一気に二つの話をほどいて、支部例会の連絡報をようやく作り上げることが出来ました。
少しだけ時間があるので。。。
5日に、50日祭を終えてから、雪の降る中、納骨をさせて頂きました。
新型コロナまん延から、来れなかったお孫さんが、ネットを通して参拝されました。
雨ではなかったので、良かったです。
天理教の儀式など全く知らない家族です。
親々のお徳の中、結構に育たれた方々です。
一つずつ、式をしながら説明をして事を終えました。
亡くなられた方も講社祭はしていなかったので、講社祭の話は出来ませんが、春と秋との霊祭はして欲しいと話をしました。
信仰は本当に一名一人です。
うちの家族親せきを見ても、教会信者の皆さん方を見てもそう思います。
教会を元気にと言っても、親神様を信じる人々がいなければ。。。
まずは、自らが親神様を信じる事。
そして、親神様と共に歩む事。
これが何よりも大切だと思うのです。
どれだけ自分でこうしたらよいと思っても、親神様の思いと違っていては、それは邪魔になるだけです。
「教祖のひながたをたどる」とよく言いますが、ひながたの究極は、親神様の思いに沿う事だと思っています。
いくら教会を教会をと言っても、親神様がそれは邪魔だ!そこには必要ない。と言えば、どんな事をしても、邪魔になるばかりで、反対にいらぬほこりを積むばかりです。
反対に親神様が必要だと思えば、身上にしてでも人を集められるのです。
こうした点は、教祖だけではなく、周囲の方々、大教会の初代さんたち、その家族の歩んだ道、役員さんや反対者の歩んだ道などを見れば分かると思います。
大切なのは、日々です。
さて、今日は支部例会・支部役員会議、それを終えたら病院へ行って足の治療。
その後おぢばへ向います。詰所には夜遅くつく事になるでしょう。
雪の中、必死に動く電車を探して「神殿奉仕のために」おぢばへ向っておられる先生がいます。
すべては心ひとつです。
どれだけ、法律をつくっても、人を批難しても、自分に誠がなければ、どうなるのか。。。
すべては「天の帳面」にあります。
言わず語らず、、、分かる事なのですが、知らないとそうした中に巻き込まれていらぬほこりを積むことになります。
「善も悪も見分けするぞや」と教えられます。
自らの善悪も見分けて、周囲の人々の善悪も見分けて、歩む事が大切でしょう。
事情身上は、それが出来るための勉強です。
大難は小難、小難は無難と導いて下さる事を喜びましょう。
小難が無難になっている事に気づきましょう。
「人が悪いのではない」「自分が悪いのではない」
すべては、自分たちの心のほこりに気がつくための事情、事柄です。
これが「なるいんねん」です。
これだけでは片手落ちなので、、、
もう一つ言えば、人が共に助け合うために必要な知恵を学ぶための経験でもあります。
これが「なすいんねんです」
心鎮めて、思案いたしましょう。
参考になれば幸いです。