どこにあったかなぁ。。
とずっと思っていた文章が出て来た。
「とり草の湯のおしえ」という話しである。
これは「正文遺韻抄」にはなく、「正文遺韻」の逸話集にある。
253~254頁
読みやすいように書換えて紹介する。
とり草の湯のおしえ
かつて、お屋敷に出入りする人々の中に、ヒゼンが流行り、人々が困っている時に、『だれでも、ほこりの理が無い者はないために、ほこりから、ほこりが移るのである。不足に思ってはならない。これでほこりを発散してしまうのやで。』とお聞かせ下された。そして一時をしのぐためにとして、とりくさの湯というものを教えられた事があった。
その後、かゆいご意見を頂いた(身上を頂いた)時には、このとりくさの湯をたててしのぐ事が怏々としてあった。しかしこれによって治すという事ではない。一時をしのいで、ほこりを発散してしまうまで、たんのうをしやすくするためと、心得るべし。悪い事をさんげするべきは言うまでもない。
さて、とり草の湯というのは、もちなえ(大分)、楠の葉(大分)、せんしょう、よもぎ、じょうやく、にんどう、おばこ、桧葉(小分)、南天葉(小分)以上9品を炊き出して、その湯を風呂へ移すなり。
この事から、どんな事を思案できるか、それぞれに思う事がある事だろう。
私は、この薬の配合という事よりも、
「薬が何のために存在するのか」という事を教えられていると思うのである。
総ての人に、ほこりの心が無いわけではない。このほこりの心が次々と人々に広がり、世界に蔓延するのである。
気をつけよ、心をさんげせよと言われても、なかなか出来ない。気がつかないのである。
けれども、そのままにしておけば、辛くて不足の心が重なるばかりであるから、それを和らげるために、薬を教えて下さったと思うのである。
薬で苦しみが和らいだ間に、思案してさんげをして心を切り替えるのであろう。
今、とても大変なほこりが立っているのである。
さほど大した病ではないものを、大変なものだと吹聴して、儲けるために人の命を助けるのとは反対の事を進めている。
これが分からない人々が、日本にはとてもたくさんいる。
これからどうなるか、人の心は分からない。
教えを聞いていても、得心できている人ばかりではない。
今ここで言われているように、ほこりがほこりを生み、大変な事になる可能性もあるのである。
以前、戦争が起こる事について「神が心配」と予言された事を書いたが、そのような事態にもなりかねないのである。
すでに世界では、多くの人々の命が失われているのである。
この教えを聞いた者は、しっかりと自分の心を見つめて、さんげをして、親神様の望まれる事をする事が必要だと思う。
人間はみな平等ではあるが、10柱の神様の働きが異なるように、それぞれに得手不得手がある。ましてや、一人には9つしか道具は無いのである。
だから、自分の出来る事をする事が何よりも大切な事である。
善人も悪人もすべて親神様の子供である。
けれども、善だけでは良し悪しは分からないのである。
良し悪しを分からせるために、悪の役をやる人も必要なのである。
こう考えたら、恨みも半減する事だろう。
恨みは恨みしか生まず、それでは陽気づくめにはなれないのである。
自分さえよければと、人を蹴落とし、人を殺めれば、自分も蹴落とされ、自分も殺められると心配をせねばならない。
これでは陽気づくめにはならないのである。
誰しも、騙され、自分の大切な人を失って、悔しく思わないものはいない。
それが当然である。
しかし、それを越えねばならない。
子供や身内を失くした方々が、他の人が同じような目に合わないようにと、訴訟を起こして、原因を追究している。
この心、どれだけ辛い事かと思うが、こうした事の積み重ねで、今のこの平和な日本は作られたと思う。
善い事と悪い事をしっかりと判断出来て、後世にこうした事を繰り返さないためにも、事実を検証する事は重要だと思う。
理は絶対である。
修理や肥に医者薬をと言われるが、教祖を弾圧したのは、この医者たちでもある。
このことをしっかりと心においておく必要があろう。