名古屋へは、山名以外の系統からも道は伝わっているのだが、山名の中では、この橋本伊平先生しかにおいがかからず、他の先生は他の土地へ布教に行かれている。それだけ、橋本伊平先生がこの名古屋の地に深いものがあると考えられると思う。
【名古屋布教のかかり】
(師匠の見舞い・不思議なおたすけ・師匠片岡松童の入信=浜松・周知)
ここで一つ、愛知が支教会設立のお許しを戴こうとした時に、山名初代会長は、この片岡松童に会長になって欲しいと言っている。また、この後に出て来る柴田久兵衛にも会長になって欲しいと言っている。しかし両名とも断り、山名の役員間でくじを引き、諸井松太郎先生が初代会長として出願することとなる。
【柴田久兵衛の入信】
28頁の「山名日記」内12月14日には、「名古屋出張、鈴木、柴本の両氏より紙面到来、但し御手引付かざるに依って、美濃国に手分けにて出張するとの事」と書かれている。名古屋でにおいがかからずに、岐阜県へとにおいがけにでかけた。ということである。
これは東愛大教会の役員先生から聞いた話であるが、東愛も名古屋の熱田の地に出来た教会ではあるが、はじめは名古屋ににおいがかからず、知多半島でにおいがかかり、その親戚すじが名古屋にいた事から名古屋に信者が出来るようになったとの事であった。
そうした中で、柴田久兵衛ににおいがかかり、そこからその知り合いへとにおいがかかっていくのである。
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