センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

番外編 ほぼ40回記念 近況版

2012-06-04 19:28:23 | 洛中洛外野放図
「今中央改札口を出ました」
「私もその前にいるよ、あ、松田見えた」

 今回はすんなりとお互いを見つけることができた。一年前は季節外れの台風で大変な雨の中だったけれど、今回は抜けるような青空に京都タワーの白が眩しく映えている。

「なんかそこのパン屋さんで出来立てのパンがいーぃ匂いでさ、すでに買っちゃったよ」

 会津さんと「17:30りゅうせん」の前に散策の約束はできている。ところが社会人なのに晩のお酒以外あまりお金を使う気がない二人の間では、天気が好ければサンドイッチか何かを買って鴨の川原でアウトドアランチな打ち合わせも済んでいた。揃って予約してあるホテルは四条通に面しており、チェックインは午後2時からなのでまだ先である。まずは身軽になろうと地下鉄烏丸線で四条まで、烏丸通のずっと西にあるホテルで荷物を預け、パンを持って四条通を後戻りした。出て直ぐのところに小さな酒屋があって、ビールを買って更に東へ向かって行くのだが四条通は人通りが多くて思うように進めない。ようやく河原町通にたどり着いて信号待ちをしているときのこと。
「地球屋ってまだあるかな」「行ってみましょうか」
ということになって河原町通りの東岸に渡ってから南へ、三筋目を東に折れるとシャンソニエ巴里野郎の看板をみつけた、その向こう。
「あー、あるよ」「ありましたねぇ」「まだあの『すッポーン』てのやってんのかな」
居酒屋『地球屋』の大将の栓抜きパフォーマンスのことを言っている。瓶ビールを頼むと灰皿だとか割り箸で栓を抜いて見せてくれていたのである。だけどそれはもう20年も前の話なので…そのまま道なりに南に折れると二人とも気に入ってよく通った店の懐かしい赤い看板は色褪せて白っぽくなっているけれど、どうやら営業はしている様子。「懐かしいネェ」そう言いながらその直ぐ脇の公園から川原へと降りる。四条通の南側、鴨川にはジグザグにロープが渡してあって、目立たない掲示をみると稚鮎を放流してあるので川鵜よけのために張っているのだとある。
「これじゃ大学生渡れないよ」
河原町周辺の繁華な界隈で新歓コンパをやると、鴨川を歩いて渡るのが新入生の通過儀礼だった。そこでかの松須さんは「ワシは『屋島の海坊主』と呼ばれた男や!」と叫びながらひざほどの深さしかないところでのたうっていたらしい。そのときかどうかわからないが同じく新歓コンパ後の鴨川でのひと暴れで仁多苑さんの首の皮が千切れたとも聞く。武勇伝にはコト欠かないのである。
 サンドイッチと缶ビールでお昼を取りながら、ちょうど南北の位置は合っていたのでかの『縁切り』安井金比羅宮へ行って見ることに。正面の鳥居は東大路通に面しているがそこまでは行かず、四条の一筋南の橋を渡って東に進むと場外馬券売り場に突き当たる。そこを南に折れて東に曲ったところにある脇の鳥居から入ると相も変わらず「○○との縁が切れますように」だとか「△△と二度と関わりませんように」だとか、更には再現するのも憚られるほどえげつない内容の絵馬も連なっている。あろうことか修学旅行の中学生に対して年配の引率者が一枚ずつ手にとって解説を加えているではないか。いいのか?というこちらの心配を他所に中学生も楽しんでいるようではあるが。
 金比羅宮横の小ぢんまりとしたギャラリーに猫のイラストを見つけて入ってみると、毎年GW前後に猫をモチーフとする作家の作品を集めて『猫祭り』なるものをやっているらしい。今年は前の週の週末に終わったのだそうで、それでも猫グッズは充実していた。二人揃って家猫オーナーなので猫モノには目がない。あれこれと物色してそこそこに満足してから店を出た。にしても、暑い。チェックインのできる時間になったのでひとまずホテルに戻ることにして、だけども歩きにくい四条通はもう嫌だ、南の綾小路通から仏光寺通を行ったり来たりしながら西へと向かった。西洞院通と綾小路通の交差点で信号待ちをしていると「お!」という声が聞こえた。こんなところで知り合いに会うなどと思ってもいないので自分たちに声がかけられているという頭は微塵もなかったのだが、ふと会津さんが後ろを向いた。
「あぁっ!ポチ!!」「うーす」「え!」
ちなみに最初のが会津さん、最後のは松田である。最初の会津さんの言葉に驚いて振り向くと古邑さんがニコニコと立っている。もう高1になる娘さんを持つ40過ぎのいいお父さんに向かって『ポチ』もないものだが、双方それでいいらしい。
「こんなところで何しとん?」
それはこっちの科白です。聞けば大学に行った後学生時分の下宿に行って大家さんに挨拶をしてきたそうで。「やっぱりみんなやること一緒だねぇ」ねぇ。これからホテルにチェックインするという古邑さんと16:45に嵐電四条大宮駅前で落ち合うことにして分かれた。「暑い」「喉渇いた」「足だるい」カンカン照りの中結構な距離を歩きまわった挙句の三重苦である。辛抱たまらずホテル横のコンビニで500mlの缶酎ハイを一本ずつ買ってからチェックインをした。約束の時間までまだあるが、もう歩きたくない。エアコンの効いた涼しい部屋で酎ハイを呑みながらしばしご歓談。

 ホテルが思いのほか西に寄っていたので待ち合わせの嵐電四条大宮駅に着いたのはかなり早い時間だったが、愚にもつかない会話をしているうちに古邑さん着、発車寸前の電車に乗り込んだ。今は運賃が全線一律200円になって一部駅名も変わっている。それでも沿線の風景には馴染みもあり、三人して何だかんだと喋りながら以前は竜安寺道という名前だった北野線龍安寺駅まで。その直ぐ裏手にりゅうせんがある。とはいえかなり早い。時間つぶしに大学近くまで一回りして戻ってみると女将さんが店の表に出てくれていて、挨拶を交わして少し早いが中で待たせてもらうことにした。一年前と同様幹事役の石地さんはもう約束の時間になろうかというのに姿を見せない。律義者の石地さんにしては珍しいと話していると、時間通りに「あぁ、すいませーん」と言いながら宝饒さんが入ってきた。「なんかイキナリ遅いって怒られたやんけ」表に出ていた女将さんにからかわれたらしいが、相変わらずちょっと急いだような口調の吸い込まれそうな笑顔に嬉しくなる。
「石地さん15分くらい遅れるって」
待てども来ない石地さんと電話でやり取りをした古邑さんのひと言をきっかけに、先にはじめておくことにした。ひとまず四人で乾杯を済ませて喋っていると仁多苑さん、石地さんと入ってきた、かと思ったら石地さんは後ろを向いてなにやら声をかけている。するとのそぉっと栄地が姿を見せた。三人は白梅町駅からたまたま同じ電車に乗り合わせていたらしい。佐宗さんは二次会から参加予定なので、これでようやく一次会の出席者が揃ったことになる。入り口と奥を結ぶ方向に長い楕円形のテーブルに、入り口を背にして松田、そこから時計回りにカウンターを背にして栄地、古邑さん、奥側の壁を背に石地さん、宝饒さん、カウンターに向き合う形で仁多苑さんと並び、会津さんは松田の右隣の席についた。今にして思えばこの席順も一考を要するものであったようなのだが、ともかく改めて一次会の開宴である。

「石地に写真見してもらってたけど、なんやお前エラい変わりようやな」と仁多苑さんを見た宝饒さんが爆笑している。「俺らは去年見てもう慣れとるけどやな、お前実物初めてやからびっくりするやろ」と石地さんの言うとおり一年前に再会したときにあらかじめ驚いてあるのだが、仁多苑さんは以前と比べて別人と言っていいほど恰幅がよくなり頭もグレーになっている。「でも今日赤いラガーシャツじゃないじゃん」「いや着て来よか思てんけどな、今日暑かってん」と会津さんと仁多苑さんがやり取りしている横で宝饒さんは文字通り『腹を抱えて』身をよじっている。それもようやく落ち着いたと思ったら、何か言葉を交わそうと仁多苑さんの顔を見るとまた止まらなくなった。何がツボだったのか、笑いすぎです。それもどうにか治まりお酒も回り、ひとしきりこの場にいない人たちの消息についてあれこれ喋っていると来年はちゃんと鞍多をつれて来い、ということになった。そりゃ声はかけますけど。おれの係か?その中の松須さんのくだりで栄地がボソッとつぶやいた。「でもまぁ、死んではりませんよねぇ」多分近い席にいた松田と会津さんにしか聞こえてないが、ヒット・アンド・アウェイ方式で辛辣なコメントをさせるとピカ一である。
 いつのまにやら「焼酎をソーダで割ってレモンを搾ったやつ」の注文が始まっており、燗徳利が林立し焼酎ロック/水割りのジョッキも並んでいる。各自思い思いの酒を呑み思い思いに喋っているが、店内で一番声がでかい。その喧騒の中で『らくだ』と『ポチ』のあだ名の由来も語られたはずなのだが、すでに忘却の彼方である。「何であんたに頭はたかれなきゃなんないんだよ!」と言いながら会津さんが仁多苑さんの頭をはたいている。今グーでイってなかったか?40代子持ちの呑み方とも思われないが、次回は二人とも手の届かない席に着いてもらいましょう。

 それでもどうやら「りゅうせん」での一次会も大団円を向かえ、一年前と同様タクシー2台に分乗して三条木屋町へと向かう。前回とは打って変わってシャキシャキしている会津さん、仁多苑さんと一緒に乗ることになった。二人は後部座席で硬軟織り交ぜた話題で喧喧諤諤、蚊帳の外に置かれた松田が運転手とやり取りしていると時折「なぁ、松田」と声をかけられる。そう振られても対処できませんがな。目的地についてタクシーを降りても言い合いは続いており、石地さんは誰にともなくこうつぶやいた。「せやからあいつらに一緒に乗んなて言ったんやて」

 二次会の店も一年前と同じで、前回は飛込みだったが今回は辣腕幹事石地氏によってすでに掘り炬燵式の座敷が取ってあった。そこからは佐宗さんも合流、これで全員揃うはずだったのだが宝饒さんの姿が見えない。あとで石地さんに聞いたところによると「ちょっと風に当たってくる」と言い残して連絡が取れなくなり、そのままホテルに帰られたらしい。実は一次会で結構なペースで熱燗を勧めていたのは松田なのである。申し訳ないことをした。店に入るなり座敷の奥の席に仁多苑さんと会津さんが向かい合って座る、だから互いの手の届くところにその二人を置いては...

 案の定である。座敷の上がり口、二人から一番離れたところに松田、その左に栄地、向かいに石地さんが座ったが、奥の大きな声で会話しづらい。さながら「仁多苑・会津二人のビッグ・ショー」の様相を呈してきた。二次会から参加の佐宗さんは仁多苑さんの隣でさぞ大変だったことだろう。そんな中、グラスのつもりがジョッキで出てきた一次会での焼酎ロックに当てられたらしい栄地は少しペースが落ちていたが、古邑さんはあちこちに話を合わせながら飄飄と飲んでいる。賑賑(にぎにぎ)しくも恙(つつが)なく酒宴は進みそろそろ終電も近い時間、帰宅予定者の仁多苑さんと栄地を送り出しそれでも暫くは杯を挙げた。その静かなこと、すでに「宴のあと」といった態である。喧嘩相手がいなくなったからかまたもや会津さんは折り畳まって眠っており、そろそろお開きということになった。どこか別の場所に行くという石地さんと佐宗さんを見送って、ホテルに連れて帰ろうと思っていた会津さんが「あそこ行く」と言い出した。あんた寝てはったんと違いますの?

 「あそこ」とは昼間見た懐かしい店、和洋を問わず70年代のロックだとかブルースのアナログ盤を取り揃えてあって、好みの音楽をかけてもらってしゃべりたい放題しゃべりながらぐだぐだと時を過ごすことができる。古邑さんと三人連れ立って行くことになり、木屋町通を南下、四条通をやり過ごして船頭町のあたりで高瀬川を渡って細い路地に入る。「松田ぁ、どこ行くのぉ」って、あの店ですが、なにか。「あぁ、そうか」いつの間にやらふらつく会津さんとそれを支える古邑さんより大分先行していた。階段を上がって左手にあるはずの入り口が右側にある。ドアを開けると日本語のパンクっぽい音楽が流れており、照明は照れくさいほど明るく、カウンターの高瀬川寄りの半分を占める先客は妙に溌剌としている。通っていたのは20年ほども前のことだから変わって当たり前なのだろうけれど、あまりの様変わりに戸惑いながらカウンターに並んだ。ともあれ1杯ずつ飲み物を注文して大人しく飲んでいたが、どうもしっくりこない。「こんなでしたっけ?」「いや、違うよねぇ」という会話をしているとマスターが加わってきた。やはり階段を挟んで店舗を移したのだという。どんな音楽を聴くかと尋ねられたので、以前その店でよくかけてもらっていたアーティストを幾組か挙げてみてもどうもピンとこないらしい。トム・ウエイツの名前でようやく1枚のCDを取り出してきた。そんなことはしてもらいたくもなかったけれど、かかっているCDを止めて『土曜の夜』をかける。とたんにそれまでのどこか華やいだ雰囲気がけだるいバーのそれになるのが不思議である。どう見ても年下のマスターは40代も半ばにさしかかろうという三人組に話を合わせようとしてくれているが、なんだかつまらなくなってCDの半分も聞かないうちにグラスを乾して店を出た。「なんかあれ違うよねー」それだけ時を経ているのだろう。

 五条あたりにホテルを取っているという古邑さんと「また来年!」と約束した別れ際に「来年は鞍多を連れて来いよ」と念を押されてしまった。ういっす。河原町通まで出て、そこから堀川通の手前にあるホテルまでは少し距離がある。
「さて、どうします?」「あるく」
四条通を西へと向かって歩き出す。歩道の端には数メートルおきにアーケードを支える支柱が立っており、律儀にも会津さんはその1本ずつにぶつかりそうになって、ときにはぶつかっている。腕を取ると「だいじょうぶ、ひとりであるける」って、歩けてないでしょ?それでも無事ホテルにたどり着き、鍵を受け取っている間に会津さんの姿が見えなくなっていた。その間エントランスの自動ドアは動かなかったので建物の中には居るはずである。あちこち見回してみると、エレベーターホールにある飲み物の自販機と壁の間にすっぽりとはまり込んでいる。そこから引っ張り出してエレベーターにのせて部屋まで送り届けた。やっぱり同じホテルでよかったわ。

 翌朝も暑くなりそうな上天気となった。「いろんなとこに痣ができてる」らしい会津さんと連れ立って『千本釈迦堂』の名で親しまれる大報恩寺に行ってみることにした。ここでは所蔵する木造釈迦如来坐像、木造十大弟子立像など見ごたえのある仏像を拝観できる。四条大宮からバスに乗って千本通を北上する。途中JR二条駅の近くに、通っていた大学の新しいキャンパスができているのに驚きながら今出川通を越えて千本上立売で下車、少し迷いながら大報恩寺の境内に隣接するアパートにたどり着いた。ここはかつて石地さんの住んでいたところで、みんなで集まって酒を飲むところでもあった。会津さんは「まだあったよー」と言いながら壁面に大書してあるアパート名の写真を撮っている。機織の音こそ聞こえなかったが迷路のように入り組んだ路地を縫って寺の表へ回る。「やっぱこりゃ迷うわ」「迷うよォ、石地君ちにひとりで行けた私が偉いと思う」
拝観料を払って宝物殿へ、入った途端に二人とももう圧倒されてただ見惚れている。
「こんな凄いモンのすぐ近くで酔っ払ってたんですねぇ」
「ね、知らなかったよ。ここ大根のにおいしかないもん」
大報恩寺で12月初旬に行なわれる『大根焚き』という法要では文字通り大量の大根が煮られ、この大根を食べると諸病除けになるとされる。ここに隣接するアパートに住む石地さんは毎年「部屋ん中のなんもかんもが大根臭くなる」とぼやいていた。

 寺を出て七本松通を南下し、今出川通で左に折れて千本通へ向かう。石地さんの下宿と松田の下宿の間にあたるこの辺りはかつてのナワバリのようなもので、なんだかんだと会話も弾む。千本通を中立売通まで下って樽尾を呼び出した中華飯店に入った。料理を待つ間前夜の参加者にお礼のメールを打ち、鞍多に写真と来年は是非にとのメッセージを送る。会津さんは写真をチェックしながら「おっさんばっかり」とつぶやいた。そりゃそうだ、唯一の女性がシャッターを切っているのだから、写るのはおっさんばっかりである。それから老舗の味に舌鼓を打ちつつ写真に笑い、くちくなったお腹を抱えて京都駅行きのバスに乗り込んだ。暫く乗っているうちに会津さんは眠っていた。

 午後早い時間の新幹線で帰って行く会津さんを見送って、自分の乗る列車の時間まで駅周辺をぶらついていると石地さんからメールが届いた。

『どうも。お疲れさまでした。/前回同様、なぜか二次会は荒れ模様ですなぁ。』


 思わずふきだしてしまった。
 まったくもってそうですね、来年はどうなることやら…きっともっと、楽しくなるんだろう。

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