気がしてね
途中で止めないで最後までやるっていうことは大事だとは思うんだけどね・・・
合気道もダンスもそうだけど
お手本通りにできるならいいけど
変にお手本を真似て、先っぽの方だけできた気でやるよりも
下手くそでも自分のできる範囲をしっかり体に落とし込んでいけた方がいいんじゃないかって思う。
多分周りから見たら
あの人はいつまでたっても成長しないとか
やる気あるのかな・・・とかとも思われちゃうかもしれないけど
自然体で動くってことを忘れちゃうくらいなら
下手な方がいいのかなって思う。
合気道みたいに相手がいる場合は、なかなか自分の意思が伝わらなかったりして
うまくできないことも多いけど。相手に自分の意思を伝える術を考えるのもまた
楽しいよね。
動きを教えてもらうとき
よく
川とか海、波、風、木といったような
自然のものを使ってたとえて表現してもらったり
ザワザワ、サラサラ、ウォーとか擬音をつかってくれたりもします
すごく私にはわかりやすいしイメージもつきやすい。
でも
よし!水が流れるように!と思って水の流れを再現するのではないし
風の動きを作るわけでもない。
教えてくれる先生方は実際に”水”や”風”のイメージが持てる動きができてるから
そういう風に表現してくれるわけで。
そもそもその動きができてないのに
水の流れが~なんて思いながら動いても
それもまた、できた気分になってるだけ
水の流れのイメージを持てるようにするには
自分はどういう体の感覚を持って動きができてればいいのか?という方がいいのかなって思う
まぁ難しいんですけどね><
できない今は
色んなところに意識を向けてゆっくりと丁寧に
体の中を流れるルートを作ってあげる
そしてその意識を無意識化できたら
きっと水が流れるような動きになるんじゃないかしら?
できないからといって
余計な動きを加えたり
余計な力をかけたりしたらきっとこのルートはできないままなのだろうなぁ
最近自分の人生についても色々考えちゃってね
欲望とか夢とかだけで生きれたらもっとスムーズに前に進めるのになぁって思う
過去の経験や相手との関係を気にすると
立ち止まる・・・考える・・・悩む・・・卑屈になる
その欲望が強ければ強いほど挫折感は強くなって修正も難しくなってしまう・・・
まぁ生き方はそんな簡単にスムーズにはいかないと思うけど
でも無駄に考えすぎたり、悩みすぎたり、気にしすぎたりするのは
明らかにルートを塞ぐ余計なものになってるんだろうなぁ
自然体でいきたいね
できるだけね