あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

とり草の湯のおしえ。。「正文遺韻」より。。修理や肥に医者薬を

2022年02月19日 14時24分43秒 | 思った事

どこにあったかなぁ。。

とずっと思っていた文章が出て来た。

「とり草の湯のおしえ」という話しである。

これは「正文遺韻抄」にはなく、「正文遺韻」の逸話集にある。

253~254頁

読みやすいように書換えて紹介する。

とり草の湯のおしえ

 かつて、お屋敷に出入りする人々の中に、ヒゼンが流行り、人々が困っている時に、『だれでも、ほこりの理が無い者はないために、ほこりから、ほこりが移るのである。不足に思ってはならない。これでほこりを発散してしまうのやで。』とお聞かせ下された。そして一時をしのぐためにとして、とりくさの湯というものを教えられた事があった。

 その後、かゆいご意見を頂いた(身上を頂いた)時には、このとりくさの湯をたててしのぐ事が怏々としてあった。しかしこれによって治すという事ではない。一時をしのいで、ほこりを発散してしまうまで、たんのうをしやすくするためと、心得るべし。悪い事をさんげするべきは言うまでもない。

 さて、とり草の湯というのは、もちなえ(大分)、楠の葉(大分)、せんしょう、よもぎ、じょうやく、にんどう、おばこ、桧葉(小分)、南天葉(小分)以上9品を炊き出して、その湯を風呂へ移すなり。

この事から、どんな事を思案できるか、それぞれに思う事がある事だろう。

私は、この薬の配合という事よりも、

「薬が何のために存在するのか」という事を教えられていると思うのである。

総ての人に、ほこりの心が無いわけではない。このほこりの心が次々と人々に広がり、世界に蔓延するのである。

気をつけよ、心をさんげせよと言われても、なかなか出来ない。気がつかないのである。

けれども、そのままにしておけば、辛くて不足の心が重なるばかりであるから、それを和らげるために、薬を教えて下さったと思うのである。

薬で苦しみが和らいだ間に、思案してさんげをして心を切り替えるのであろう。

今、とても大変なほこりが立っているのである。

さほど大した病ではないものを、大変なものだと吹聴して、儲けるために人の命を助けるのとは反対の事を進めている。

これが分からない人々が、日本にはとてもたくさんいる。

これからどうなるか、人の心は分からない。

教えを聞いていても、得心できている人ばかりではない。

今ここで言われているように、ほこりがほこりを生み、大変な事になる可能性もあるのである。

以前、戦争が起こる事について「神が心配」と予言された事を書いたが、そのような事態にもなりかねないのである。

すでに世界では、多くの人々の命が失われているのである。

この教えを聞いた者は、しっかりと自分の心を見つめて、さんげをして、親神様の望まれる事をする事が必要だと思う。

人間はみな平等ではあるが、10柱の神様の働きが異なるように、それぞれに得手不得手がある。ましてや、一人には9つしか道具は無いのである。

だから、自分の出来る事をする事が何よりも大切な事である。

善人も悪人もすべて親神様の子供である。

けれども、善だけでは良し悪しは分からないのである。

良し悪しを分からせるために、悪の役をやる人も必要なのである。

こう考えたら、恨みも半減する事だろう。

恨みは恨みしか生まず、それでは陽気づくめにはなれないのである。

自分さえよければと、人を蹴落とし、人を殺めれば、自分も蹴落とされ、自分も殺められると心配をせねばならない。

これでは陽気づくめにはならないのである。

誰しも、騙され、自分の大切な人を失って、悔しく思わないものはいない。

それが当然である。

しかし、それを越えねばならない。

子供や身内を失くした方々が、他の人が同じような目に合わないようにと、訴訟を起こして、原因を追究している。

この心、どれだけ辛い事かと思うが、こうした事の積み重ねで、今のこの平和な日本は作られたと思う。

善い事と悪い事をしっかりと判断出来て、後世にこうした事を繰り返さないためにも、事実を検証する事は重要だと思う。

理は絶対である。

修理や肥に医者薬をと言われるが、教祖を弾圧したのは、この医者たちでもある。

このことをしっかりと心においておく必要があろう。

コメント
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