とあるコンパの会場、周りであわただしく席順を決めたりなどしているさなか、上座でノートを開いて、几帳面な筆記体の文字でドイツ語のテキストの本文を写している。筆記体とは早く書くために使う字体だと思っていたが、そ奴は一文字ずつじっくりじっくり、たぶんブロック体で書くよりも時間をかけて書いている。ペンで書いているので、書き損じは一画ずつ(アルファベットで「一画」というのか?)はけ塗りタイプの修正液を塗っていく。写本でもしているかのようで、几帳面というよりも神経質そうにも見える。場違いな感じが面白くてしばらく眺めていた。
「何してんねん」
「ん?ああ、明日な、当たんねん」
「呑みながら、すんの」
「そら始まったらしまうよ」
「ほーん」
テキストとノートが邪魔でグラスも取皿も置くことができないが、そういうことには頓着しないらしい。その日は遅れてサークルに入ってきたそ奴ともう一人の男の歓迎会で、その主役が黙々と予習をしているのである。同じ高校出身だという主役の片割れの「こいつ昔っからこういう奴やねん」とのコメントに「うるせぇ」と返しながらも手を止めることはない。歓迎することよりもお酒を呑むことをメインと心得る周りの人たちはちょっと邪魔だな、などと思いながらビールを回し、着々と乾杯の準備を進める。各自にグラスとビールが行き渡り、幹事役の先輩から「ホンならそろそろ、始めましょうか」と声がかかると手早くテキスト類を片付けた。乾杯の後の自己紹介によると、このドイツ語を筆耕していた栄地は高槻市在住、もう一人の上浦は茨木市在住で、同じ高校を卒業して同じ某大手予備校の大阪校に2シーズン通い、学部は違うが同じ大学に入って同じ時期に同じサークルに入ってきたという。こう書くと中睦まじくのっぴきならない関係のようにも思われるけれど、そういうわけでもなく、行く先々でお互いを見つけては「またこいつか」と思うらしい。挙句の果てには就職先も、生産管理と営業というキャラそのままの職種ではあったものの、同じ某大手印刷会社、二人とも自覚はしてないようだがこんだけ気が揃う奴らも珍しいで。でも結婚した相手は違ってた。この上浦という男、自己紹介で「巨人ファンです」と禁断の一言を口に出したものだからたまらない。「ぁんやとぉ、コルァあ!」怒号一声、お絞りが飛ぶ座布団が飛ぶ、まだ酔っ払いはいなかったので壊れ物や誰一人箸をつけてない料理をぶん投げる者はいなかったが。ここで宇津平さんの「巨人ファンなんて屁ー以下」という名言が生まれ、上浦には「まったく場の空気を読めない奴かよっぽどのマゾ野郎だ、ただしすべて読んだ上での発言だったら偉い」、とにかく「太(ふて)ぇ野郎だ」という評価が下された。図らずも翌日のための予習によって自己紹介のずっと前から注目を集めていた栄地は、低い声でぼそぼそと淡々と自らを語った。トーマス・マンかなんかを愛読しているとかで、高尚らしい趣味にどことなくとっつきにくいような感じがしないでもない。年齢もさることながら、落ち着き払った雰囲気が風格までをも感じさせ、どこか威風堂堂の趣がある。まずはポップな上浦とシックな栄地という印象だった。方や突っ込みどころ満載で、方や突っ込もうにも落としどころの見当がつかないのである。そのあたりの印象がやけに強くて自己紹介の後はあまりよく覚えていない。覚えていないというか相変わらずコリャコリャのグズグズになっていったので、他の飲み会と印象が変わらない。ただ、アンチ巨人の跋扈するなか臆することなく巨人ファンを標榜していた群馬出身の町元さんが上浦の肩に手を回して「お前は見所がある」かなんか言っていたのを覚えている。「やっぱジャイアンツだよなー」って、関東のファンは「巨人」とは言わないのか?当の上浦は真っ赤な顔をして意識を失いかけている。こいつはビールを2杯も飲んでないのに。栄地によると「これでもこいつ呑めるようになったんやで」とのこと、そういう栄地はすでに熱燗に切り替え、表情ひとつ変えることなく淡々と杯をあけていた。もっともこ奴はいつだって表情を変えない。
この二人とはじきに親しくなって、特に栄地とはよく呑んで回った。自宅生なのに付き合いがいい。一方の上浦がそうでもないのは飲めないからだろうと思っていたが、地元に高校時代から付き合っている彼女がいるからだという。そんな奴はいい、とりあえず、ほっとく。
「口数は少ないけど言葉数が多い」と評されたことがある。これは全然違う場所で違う人から言われた。そういう俺(の)と口数も言葉数も多くない栄地とが二人で飲んでいると、本当に口数が少ない。話が弾むということもなく、あまりしゃべらないままこぷこぷ飲んで、それで苦にならない。呑むのは日本酒かバーボンが多く、うちで呑むときはたまにフォア・ローゼズのブラックラベルをぶらさげてきてくれた。持参したビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンなどのCDをかけてル・クレジオだとかマルティン・ブーバーなんかの話をする。しょうがないのでこっちはジャニス・ジョプリンとブルース・ブラザースで対抗し、いしいひさいちを与えてみたらこれがハマったようで、しばらくは来る度に作品集を一冊ずつ読んでいた。お互いに少しずつ感化されていき、しまいには桂枝雀やキダ・タローをバックにガルシア・マルケスの話をしながら呑むようなことになっていた。大抵は引き際綺麗に終電で帰って行ったが、たまに過ごすこともある。そういう時はどっちが先かわからないけれどいつの間にか意識を失っていて、翌朝「うぅっぅ」とか言いながら授業に出たり帰って行ったり、お昼前まで自堕落に過ごしたりした。最初は周りから『寡黙』『孤高』『耽美』といった言葉の似合う流麗なイメージを持たれていたようだが、そこに『退廃』が加わったようで、ある日栄地が我が家から持ち出した『アホの坂田』のテープを持っているところを見咎めた栄地派の女の子から(半ば本気で)詰め寄られたことがある。
「あんなん聞くって、栄地君変わったん、あんたのせいやろ。ヘンなこと教えやんといて、もぅ!」
ってしゃあないやん、そんな奴やってんから。その様子を見ていた上浦がけたけたと笑っている。笑(わろ)てんとフォローせんかい、この男は。きいっ!という本当に音の出そうな目つきで上浦に一瞥をくれて、その子はプリプリと去って行った。上浦は堪(こた)えもせず「なんやえっらい美化されてんねやなー」とか言いながら爆笑している。そこへのそっと本人が出てきた。
「なんや?」
何でもあれへん、何でもあれへん。
直接顔を合わせることはそれほど多くないが、そんな二人とも随分長い。
「何してんねん」
「ん?ああ、明日な、当たんねん」
「呑みながら、すんの」
「そら始まったらしまうよ」
「ほーん」
テキストとノートが邪魔でグラスも取皿も置くことができないが、そういうことには頓着しないらしい。その日は遅れてサークルに入ってきたそ奴ともう一人の男の歓迎会で、その主役が黙々と予習をしているのである。同じ高校出身だという主役の片割れの「こいつ昔っからこういう奴やねん」とのコメントに「うるせぇ」と返しながらも手を止めることはない。歓迎することよりもお酒を呑むことをメインと心得る周りの人たちはちょっと邪魔だな、などと思いながらビールを回し、着々と乾杯の準備を進める。各自にグラスとビールが行き渡り、幹事役の先輩から「ホンならそろそろ、始めましょうか」と声がかかると手早くテキスト類を片付けた。乾杯の後の自己紹介によると、このドイツ語を筆耕していた栄地は高槻市在住、もう一人の上浦は茨木市在住で、同じ高校を卒業して同じ某大手予備校の大阪校に2シーズン通い、学部は違うが同じ大学に入って同じ時期に同じサークルに入ってきたという。こう書くと中睦まじくのっぴきならない関係のようにも思われるけれど、そういうわけでもなく、行く先々でお互いを見つけては「またこいつか」と思うらしい。挙句の果てには就職先も、生産管理と営業というキャラそのままの職種ではあったものの、同じ某大手印刷会社、二人とも自覚はしてないようだがこんだけ気が揃う奴らも珍しいで。でも結婚した相手は違ってた。この上浦という男、自己紹介で「巨人ファンです」と禁断の一言を口に出したものだからたまらない。「ぁんやとぉ、コルァあ!」怒号一声、お絞りが飛ぶ座布団が飛ぶ、まだ酔っ払いはいなかったので壊れ物や誰一人箸をつけてない料理をぶん投げる者はいなかったが。ここで宇津平さんの「巨人ファンなんて屁ー以下」という名言が生まれ、上浦には「まったく場の空気を読めない奴かよっぽどのマゾ野郎だ、ただしすべて読んだ上での発言だったら偉い」、とにかく「太(ふて)ぇ野郎だ」という評価が下された。図らずも翌日のための予習によって自己紹介のずっと前から注目を集めていた栄地は、低い声でぼそぼそと淡々と自らを語った。トーマス・マンかなんかを愛読しているとかで、高尚らしい趣味にどことなくとっつきにくいような感じがしないでもない。年齢もさることながら、落ち着き払った雰囲気が風格までをも感じさせ、どこか威風堂堂の趣がある。まずはポップな上浦とシックな栄地という印象だった。方や突っ込みどころ満載で、方や突っ込もうにも落としどころの見当がつかないのである。そのあたりの印象がやけに強くて自己紹介の後はあまりよく覚えていない。覚えていないというか相変わらずコリャコリャのグズグズになっていったので、他の飲み会と印象が変わらない。ただ、アンチ巨人の跋扈するなか臆することなく巨人ファンを標榜していた群馬出身の町元さんが上浦の肩に手を回して「お前は見所がある」かなんか言っていたのを覚えている。「やっぱジャイアンツだよなー」って、関東のファンは「巨人」とは言わないのか?当の上浦は真っ赤な顔をして意識を失いかけている。こいつはビールを2杯も飲んでないのに。栄地によると「これでもこいつ呑めるようになったんやで」とのこと、そういう栄地はすでに熱燗に切り替え、表情ひとつ変えることなく淡々と杯をあけていた。もっともこ奴はいつだって表情を変えない。
この二人とはじきに親しくなって、特に栄地とはよく呑んで回った。自宅生なのに付き合いがいい。一方の上浦がそうでもないのは飲めないからだろうと思っていたが、地元に高校時代から付き合っている彼女がいるからだという。そんな奴はいい、とりあえず、ほっとく。
「口数は少ないけど言葉数が多い」と評されたことがある。これは全然違う場所で違う人から言われた。そういう俺(の)と口数も言葉数も多くない栄地とが二人で飲んでいると、本当に口数が少ない。話が弾むということもなく、あまりしゃべらないままこぷこぷ飲んで、それで苦にならない。呑むのは日本酒かバーボンが多く、うちで呑むときはたまにフォア・ローゼズのブラックラベルをぶらさげてきてくれた。持参したビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンなどのCDをかけてル・クレジオだとかマルティン・ブーバーなんかの話をする。しょうがないのでこっちはジャニス・ジョプリンとブルース・ブラザースで対抗し、いしいひさいちを与えてみたらこれがハマったようで、しばらくは来る度に作品集を一冊ずつ読んでいた。お互いに少しずつ感化されていき、しまいには桂枝雀やキダ・タローをバックにガルシア・マルケスの話をしながら呑むようなことになっていた。大抵は引き際綺麗に終電で帰って行ったが、たまに過ごすこともある。そういう時はどっちが先かわからないけれどいつの間にか意識を失っていて、翌朝「うぅっぅ」とか言いながら授業に出たり帰って行ったり、お昼前まで自堕落に過ごしたりした。最初は周りから『寡黙』『孤高』『耽美』といった言葉の似合う流麗なイメージを持たれていたようだが、そこに『退廃』が加わったようで、ある日栄地が我が家から持ち出した『アホの坂田』のテープを持っているところを見咎めた栄地派の女の子から(半ば本気で)詰め寄られたことがある。
「あんなん聞くって、栄地君変わったん、あんたのせいやろ。ヘンなこと教えやんといて、もぅ!」
ってしゃあないやん、そんな奴やってんから。その様子を見ていた上浦がけたけたと笑っている。笑(わろ)てんとフォローせんかい、この男は。きいっ!という本当に音の出そうな目つきで上浦に一瞥をくれて、その子はプリプリと去って行った。上浦は堪(こた)えもせず「なんやえっらい美化されてんねやなー」とか言いながら爆笑している。そこへのそっと本人が出てきた。
「なんや?」
何でもあれへん、何でもあれへん。
直接顔を合わせることはそれほど多くないが、そんな二人とも随分長い。